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隣のお父さんの、見たこと、聞いたこと、感じたこと

季節を教えてくれる小鉢のミドリ、自然の風景、私の興味をそそる鬼瓦、コレクションの煙草の包装紙、文化etc‥‥、

近江の佳人妓王 & 平清盛

2012-11-24 06:45:14 | 歴史の道しるべ
NHKの大河ドラマ平清盛が放送されています。清盛が寵愛した妓王の望みにこたえ、彼女の故郷、江部荘の水不足を救うため、滋賀の野洲川から12キロの水路が開削されました。この水路の御かげで江部荘近辺一帯の田畑が潤い近江の米どころとなりました。この川は800年を経て現代も、重要な農業用水として活用されています。村人はこの水路に感謝して《妓王井川》と名ずけました。妓王の没後も村を救った偉大な女性として村に妓王寺を建立し敬っています。村民が維持されている小じんまりした寺院です。院内の仏前の祭壇を拝しました。

町(旧村)の庄屋さん!

2012-11-18 05:49:34 | 歴史の道しるべ
私の住む町の歴史を尋ねていましたら、江戸時代の末期に立派な庄屋さんがいらっしゃいました。村は山手の土地で大きな川も無く、農業用水を確保するために私財を投じて溜め池を造られました。御かげで800ヘクタール(約2キロ四方)の田畑に水をもたらしました。この庄屋さんは、東海道草津宿の金番役をされていた野路村の庄屋さん深尾八左衛門さんでした。この功績を称えて当時の膳所藩から顕彰の石碑が贈られました。今も旧村の中心地近くに、この石碑が大切に保存されています。

急がば廻れ

2012-10-17 06:19:00 | 歴史の道しるべ
江戸時代名物の《うばがもち》があった東海道53次の矢倉の立場は現在では餅屋は時代の変遷とともに移転されて餅屋の移転後その跡地は瓢泉堂に代わりました旅人の喉を潤す水筒、徳利としての瓢箪が名物になりました、《瀬田へ回ろか矢橋に出ようか、ここが思案の姥が餅》とうたわれて旅人を思案させた矢倉の道標は瓢泉堂の門前に佇んでいます、


古代の但馬王、ここに

2012-09-08 05:50:35 | 歴史の道しるべ
朝来市の国史跡茶すり山古墳は、近畿豊岡自動車道の建設にともない試掘調査がおこなはれて、全体像が明らかになったようです。直径90mで2段に築かれた円形古墳で、中段と最上段の円周には数多くの埴輪が並んでいます。近畿地方では最大、全国でも4番目の円墳で、5世紀前半のものです。山陰地方では高速道路の建設で陽の目をみる古墳が多いように思います。近畿自動車道の工事で現れた綾部市の私市丸山古墳も円墳で同じように埴輪で囲まれていました。

埴輪のある土塁

2012-08-15 05:50:49 | 歴史の道しるべ
高槻市に存在する国史跡の今城塚古墳の外郭土塁上の一角に配置されていた埴輪です。実物は資料館に保存されていて、今、目にしている物はコピーですがその形や大きさ置かれていた位置は当時のままとのことでした。神殿風家形埴輪あり、武人埴輪ありで、動物もありました。全長350㍍、墳丘の長さは190㍍あり二重の周濠をもった戦のための城でもあったようです。

大きなハニワの製作地跡

2012-08-08 05:44:14 | 歴史の道しるべ
ここ新池埴輪の製作地は、国の史跡で、5世紀~6世紀のハニワ製作所窯跡があり、18基の窯跡が確認されています。斜面に縦に植え込まれたツツジの線がみえますが、この位置に窯があったらしくて、この写真では4つの窯跡がみえます。丘の上の茅葺小屋で埴輪が製作されたようです。日本全国では90ヶ所ぐらいの埴輪製作所跡がありますが、新池はそれらののなかでも最大規模のものです。時代の経過とともに、丘の後方にはマンションが立ち並んでいました。

平清宗 終焉の地

2012-06-17 05:52:26 | 歴史の道しるべ
大河ドラマ平清盛が放映されています。私は筋書が理解しにくくて、興味を感じませんので鑑賞していません。寿永4年(1185)壇ノ浦の源平合戦で源義経が平家を破り、平家の総大将宗盛と長男清宗を捕虜とし、鎌倉の源頼朝のもとに護送していきますが、頼朝は弟義経の行動を心よしとせず追い返しました。一行は京に取って返しますが、道中の滋賀、野洲、篠原で宗盛の首を刎ね、滋賀の草津野路で清宗の首を刎ねました。首は京の三条川原で晒し首になったようです。源頼朝の弟義経に対する行動は不可解で何か徳川300年の歴史が垣間見えるようです。徳川は鳴くまで待とうホトトギスの歌にもあるように、鳴くまでまって天下泰平の実をとったようです。清盛は草津の野路にて胴塚として供養されています。国道1号線、草津野路の道沿いの南草津病院の南裏側、旧東海道に面した遠藤家の邸内一隅に胴塚があります。

古墳時代のアヒル

2012-05-09 05:46:53 | 歴史の道しるべ
京、恵解山古墳から出土した水鳥形の埴輪です。1500年ぐらい前の古墳時代前期に作られたようです。これらのハニワの出土品から当時の生活様式の一部が推察されるようです。この水鳥は頭部分しか発見されなくて、体の部分が見当たらないのが残念ですが、大変写実的に楽しい形に製作されていると感じます。人物や馬の埴輪はもう少しあとの中期以降に出土されているようです。 (長岡京市埋蔵文化財センターにて)

五重の塔です!

2012-05-06 05:30:02 | 歴史の道しるべ
国道1号線を南から京都に入って来ると先ず目に入るのが東寺の五重の塔で、塔を見ると京に帰ってきたと云う気分になります。この塔は883年の創建より四度の焼亡に遭っていますが、1944年の338年前に再建されました。この塔の初層内部の特別公開(5月6日まで)がありました。心柱に大日如来を祀り、その周囲に金剛界四仏が安置されていました。心柱の周りの四本の柱には曼茶羅の諸仏が描かれていて、内部は少し退色がありますが、全面が極彩色でかざられていました。国宝の文化財なので、照明がなされていず、自然光の観賞でしたので細部の色彩までは良く見ることは出来ませんでした。立派な文化財でしたが、曇天のため薄暗くてすこし残念でした。

彫刻の木鼻って?

2012-04-28 05:55:30 | 歴史の道しるべ
仏閣の建造物でよく見かける柱の上部にある彫刻は木鼻(きばな)と云うものだと理解していました。建築物内部の柱の間に渡されている最下部の梁、この梁が柱の両端に突き出た部分に彫刻をしたものが木鼻と称されているようです。京、長岡の走田神社は江戸時代の《都名所図会》にも描かれている歴史のある神社です。木鼻は梁の表面に刻まれるものが多かったのですが、この頃から、彫刻にくり抜きの技法が用いられたようで、走田神社の木鼻はこの《くり抜き彫刻》になっています。