丹波山家の照福寺の庭は昭和45年に国指定の名勝に指定されています。枯山水の庭で庭の中に鶴と亀の二つの島があしらわれています。昔、ここの本堂の屋根に、庭の亀を意図したと思はれる飾り瓦が使われていたらしく、本堂の床下にこの亀が保管されていました。平面的な形ですで、屋根のどの部分に?、どの様な角度?で用いられていたのか、下から上に見るものですから色々と想像を広げています。
馬の神社、近江の賀茂神社の境内に庚申さんを祀るお社がありました。そこの屋根に座っていた猿の姿態を現している瓦です。庚申さんには三猿の教えがあります。悪いことは(見ない云わない聞かない)と教えられているようです。鬼瓦の仲間ですが、大変珍しいものの一つです。見る、言う、聞くの三態を、個々の姿ではなく一つの姿で表現しているのも面白いです。
鬼瓦からは少し印象が違って優しくなりますが、同じように屋根の上に座っている飾り瓦です。平安時代に仙人のような神秘的な力を持っていたと伝わる、役行者が自ら刻んだ行者像のある寺院、神童寺の門の屋根に座っていました。飾り瓦の一つですが、何に見えるのかな? その人その人で感じ方が異なりますので、何に見えるかの違いを知るのも愉しいです。
木津市、山間の谷筋を結ぶ街道に神童寺があります。推古4年(596年)の創建です。本尊の蔵王権現像は神仏習合の思想があった平安中期に成立したとされているようです。寺号からしても、神と寺の文字が含まれていて、このことからも存在したのは神仏習合の時代だったと考えられます。この歴史のある寺院の本堂屋内に展示されていた、元禄16年製作の鬼瓦です。全体に目元や口元、頭部など全体にシンプルで優しさが感じられます。この鬼瓦は重要文化財の指定をうけていました。
知恩院の本堂御影堂は、いま平成の大修理の工事で本堂自体が大きい蓋いやの建物の中にあり、本堂自体では参拝することはできません。その殺風景な工事の建物の傍らにある手洗い場水屋、この鬼瓦は水屋の屋根に座っていました。鬼瓦も、のき瓦も葵の紋で飾られていました。この寺院は高台にありますので京の都を抑える城?としての重要性があり、そのことを踏まえて徳川は知恩院に多くの喜捨をしたのだと思はれます。
京都府下宇治田原町に、弘法さんが掘られたと伝えられる井戸が有って著名な真言院。この井戸を覆う小振りな建物の屋根に座っていた鬼瓦です。具体的にその場所や物自体の固有名詞を、漢字で表現している鬼瓦は珍しい存在だとおもいます。
年代を経た寺院の庭先には旧建物の屋根に座っていた鬼瓦が地上に降ろされているのをよく見かけます。京都宇治田原町の厳松院は聖徳太子の開創とされていますので、当時の建築物に使われたのであるとすれば、これは年代ものであると思はれます。この鬼瓦は作風が非常に単純で二本の角,眉、眼窩のくぼんだ眼,牙がない蛸の口先のような口元、と云うような特徴が見られます。近代の誇張の多い鬼瓦えの移行的なもの?えの前段階のようです。
草津は東海道53次の52番目の宿場として本陣宿がありました。今、建物は国の史跡指定を受けて現存しています。この建物の屋根、乾門に上がっていた鬼瓦です。デザインが大変珍しい鬼瓦です。吠えて鬼を威嚇するするのでしょうか?シンプルに犬が一匹すわっています。製作されたのは19世紀江戸時代後半に当たるとのことです。いまは降ろされて文化財として保存されています。
人の顔に特徴があるように、鬼さんの顔もそれぞれに特徴があって見ていると楽しめます。この鬼さんは牙は短いのですが歯はスッキリとしています。耳と目は凹み型で、鼻に縦じわのあるのが特に個性的で、イケメンの鬼さんに見えます。