goo blog サービス終了のお知らせ 

隣のお父さんの、見たこと、聞いたこと、感じたこと

季節を教えてくれる小鉢のミドリ、自然の風景、私の興味をそそる鬼瓦、コレクションの煙草の包装紙、文化etc‥‥、

急がば 廻れ?

2014-01-29 06:13:33 | 歴史の道しるべ
東海道53次の宿場と52次の宿場の間に矢橋の立場があります。宿場と宿場のあいだに茶店があり、旅人が道中の杖をたてて休んだことから立場と云われたようです。この矢橋の立場に道標が立っていて、右に道をとれば琵琶湖湖上を帆舟で渡る道、直進すれば瀬田の唐橋を徒歩で渡る道、とされています。風波で舟が出ないかもしれない右え進んで体の楽をするか、左に進んで瀬田の唐橋を徒歩でわたり到着に確実な方をとるか?この地点で旅人がどちらの道をとるかまよったので(ここが思案のしどころ)と云う言葉が、ここから出てきたようです。

日本で最初の馬のトレセンdesu!!

2014-01-06 08:52:20 | 歴史の道しるべ
ここ近江の賀茂神社は天智天皇によって日本初の馬の放牧場が建設された地域です。この牧場で馬の調教や繁殖がされましたので、馬に関連する事業者や競馬界の崇敬があるようです。大昔は天智天皇が滋賀に牧場を作ったのに始まり、現代では滋賀の栗東に競走馬のトレーニングセンターがあります。なにかつながりがある様に思います。社殿のまえには幹周り4㍍はある立派な杉の御神木が立っていました。

薩摩屋敷の跡って?

2013-09-08 06:06:02 | 歴史の道しるべ
大河ドラマ八重の桜を観賞していて識ったのですが同志社の今出川キャンバスが薩摩屋敷の跡地だったとか?……半世紀以前にはこの近辺に住まいしてここに学んでいたのですが、この事実は知りませんでした。校地の近くに碑があるとのことでしたので、訪れて見ましたら西の校門が改築され、門の脇にこの碑がありました。1年ぐらい前に改築されたとのこと、ドラマ八重の桜の影響でしょうか京都市の説明板まで立てられていました。

日吉の東照宮

2013-08-07 05:59:11 | 歴史の道しるべ
滋賀、日吉の東照宮は寛永11年(1634)に再造営されました。東照宮の権現造りと云はれる建築様式の雛形になったとされています。日吉東照宮は建物全体が華やかな彫物と色彩で飾られていますが、特に蟇股の彫刻は大変精密に刻まれています。建物全体の再塗装は50年ほど前に行われていまして若干の衰色をかんじますが、本殿の内部は従来の美しい色彩をそのまま見ることができます。この日吉東照宮は1914年に、国の重要文化財に指定されました。

古墳~平安時代の木炭窯跡

2013-08-04 06:07:52 | 歴史の道しるべ
丹後半島の中心部に存在する遠處遺跡は古墳時代から平安時代にまたがる複合遺跡で、面積47ヘクタールの丘陵地帯にあります。須恵器窯跡、木炭窯跡、製鉄炉跡 竪穴住居跡、等が検出されています。特に著名なのは製鉄分野で、国直轄の官営工房として鎌、刀子などの鉄製品が出土されました。古代の日本で最大の製鉄所でした。製鉄に必要であったとされる八つの木炭窯跡が、丘の中腹に現在でも望むことができます。

天台宗の総里坊

2013-07-31 06:02:21 | 歴史の道しるべ
滋賀院門跡は大津市の坂本地区にあります。比叡山山頂にある天台宗本山延暦寺の総里坊であり、延暦寺の住職である天台座主の御座所でもあります。1615年元和元年に建設されました。自然石を加工することなく積み上げた穴太積の高い石垣に囲まれた塀のなかに本堂があります。門跡は、石垣に囲まれた屋敷がつずく閑静な地区にありますので、近くを散策するときには心が癒される思いがいたします。

勧請縄 魔よけ…

2013-03-27 06:15:34 | 歴史の道しるべ
古い時代には、村境(町境)に勧請縄をはり、外からの魔が村内に入るのを防ぎ、又、入っている魔を送り出すまじないだったようです。この勧請縄は滋賀の野洲の村落の村はずれにありました。この村、平清盛が愛する祇王の願いを聞き入れて祇王の故郷に野洲川より水路を掘って田畑を潤した村です。今、戦国武将の道と云われる道に面して立っていました。

 平城京の瓦を焼いた遺跡

2012-12-19 05:50:19 | 歴史の道しるべ
関西学研都市の整備によって、弥生~室町の17基の古墳群とその上に13棟の掘っ立て柱の建物跡が見出されました。この建物で瓦が焼かれ、奈良平城宮の建物の屋根を葺くのに使われたようです。今、上人ヶ平遺跡公園として、整備されていますが、大変広大で当時の建物の想像ができません。たまたま想像イラストが展示してありました。これを見ると、大量の瓦をまかなった奈良時代の生産工場の規模が判るように思います。

平家終焉の地!!

2012-12-02 06:08:46 | 歴史の道しるべ
大河ドラま平清盛の放送も終盤に近ずいているようです。壇の浦の合戦で源氏に敗れ捕らえられた平家の総大将宗盛と、その子清宗が、源義経の護送で鎌倉から京え送られました。その道中で宗盛は滋賀、野洲の大篠原にて斬首されました。息子の清宗は草津の野路で斬られています。写真は大篠原の宗盛が葬られ建てられている胴塚です。子供、宗盛の胴塚は草津にあります。