武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

サハリン物語(19・最終回)

2024年07月02日 05時52分09秒 | 小説『サハリン物語』

ヤマト帝国軍やサハリン軍が、旧都・トヨハラの一帯を完全に征圧したのは数日後のことでした。シベリア軍は主に西海岸の方へ撤退し反攻の機会をうかがうことになります。しかし、スターリン皇帝らは自信をもって臨んだシベリア艦隊が完敗したことに衝撃を受けていました。特に、あの「飛行船」の猛威はショックでした。ヤマト帝国がこれまでにない最新兵器を開発していたことに、してやられたと思わざるを得ません。戦いは振り出しに戻った感がありました。
こうした中で、マトリョーシカらにとって最大の悲劇が訪れようとしていました。反転攻勢に出た人民義勇軍は、サハリン正規軍と協力して敵を追撃しました。マトリョーシカらの一隊も、マオカ(真岡)に退却したシベリア軍を追っていましたが、ある日のこと、敵兵を見失ったのです。それは敵の“罠”だったのでしょう。
熊笹峠と地元の人が呼んでいる所へ、マトリョーシカの一隊は到達しました。そこからはマオカの海岸が一望でき、絶好の攻撃地点になります。20人余りの一隊がいざ出撃しようとした時、それまで何の音沙汰もなかった敵兵が、続々と熊笹の中から現われたのです。
「しまった! 謀られたか・・・」 誰もがそう思いました。しかし、そう思っても仕方がありません。とにかく死地を脱出することです。敵は明らかにマトリョーシカに狙いをつけ、生け捕りにしようと策しているようです。入れ替わり立ち代り敵兵が現われます。マリアとベラが必死になってマトリョーシカを守ります。
その時、一陣の風となって大きな矢が飛んできました。その矢はマリアの首筋にぐさりと突き刺さり、鮮血がほとばしり出ました。明らかに頚動脈を射られたのでしょう。マリアは馬上にうつ伏せになりました。
「マリア! マリア!」 マトリョーシカが絶叫しますが、マリアはもう動きません。マトリョーシカやベラたちは必死になって“血路”を探します。やがて敵兵の囲いを破り、どうにか逃げ道を見つけることができました。

 敵から逃れたマトリョーシカの一隊は、味方の陣営にようやくたどり着きました。怪我人はマリアの他は2~3人の軽傷で済みました。しかし、マリアの場合は瀕死の重傷です。すぐに救護班が彼女の看護・治療に当たりましたが、右の頚動脈がひどく損傷していました。
マトリョーシカもベラも、重傷で戦線を離脱していたナディアも必死に看護を手伝います。マトリョーシカらはもう生きた心地がしません。20歳の親友が倒れているのです。天に、神に、マリアを助けてほしいと祈るしかありません。
こうして一昼夜が経ちました。マリアは“帰らぬ人”となったのです。マトリョーシカらの嘆きがどんなに激しかったか・・・もう言葉になりません。3人とも泣き崩れ、マリアの遺体から離れることができなかったのです。
それから1週間ほどの間にマリアの葬儀も営まれましたが、マトリョーシカはもう“生ける屍”のようになっていました。全ての緊張感が断ち切られたようで、他人が何を言っても通じません。ただ嘆き悲しんでいるのです。ベラもナディアも悲しみに暮れているので、言葉のかけようがありません。
サハリンの“ジャンヌ・ダルク隊”は姿を消しました。マトリョーシカが現われなければ、ジャンヌ・ダルク隊も何もないのです。人民義勇軍の士気はにわかに衰えました。誰もシベリア軍に立ち向かおうとは言わないのです。
しかし、これもやむを得ません。マリアはマトリョーシカの無二の親友だったし、これまでにどれほどマトリョーシカを支えてきたことか。サハリン国内はもとより、ヤマト帝国にもシベリア帝国にも彼女と一緒に行きました。マリアはまさにマトリョーシカの“分身”だったのです。
しかも最後に熊笹峠で、マリアはベラと共に体を張ってマトリョーシカを守ってくれたのです。敵が彼女を生け捕りにしようと、入れ替わり立ち代り攻撃してきた時、マリアはあの大きな体(190センチ近い)を楯にして守ってくれたのです。その彼女が・・・今はもういない。 マトリョーシカが嘆き悲しむのは無理もないことです。それが20歳の乙女心でしょう。
身も世もないほど打ち据えられたマトリョーシカ・・・その彼女を救ってくれたのは、やはりアレクサンドルでした。

