神社仏閣に用意されている清め水の入った石鉢に刻まれている文字がさまざまで興味があります。この容器の文字は左から右え、垢洗(あかあらい)と読めます。天平時代に築かれた古い寺院の門前にあるのですが、その時代の書き順? かな 左から右え読む?… あるいは漢文の書き順でしょうか?… 今年も後数日となりました。それこそ今年の垢を洗いながして、よい新年を迎えたいものです。
有田郡と書かれていますので、和歌山の地方都市だとおもいます。(料亭夕やけ)と(スナック赤とんぼ)の店が、広川町の昭和通りで営業なさっていたようです。1955年の昭和の大合併で町制のとられた町ですので、40年ぐらい前の特別包装煙草だったのでしょうか?
泉橋寺は奈良時代天平13年に高僧行基によって建立された寺院です。この寺院の門前に1308年地蔵堂と高さ6メートルの石像地蔵菩薩像が完成しましたが、応仁の乱の乱の余波で寺院と石像の一部は焼滅しました.この石像が1690年(元禄3年)に顔と両手が補修されて開眼したのがこの地蔵さんです。日本一大きい石の地蔵さんとも云はれています。
京、山城の茶問屋街には江戸時代から製茶問屋が軒をつらねています。現在はペットボトルで多くの商品を販売されている福寿園本店はそのなかの一軒です。この本店は白壁の蔵と並びたっていて、その蔵の屋根にソーラーの器具が乗っていました。新しいものと古いものの同居が面白くて目を引かれました。
城?? 木津川市山城町の上狛環濠集落は、現代から思い巡らすと、とてもこの地域が城跡とは思はれません。村と田畑を濠によって仕切って外敵の侵入を防ぎ、村内は武士の頭分,伯氏が支配していたようです。伯城とも云はれていました。今は濠は生活水の排水路のようになっています。この城跡、東西330メートル南北360メートルの規模です。15世紀、中世の近畿地方では、よく見られた生活体形のようです。
国道沿いの中古車販売店で10年間保障をうたわれている店舗の看板をみかけました。中古で後10年??と思ったのですが、… 私の運転暦は50年ぐらいになります。今は、Dメーカーの軽自M○○に乗っています。運転するのは私だけですので、エンジンも私の運転に馴染み快調です。オイル交換は1万キロ、走行距離8万、車検以外はほとんどメンテ無しで10年乗っています。形はすこし旧式になりましたが、逆にそこに魅力を感じて手放せません。国産車は頑丈で素敵です。
伊勢神宮第59回式年遷宮記念のときに、全国で販売されたタバコ、<光>です。お伊勢さんでは、毎20年ごとに、ご神体を新しい社殿に移すとのことです。第59回は昭和28年(1953)年に行なはれました。今から約57年前の頃の煙草です。
若い人、シニアの人にかぎらず、女の人は化粧することで別のご面相になれるようです。若い人は茶髪、青のアイシャドー、ツケマツゲETCで、ほとんどの皆さんが同じような顔になっています。シニアの人も、足腰に年齢を感じさせているのに黒染めのロンゲで,青いアイシャドー,眉毛は1センチぐらい上に描いてあったり?で、 皆さんそれぞれに相応しい化粧があると思うのですが?お化け顔の下からスッピンが出てきたときはお化けの言葉以上に恐ろしいのでは?
現在では、類似の名は別として(サウナ日本)と云う店名で営業されている店舗はないと思います。街の雰囲気もずいぶん変わったと思いますが、タツーの方も見かけた場所?だったのでしようか 以前の尼崎のサウナでした。