江戸時代の旅人たちは、東海道筋を矢橋までまいりますと昔と今では雰囲気がちがいますが矢橋道の分岐点につきます。矢橋道は昔の東海道の脇道で、対岸の大津え琵琶湖を舟で渡れば5,5キロぐらいですが、陸路を歩いて瀬田のを回ることにすると12キロぐらいありました。しかし舟便は天候が悪いと舟が出なかったりしました。すると結局は歩くよりも遅くなりますので、こんなことから《急がば回れ》と、言うようなことわざが生まれたようです。
私どもの氏神様である新宮神社の社殿の大屋根に座っていました。よく(龍虎)と言われますが、まさにこの鬼瓦は、対面して右側は龍であり、左側は虎になっています。このような龍虎の鬼瓦はあまり見かけないように思はれます。
滋賀、南草津の琵琶湖の南にある神社です。源頼朝の伝説にゆかりのあるお宮さんです。源頼朝が馬に乗っていて手に持っていた鞭でさし示して、《あの神社はなんと言う神社か⁈》と尋ねたことから鞭の先の言葉の音から鞭埼八幡宮と称されるようになったようです。
パットさいた花火は綺麗だな。空いっぱいに広がったしだれ柳がひろがった。このような歌詞があったと思います。この写真は花火が開く直前の瞬間をとらえました。どんな花が咲いたのでしょうか ⁇ 残念ながら私はカメラに気をとられていて分かりませんでした。
日本国の国歌、君が代の歌詞のなかにある《さざれ石》が、この石です。小さな石が、長い年月をかけて、小石の欠片の隙間を炭酸カルシウムや水酸化合鉄が埋めることにより一つの大きな岩の塊に変化して《石はい質角礫岩》なった石、これが君が代の歌詞にある《いわお》である。
近江、琵琶湖の南方面に存在する天台宗の常楽寺です。この寺院は信者のすべての願いを聞いてくださる。と伝えられています。紅葉に映える秋の中旬に訪ねてきました。本堂の脇にそびえている三重の塔は静かにたたずんでいました。国宝の寺院です。