 アレクサンドルはマトリョーシカの悲しみを十分に分かっていましたが、これ以上、放っておいてはいけないと決意しました。彼は悲嘆に打ちひしがれたマトリョーシカを訪ね、これまでにない厳しい口調で諭(さと)したのです。
「マトリョーシカ、あなたを見損なった。もっと強くて立派だと思っていたのに。
マリアが亡くなったのは誰だって悲しい。しかし、いつまでも悲しんでいてよいのか・・・それはマリアも望んでいないはずだ。もうこの辺で切りをつけよう。そう言うと、割り切った冷たい言い方に聞こえるかもしれないが」
マトリョーシカは黙って聞いていました。アレクサンドルはさらに続けます。
「それに、あなたは一国の女王ではないか。自分の悲しみだけに閉じこもっていてはいけない。それは許されないはずだ。一国の女王は全ての悲しみを受け入れる。国民の全ての悲しみを受け入れるのだ。マリアだけの悲しみではない。だから、立ち上がってほしい。これまでどおり立ち上がってほしい」
マトリョーシカがなおも黙っていたため、アレクサンドルの苛立ちが爆発しました。
「もうこれ以上言っても仕方がないか。いや、これが最後の言葉だ。君がふさぎ込んでいるのを、マリアは望んでいないよ。マリアは君のために死んだ。今度は君がマリアの“生まれ変わり”になる番だ。マリアの生まれ変わりになってみろ!
それに、何が一国の女王だ。君がこんなに“意気地無し”とは知らなかった。僕は君の夫になるのが恥ずかしい。もう君の夫になるのは嫌だ!」
アレクサンドルがこんなに怒ったのは初めてのことです。彼は言うだけ言うと、さっさと部屋を出ていきました。さすがに、マトリョーシカはショックでした。特に最後の言葉は決定的です。アレクサンドルに見捨てられる自分など、想像もできません。こうして、マトリョーシカはようやく立ち上がりました。
彼女は再び銀の甲冑を身にまとい、あのジャンヌ・ダルクのように先頭に立ちました。もうマリアはいませんが、自分がマリアの生まれ変わりになった気持で先頭に立ったのです。人民義勇軍やサハリン軍の士気は元に戻りました。ベラもナディアも心機一転、マトリョーシカに付き従ったのです。

マトリョーシカの完全復帰は、サハリン側だけでなくヤマト帝国軍をも喜ばせました。オオドマリの決戦で圧勝したあと、皇帝カワミミノミコトはシベリア勢に対し一段と攻勢を強めました。最新兵器「飛行船」を大いに活用したのはもちろん、陸戦でも重装備の歩兵を有効に使ったりしました。このため、陸戦が得意なシベリア勢も思わぬ苦戦を強いられたのです。
とは言っても、サハリン島の中・西部や北部はまだシベリア軍の支配下にありました。サハリン王国やヤマト軍が勢力を回復するには、並大抵のことではありません。全力を出して戦わなければ、シベリア軍を駆逐することはできないのです。
ところが、ここへ来てある大きな“異変”が起きました。中・西部全般の戦線にわたって、サハリン軍やヤマト軍が攻めてもシベリア軍は一向に反撃してこないのです。反撃するどころか、兵力を縮小・撤退しているのではといった様子も窺えたのです。そして、6月下旬。シベリア軍は一斉に撤退を始めました!

