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隣のお父さんの、見たこと、聞いたこと、感じたこと

季節を教えてくれる小鉢のミドリ、自然の風景、私の興味をそそる鬼瓦、コレクションの煙草の包装紙、文化etc‥‥、

日本最古の救ライ(ハンセン病)施設

2015-03-18 06:15:07 | 京の歴史 よもやま
ハンセン病。医学や病気治療の理解がとぼしい時代に、顔面にでる見がたい病状や、感染の恐れから、患者えの差別があったじだいの隔離施設です。この京都府木津市の施設は建物《名称 北山一八間戸》だけが残っていて国の史跡に指定されています。建物は間口38メートル奥行3,9メートルぐらいの細長い棟割長屋で、約2畳ぐらいの個室が18戸に区切られていました。そしてこれは、日本で最古の救ライ(ハンセン病)施設でした。救ライ所として著明なものは岡山の長島愛生があります。本土から30メートルの距離の島にあり、島ぜんたいのなかに、患者夫婦のための住居や納骨堂があったようで、ここではごく少しですが柔軟な生活があったのかな?と思はれます。

アナグマより人間が恐ろしい

2014-12-27 06:07:03 | 京の歴史 よもやま
宇治市の伊勢田神社は700年代に穀霊を信仰されていた神社から、お伊勢さんを信仰する神として祀られるようになったようです。この神社の本殿はイバラ線で囲まれていました。ちかごろ神社仏閣はアナグマなどの被害が多いらしいので、その被害防止かと思ったのですが、人間の賽銭泥坊防止のためとか、アナグマの被害よりも人間からの被害が多いらしいのです。 それにしても神社の本殿がイバラ線でまもられているとは ??……… そして、人間が穴熊より劣るとは ?… 神さんの判断は ?…  わからん

絶景の地だった古墳?

2014-12-20 06:05:53 | 京の歴史 よもやま
 宇治市の広野町の小高い丘の上に庵寺山古墳があります。4世紀末の円墳で直径56m高さ9m規模のものす。周囲が360度みわたせる景色の良いところにあります。築かれた当時は古墳だけだったようですが、今ではごく近くまで民家が押し寄せてきて古墳は孤立しています。又、いまは市の管理下にありまして許可がなければ施錠されていて上れません。ここからは京の比叡山から天王山、大阪の生駒山まで見晴らせます。古墳の主は小高いこの地から権威の象徴としてこの景色を独占していたようです。がしかし、現在では昔の景色がそこなはれて、人家の波のみが目立つようです。                                                  

京都の運河、高瀬川

2014-10-22 05:55:29 | 京の歴史 よもやま
久しぶりに京都の中心地、高瀬川付近をあるいてみました。歩けば歴史的な史跡に出合う京の街です。この川は江戸時代に京の中心地と南部の伏見を結ぶ物流用に開削された運河で大正9年まで300年間水運に用いられました。10年まえには毎日のように通った道ですが、様変わりした事もありました。この高瀬川の始まる地点には一之船入の様な名前の刻まれた石橋はありませんでした。観光地京都も時とともに大変かわりつつあるようです。

 男神かな?それとも女神?

2014-10-04 06:12:22 | 京の歴史 よもやま
京、宮津、山城一の宮の籠神社は天照大神を祭神とする元伊勢神社と称されます。伊勢神宮に遷られるまでは、この地に祀られていました。天照大神は神話の上では女の神様とされています。社殿の大屋根に横たわる鰹木は女神ですので偶数の六本になっています。女神は偶数、男神は奇数とされているようです。余談ですが、大相撲の土俵のうえの屋根にある鰹木は男性力士による競技のためか七本になっています。ところが近ごろ相撲界に力士ならぬ、勝ちにこだわる策士が現れたようです。力士はどこまでいっても力と技ですが、モンゴル系の新人のある人は、やることが女女しくて、とてもフアンにはなれません。

後方からが見ばえする

2014-09-27 06:02:25 | 京の歴史 よもやま
宮津市の宮津カトリック教会は、1896年(明治29年)フランス人宣教師によって建築されました。教会の内部は当時床が畳敷きでしたが、今は時代に合わせて畳の上に椅子席が設けられていました。窓にはフランスから取り寄せたステンドグラスが使用されています。そして窓は外開きではなく、和風的に左右の引き戸になっていました。天井は美しい曲線をえがくドーム型でした。特に床が畳敷きであることに明治の雰囲気を感じます。この教会の建物は素晴らしいのですが、外観は表側から見るよりも、後方から眺める景観のほうがおもむきがあって素敵でした。バツクシャンの建物です。歴史的にも重要文化財にあたいする建築物です。

京、祇園祭 後祭り

2014-07-26 06:04:25 | 京の歴史 よもやま
京都、祇園祭で150年振りに大船鉾が復活し,又、49年ぶりに後祭りも復活して今年は前祭(7月17日)と後祭(7月24日)で山鉾の巡行がありました。毎年、祇園祭の山鉾巡行当日は京都市内は観光客であふれて車での交通はまゝなりません。そんな訳でここ40年ぐらいは京都市外の仕事につとめ、祭りをみることも有りませんでした。今年は大船鉾の巡行がありましたので久しぶりに後祭の巡行を楽しみました。復活した大船鉾は全長7,47メートル高さ6、25メートルもある巨大なものでした。

愛の神さん

2014-05-24 06:06:12 | 京の歴史 よもやま
仏教の守護神とされる歓喜天です。恋愛成就の神さんともされています。抱擁された体幹は人体ですが頭部は象になっています。女性の神さんが男性の神さんの足を踏んでいるらしいのですが?なぜでしょう?……天神社に祀られていました。明治の廃仏毀釈で仏教関係の偶像とされるものは破棄されましたが、このお宮さんでは仏教関係の仏像が、信者によって守られてきたようです。

彩られたお宮!

2014-05-19 06:06:46 | 京の歴史 よもやま
京田辺市にある天神社の本殿は明応2年(1493)約500年前の造営です、二間社造りと云われる規模の社殿ですが、当初から全体的に色付きの絵模様が施されていて、活気あふれるものだったようです。その後平成4~5年の修復作業で彩色の復元がなされていますので、現在でも大変はなやかな雰囲気でした。写真は右側面で左側が拝殿正面になります。