師が走って早や大晦日、シニアの世代になりますと、今の年齢の健康をいつまで保てるか?数えられるほどになります。正月は、来てほしくないのに勝手にやって来て、その数少ない数字を減らします。しかし来年には、又、良いことがあるはずと !! 確信していますので …… 新年には、 厄をはらい、たくさんの幸せを トリ 込みます。
京都の北野神社の楼門(三光門)に来年の干支、酉の大きい額絵が掲げられました。学問の神さん菅原道真公を祀るお社です。神社の隣り合わせに、豊臣秀吉が都を守るために築いた御土居があります。紅葉の名所として知られていますが、今年は入苑期間が延期されました。入苑料700円が必要でした。学問の神さんは、商才のほうにも長けていらっしやるようです。奉納されているこの絵図ですが、鶏の胴体の部分にはオード色と、緑色の羽毛があり、尻尾は黒みがかった色の尾羽です。こんな鶏いるのでしょうか? 開運の瑞鳥と云うことでしょうか!
吽の狛犬さん、その設置された年代の古さを推定するのに、頭部の凸部をふれて凸の有るなしで判断したりしています。凸があったら古いものと判断していました。この狛犬さん、触るまでもなく見ただけでもずいぶん長い角を持っているようです。いつごろ設けられたのか?まぎらわしい狛犬さんです。
北野神社の絵馬所は元禄時代に建てられたもので、絵馬所の遺構としては日本最古のものです。時代的な背景もあり、絵馬として掲げられているものは、勇ましい男性的なものが大半です。これらの中にあって女性は女性らしくと願ってのことでしょうか?唯一、人形を取り入れられた絵馬がありました。良妻賢母を願われてのことと推察されますが、男性主体の時代に女性のありかたの一つとしてだったのでしょうか?
神社の境内で大人の二抱えもありそうな巨樹がありました。地上3メートルぐらいのところで切断されて、その上部断面近くに小さな枝葉が出ていました。他の樹では、高い樹で中身は空っぽであっも、外部の樹皮だけで成長している例があります。この樹はなぜ胴切りされたかは分かりませんが、そこに強い生命力を感じます。葉を見てクロガネモチの樹だと言う人がいました?
京都の師走の名物行事に了徳寺の⦅大根焚⦆があります。例年12月9日と10日に二日間で一万人の参拝者があると言われています。親鸞聖人がこの地での説法に、感銘をうけた村人が塩炊き大根でもてなしました。そのお礼に親鸞聖人がススキの穂束を筆代わりに、大根を炊いた竈の残りのススで、10個の文字で文書を残されました。これが大根だきの起源とされています。写真は当日の奉仕者が一杯千円の大根をお椀にいれているところです。この隣の部屋では住職の説法がありました。入り口のチケットを売られているテントの横、人ひとりが通れる本堂の横に1㍍四方ぐらいの石囲いがありました。そのなかに筆になったススキが茂っていました。私のいた30分ほどのあいだに、ここいわれあるススキを訪れた人は、いませんでした。なんのかのと言いながら大根一杯、中風に効くとは言いながらも千円で売られていました。これを称して·・・・ 坊主丸もうけ?
全国各地の神社仏閣でよく見かける絵馬ですが、いつ頃、描かれたものかと考えることがあります。この絵には天保2年と明記されています。1831年にあたりますので、185年前のものと分かります。絵柄の駈ける馬上の武士に、地上から抜き身の刀をかざして立ち向かう武士。この絵を掲げられたことの、意図するところは分かりません。しかしその時代だけは明確です。
JR西日本、琵琶湖線の南草津駅、西出口の一帯で、12月4日日曜日に《みなくさまつり》がありました。当日はバス乗り場も東出口に移動して、そこに各地の町内会や、事業者、またR大の学生が多くのブースを準備していました。又、隣接する二車線の道路500mぐらいにわたって、50店舗ぐらいの飲食店のテントが立ち並びました。焼きそば、お好み焼き、おでんにラーメン、等があり、道いっぱいに観客の家族ずれが、あふれかえり、飲んで、食べて、シヨーをみて楽しんでいました。本部スペースからは市長のお祝いのメッセージも流れて、賑やかな愉しい一日でした。
街路樹として一列に植栽されている赤いサザンカが、今、落花さかんで、道いつぱいにじゅうたんのように赤い帯を敷き詰めています。そのような雰囲気のなかで、目に映った一本の白いサザンカは、逆に新鮮に映りました。