これにはサハリン軍もヤマト軍も驚きました。いったい、何が起きたのか・・・始めのうちは皆目(かいもく)分からず、狐につままれた感じです。そのうち、どうやらゲルマン帝国軍がシベリアに侵入してきたらしいという噂が広まりました。スターリン皇帝も大急ぎで首都のヤクーツクに戻ったとか・・・
そうです。ヒトラー皇帝率いるゲルマン帝国軍十数万人が突然、シベリア帝国に襲い掛かったのです! シベリア勢にとっては、もうサハリンなど物の数ではありません。どうでも良くなりました。それより、祖国シベリアが滅びるか、生き残れるかの重大な事態を迎えたのです。
スターリンはヒトラーの動きを少し甘く見ていました。いずれゲルマン帝国とは雌雄を決しなければと思っていましたが、スターリンはその時期をもっと先だと予測していたのです。だからサハリン戦争に血道をあげていたのですが、こうなったらサハリンどころではありません。祖国が滅亡するかどうかの瀬戸際になったのです。
歴史家はこれをどう見るか分かりませんが、サハリン王国にとっては思いも寄らない事態、いや「僥倖」と言えるのでしょう。サハリンはいっぺんに平和になりました。

 シベリア軍が去って、サハリン軍とヤマト軍は急に暇になりました(笑)。ヤマト帝国の皇帝カワミミノミコトはマトリョーシカに祝意を伝え、帰国の途についたのです。カワミミノミコトは最新兵器「飛行船」などが大活躍し、宿敵シベリア帝国に圧勝したので非常に満足していました。これに対し、皇帝の弟タケルノミコトや従兄弟のスサノオノミコトは、これからシベリア軍を相手に輝かしい武功を立てようとしていただけに、何か拍子抜けという感じでした。しかし、ヤマト帝国軍はサハリン王国を助けその危急を救ったのですから、胸を張って帰国できるでしょう。
一方、シベリア帝国は存亡の危機を迎える深刻な事態になりました。ゲルマン帝国の来襲については触れましたが、両国は前にも述べたように「不可侵条約」を結んでいたのです。しかし、西ヨーロッパの大半を制覇したヒトラー皇帝は目を東に向けることになりました。もともと、ゲルマン・シベリア両国は“不倶戴天の敵”と言われてきただけに、今度の戦争が起きておかしくはありません。ただ、不可侵条約があまりにも早く破られたということです。
ゲルマン帝国には「ゲルマン民族至上主義」という思想があって、ゲルマン人はスラブ人やユダヤ人など他の民族より優秀であり、世界を支配しなけれならないという信念がありました。このため、スラブ系のシベリア帝国はゲルマン帝国に服従すべきだという考えが生まれ、ゲルマン帝国の奴隷になるか、さもなくば滅びろという極めて自分勝手な思想になったのです。
こんな考えは通用する筈がないのですが、ゲルマン帝国の多くの国民はその思想を信じていました。そして、それを実現してくれるのがヒトラー皇帝であり、帝国そのものだと考えたのです。だから、ゲルマン帝国の攻撃は情け容赦がなく峻厳そのものでした。いわゆる「民族浄化」の戦いだったのですね。
シベリア帝国内の主な都市がほとんど攻撃され、旧都・モスクワも危なくなりました。スターリン皇帝は全力を挙げて防衛に当たりましたが、ゲルマン帝国の攻撃は凄まじくシベリア軍はいたる所で敗退したのです。
こうしたユーラシア大陸の動静と関係なく、サハリン王国は全く平和になりました。平和になったのは有難いとしても、その原因がヒトラー皇帝の攻撃命令だったとは何とも皮肉なものですね。歴史とは、そうした思いも寄らない“皮肉”の上に成り立っているようです。

