朝夕少し冷え込む季節になりましたので、私が楽しんでいたツタの紅葉も一つ二つと散りはじめました。残っている葉を数えるように楽しんでいますが、ここ一、二日のあいだのうちに、散っていきそうです。又、来年の芽だしを待つことにします。
嫁いだ娘に子供が恵まれまして、宮参りをいたしました。滋賀の近江八幡市に祀られている一つの氏神さんですが、その地方の風習と言ふのでしょうか、赤子の晴れ着の紐に、たくさんのお祝いの(紐せん)なるものを付けていました。紐せんとは、宮参りを識ったご近所の方々が、お祝いにくださるものだとか、数少ない地域の風習だと感じました。全国的には、神の加護を祈る紐おとし、紐きりの行事が七五三の行事に進展したようです。(紐と言ふ言葉ずかいは、昔、幼いあいだは着物に紐を付けて着用し、大きくなるに従って紐を切り、帯をしめた、といふことからきているようです。)
道端から見通せる知人宅の玄関先から心地よい香りが漂ってきました。トランペットの花の香りでした。ここに育っていた樹?は背丈が2メートルぐらい、左右も1,5メートルぐらいあり、花、自体も一つの花が20センチぐらいもありそうな大きなものでした。近寄りますとそのボリュウムと香りで圧倒されそうな迫力が有りました。
秋も深まり野山の紅葉ばかりに関心をひかれていました。が、稔りの秋のほうが本当は大切なのではないかと思います。新米、栗、柿、梨、とこの季節には秋の稔りに恵まれています。京都市内のある寺院の窓ぎはに、干し柿が吊るされていました。農家の軒先に四つ、五つとぶら下がっているのはよく見かけるのですが、街なかの寺院でしたのでかえって、目を惹かれました。
友人宅を訪れましたら、玄関脇に珍しい花がありました。直系30センチぐらいの鉢に植えられていて株の天地は30センチぐらいに茂り無数の花をつけていました。名前を尋ねましたら<コエビソウ>とか、花木全体を写真に収めたのでは花の形がよく解りませんので枝の2~3本を一輪挿しにさしてみました。肥沃な用土を好むらしいのですがほとんど一年中開花しているらしいです。
ひなびた田園の町、奈良当尾にある名刹、浮瑠璃寺ちかくの少し開けた所に小屋があってその後ろにこの瓦がありました。<会所>と文字が記されています。明治の以前は集会や習い事はお寺で行なはれるのが一般的であったと聞いています。当尾の人々が明治のころに、集会のための出会いの場を建て、その完成を誇りとして会所と記した鬼瓦をのせたのでしょうか!当時の人々の心意気を感じます。
大和路近くの畠に、見馴れない小さな赤い実をつけた植物が多数栽培されていました。何だろうとは思っていたのですが、岩船寺の参道の土産店にこの植物が売られていました。観賞用のナスで花ナスとのことでした。ナスの花は百に一つも無駄が無いと言ひますので、縁起ものとして、又、飾り物に愛用されているようです。
滋賀、草津にある県立琵琶湖博物館は広大な面積のなかにあり隣接する桟橋には客船の定期便が発着しています。博物館のなかには水族館が併設されていて、魚の水槽のトンネルをくぐるときは上部、左右に魚が泳いでいて幻想的な趣があります。又、他の水槽には大きなチョウザメが数匹飼育されています。サメは大人の人間ぐらいのサイズがあり、泳ぐのが非常に素早いので写真に収めるのに苦労しました。時間を決めて餌やりがありますが、数匹が餌に群がるようすは実に凄まじい迫力があります。
公園の植え込みのなかに、真紅に色ずいた豆粒ぐらいの愛らしい実がありました。常緑の針葉樹で名前をイチイと言ふらしいですが、実を生らせるのは雌木といふことでした。イチイと言ふ名前はよく耳にしたのですが、はじめてお目にかかりました。素晴らしい実生りのきれいな色だと思います。
京都、木津川市、岩船寺の山門に座っていた鬼瓦です。この瓦は風雪による傷みが少なく、瓦の美しさから見て、比較的新しい瓦ではないかと思います。鬼瓦はその時代時代の鬼師の遊びごころが、込められていると思います。この鬼さんは額にみかずきを頂いているようです。山門をくぐる修行者が満月のような人間になることを願っているのでしょうか!