東海道筋、大名行列の宿泊施設であった草津宿本陣の大屋根の上に座っていた鬼瓦です。おにのような恐ろしい顔つきでもなく、ただ大きいのみ。そしてその絵柄は何を表しているのか? 判じ物のようでよくわかりません ?? 下え! 下え! と、連呼していた大名行列の旗指物 ?? かな
昭和11年に滋賀の旧今津郵便局が建設されました。現在から81年前の時代です。この建築物は国登録文化財に認定されています。郵便の通常の業務をはじめとして、当時はまだ各家庭に普及していなかった電話設備を備えていました。いわゆる今の公衆電話です。郵便局は当時としては最先端の職業でしたので、その職場は女性のあこがれだったとか!、それで和装の娘さんが多く働いていたようです。その憧れの?局舎の屋根に座っていたオニガワラです。郵便局ここにあり、見ただけでそこが郵便局とわかります。
新聞写真にあるこの位置からは、通常では絶対に見ることができない鬼瓦の姿です。これは浄土宗の総本山、知恩院の御影堂の鬼瓦です。御影堂は国宝になっていて、平成の大修理⦅2012~2018工事の予定⦆のために、完全に覆いやのなかにあります。鬼瓦は国内最大級のもので、重さは930キロあり、鬼瓦自体の高さは、2,27m、幅2,94m、奥行0,39mで、9つのパーツから出来ています。大屋根の東西に鬼瓦がありますが、地上から28mのたかさにあります。これは東側のもので、額の部分には丸く太陽がえがかれています。取り付けている作業員と鬼瓦を対比してみても、その巨大さが理解できると思います。高層建築物のなかった何百年も以前から、鬼さんたちは、各地寺院の見上げる高さの屋根最上部から地上の諸々の出来事を眺めていたようです。
高いビルのなかったいにしえから、大屋根の上で邪をはらい、睨みをきかしていた鬼さん。この鬼さんに興味があって愛着を覚えています。いつものように視線を屋根に走らせていましたら、4本角の非常に珍しい鬼さんに出会いました。消エネではなく、省ズノの鬼さんで4本の角で3匹の鬼面を表していました。下から眺めると3体にみえます。2本の省ズノです。そのほかにも目玉や口角が、共用されていて省部品になっています。この鬼瓦は、平成7年に岐阜の坂井瓦工場で製作されたようです。近年、鬼瓦えの新しいタイプの取り組みかなと感じました。 《滋賀野洲市の常念寺にて》
邪を払う屋根上の鬼瓦は、やはり、近い東洋の外国、韓国にもありました。日本の鬼瓦は角があって、牙があるのが定番です。韓国の鬼瓦は角がなく(上にあるのが角?)牙も見当たらないようです。見るものに恐怖を感じさせるものであったとしても、韓国の鬼瓦はどことなくユーモラスに感じます。国民性としての感情、あるいは長年の文化の違いでしょうか?
鬼瓦は大屋根の上で悪魔をいかくするものです。しかし、京、泉湧寺の桜花のあいだからながめたこの鬼瓦は、冷たい鬼の表情だけではなく、満開のさくらを優しく眼下にながめていました。額にはハートのマークも飾られていて、珍しく温かみを感じられる鬼さんでした。
浄土宗総本山の知恩院でみかけた鬼瓦です。下に降っている隅棟に二つの瓦が見えます。下の瓦は、あごひげと眉毛はちじれた右巻きの羅髪で、額には仏教の巻物をいただいているようです。2番目の瓦はあごひげと眉毛は直毛で額には法輪をいただいているようです。上の大棟の瓦は写真では判別できないのですが、全体の雰囲気として、いかにも仏教寺院らしい鬼瓦だと思います。
滋賀県の民家の棟瓦に大黒さんの瓦を見かけました。関西ではあまり見かけなかったのですが? 大黒さんは福の神として、また、出雲の白兎で山陰地方の神話としても親しまれています。大きな袋を肩にかついだ大黒さんが福を呼ぶ神さんとして関西地方の屋根に座っていてもごく当たり前のことでしょうか。福を願わない人は、多分いらっしやらないと思いますから……
新宮神社の棟瓦です。竜虎と並び称され、竜虎の争いとか言われますが、右側の竜と左側の虎が瓦をへだててお互いに対面して威嚇しているように見えます。面白い構図だとおもいます。タイガーとドラゴン、虎からの連想です。野球の阪神さん、監督も変わった事なので、来期は夢をみたいもの…?
天福元年(1233年)に創建された寺院ですが、建て替えられて初代と思はれる鬼瓦が地上に下ろされていました。もし初代のものとすれば1000年ぐらい以前に制作された鬼瓦と云うことになります。この鬼さん、大きい角を持っていますが、優しい眉毛や、鼻をもっています。口は大きく裂けているのですが、口元の下の小さな牙、あご下の髭といい、全体に優しさを感じせるおかおだちです。養専寺。