 この物語も終わりに近づきつつあります。長い間、ありがとうございました。後もう少しです。
さてマトリョーシカですが、平和の到来とともに普段の女王の生活に戻りました。彼女が最も望んでいるのは夫アレクサンドルとの平和な日々ですが、その前に、延び延びになっている結婚式を挙げることでした。8月のある日、2人はトヨハラの旧王宮でささやかに式を挙げたのです。
この式典にはツルハゲ前国王やソーニャ・カチューシャ両王太后らも列席しましたが、その日を境に、トヨハラ(豊原)がサハリン王国の新首都になりました。これは予てよりマトリョーシカが決めていましたが、トヨハラが旧カラフト国の首都であったこと、父母のスパシーバ王子やリューバ妃の“ゆかりの地”であることなどが挙げられます。しかし、10年単位で首都を見直すことにしており、これまでのノグリキに戻ることもあります。いわば、東京と大阪で交互に首都を受け持つようなものですね。
晴れて結婚式を挙げたマトリョーシカは、ようやく「女を取り戻した」感じです。アレクサンドルに「私は明日から、女でなくなります」と告げ、部隊を引き連れシベリア軍と戦った日々は過去のものとなりました。“ジャンヌ・ダルク”の時代は過ぎ去ったのです。
夫アレクサンドルと愛の日々を取り戻したマトリョーシカは、次々に子供を産んでいきました。彼女はなんと10人の母親(男の子5人、女の子5人)になったのですね。まるでどこかの「入れ子人形」にそっくりではないですか(笑)。
マトリョーシカ女王の名前の由来を明かしたようなものですが、最後に彼女らしい逸話を紹介してこの物語を終わりたいと思います。

それはトヨハラに遷都してから3年余り後ですが、高齢のツルハゲ前国王が死去した時の話です。前国王の葬儀を済ませたある日、マトリョーシカはアレクサンドルにこう告げたのです。
「お爺様(前国王)が死去したことで決心がつきました。前にも言いましたが、この際、王制から共和制に移るための国民投票を実施します。了解してくれますね」
アレクサンドルはこれまでマトリョーシカから内々に聞いていた話なので、少しも驚きません。彼も共和制支持なのです。しかし、重臣たちはほとんどが王制(君主制)支持なので、国民投票そのものに強く反対すると思われます。その辺を察して、アレクサンドルが言いました。
「私はもちろん賛成だが、重臣たちは王制支持なので、国民投票には強く反対するだろうね。しかし、国民のあなたへの支持が高いから、最後は妥協するのでは・・・」
つまり、マトリョーシカ女王は絶大な人気があるので、王制は問題なく支持されるものの、国民投票という民主的手段には重臣たちの反発が強いという意味でしょう。マトリョーシカはアレクサンドルの了解を取り付けると、覚悟を決めてパーヴェル宰相らとの話し合いに臨みました。
重臣たちを代表するのはパーヴェル宰相のほか、最長老のジューコフ将軍、ジェルジンスキー将軍の3人です。マトリョーシカにはアレクサンドルが付いていました。
冒頭、マトリョーシカが王制から共和制に移行すること、その体制変換に国民投票を実施することの2点を説明すると、重臣の3人は暫く“ポカン”としたまま意味が分からなかったようです(笑)。しかし、やがてマトリョーシカ女王の真意が伝わると、3人は驚くと同時に猛然と反対してきました。
「陛下、冗談ではありませんよ! 共和制というのは要するに民主制のことでしょう。民主政治などは“衆愚政治”ということで、古代ギリシャの昔から馬鹿にされてきましたよ。平民や庶民が政治をするんですか。冗談じゃありません! まして、そのことを国民投票とかで賛否を問うなんて・・・信じられません。私は絶対に反対です!」  パーヴェル宰相が真っ先に猛反対しました。

 さらに、ジェルジンスキー将軍が続きます。「旧カラフト国もロマンス国も、ずっと王制でやってきた。共和制など一度もありませんよ。国民投票で賛否を問うなんて聞いたことがない!」と、いかにも苦々しいといった口調で反対論を述べました。
ジューコフ将軍も「お二人と同様、私もむろん反対です」と、反対論は当然と言わんばかりの発言でした。3人の意見が出終わると気まずい沈黙が続きましたが、暫くして、パーヴェル宰相がまた口を開きました。
「少なくとも、われわれが王制を支えてきたのです。私たちが王制を支えなければ、誰が支えると言うのですか。民衆が支えるのですか?」 パーヴェルの発言はもっともに聞こえました。彼ら重臣や将軍たち、いわば“貴族階級”が王制を支えてきたのです。それは事実でしょう。しかし、次のマトリョーシカの発言は痛烈で、これも事実だと思います。
「宰相は自分たちが王制、つまり君主制を支えていると言いましたが、王制や君主制でなければ自分たちの“存在価値”が無くなるのです。だから、王制はあなた方にとって必要なのでしょう。共和制になったら、あなた方は必要ではなくなるのです。つまり、無用の長物になるのです」
ここまで、はっきりと言う王や女王がいるでしょうか。発言の善し悪しはともかく、パーヴェル宰相らは二の句が継げなかったといいます。結局、マトリョーシカ女王の布告によって、王制か共和制かの是非を問う国民投票が初めて実施されることになりました。
この時代、「国民投票」が行なわれるのは極めて異例のことなので、準備や手続きなどにかなりの日数がかかりました。それに、一般の人は政治制度の問題にほとんど関心がなく、何のために国民投票をするのかといった雰囲気でした。しかし、マトリョーシカは真剣で積極的でした。投票を行なうこと自体、意味があると考えていたのでしょう。
結局、王制か共和制かの問題と、マトリョーシカ女王の是非を一緒くたにした形で国民に問いたため、投票の結果は“ワンサイド”でした。女王の人気が圧倒的に高かったので、王制は難なく支持されたのです。だいたいこの時代に、民主主義が何たるかも分からない時代に、国民投票など早すぎましたね(笑)。
しかし、この出来事はマトリョーシカがいなければあり得なかったことで、人々は「不思議なことを行なう女王」だと語り合ったといいます。

 マトリョーシカの逸話を紹介したのでこの物語を終わりますが、彼女は熱烈な共和制支持者でした。それはアレクサンドルやマリア、ベラやナデイアら平民(庶民)と仲が良かっただけに、自然に生まれた価値観かもしれません。また、人民義勇軍のいわゆる“ジャンヌ・ダルク隊”を引き連れ、シベリア軍と戦った経験などに裏打ちされているかもしれません。とにかく、彼女は熱烈な共和制支持者でした。
そのマトリョーシカが国民に絶大な人気があり、彼女への好感が王制への支持に繋がったのであれば、これも歴史の皮肉だったと言えるでしょう。マトリョーシカの人柄、旧カラフト国とロマンス国の血筋をひく数奇な運命、両親の不幸な死、逆に10人の“子宝”に恵まれた幸せな結婚生活、アレクサンドルとの夫婦愛・・・それに何と言っても、2度にわたる「サハリン戦争」を生き抜いてきたことなど、国民の圧倒的な人気を得る要素が彼女にはありました。
マリアが戦死した時、悲しみに打ちひしがれ立ち上がれなかったことも、友だち想いのマトリョーシカという印象を人々に与えました。あの時はアレクサンドルの叱声で立ち直ったのですが、これも夫婦愛の一つの現われでしょう。以後、マトリョーシカはマリアの“生まれ変わり”という自意識のもとで生きてきたのです。
彼女は数十年もサハリン王国の女王でいました。心残りがあるとすれば、それはアレクサンドルに「共同統治王」になってもらえなかったことです。何度も彼にお願いしたのですが、そのつど断られました。理由は簡単です。「僕は王族は嫌だよ。平民・庶民のままでいい。その方が僕にふさわしいのだ」
重臣たちも、アレクサンドルの共同統治王就任を願っていました。その方が王制がしっかりするからです。しかし、彼は絶対にそれを受け入れませんでした。アレクサンドルは根っからの共和制主義者だったんですね。政治信条がどうであろうとも、彼は人間として多くの人から信頼され、尊敬されていたのは事実です。
なお、マリアやナディアがアレクサンドルを慕っていたのも事実です。しかし、“王女様”のマトリョーシカが現われると、さすがに彼女らも遠慮したようですね。おっと、男女間のどうでもいい話は止めましょう(笑)。とにかく、マトリョーシカは大勢の人から愛されたようです。【完】

 <御礼>
これで、第1部「スパシーバ王子とリューバ姫」からの物語を終わります。長い間、ありがとうございました。

 


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