武弘・Takehiroの部屋

われ反省す 故に われ在り

青春の苦しみ(16・最終回)

2024年06月09日 02時43分10秒 | 小説・『青春流転』と『青春の苦しみ』

17)エピローグ

 外気の寒さがまだ残る日々だったが、冬は一歩ずつ遠のき、すぐそこに春の訪れが近づいている。行雄は全ての学業から解放され、後は春の到来を待つだけという気分になった。 やがて試験の結果が発表され、彼はほとんどの課目で「優」を取ったが、そんなことより卒論の「優」の方が何よりも嬉しかった。

 そして、卒業式を前にした3月中旬、大学近くのS蕎麦店で仏文科のお別れ会が開かれた。A、B両クラスの合同コンパだったので40人以上の学生が出席し、中山教授やO教授ら5人の教官も同席した。大人数だったので、二階の大広間もぎゅうぎゅう詰めの状態である。 初めはおおむねクラス別に座っていた学生も、宴がたけなわになってくると席を移したりして交歓した。

 行雄も初めは高村や徳田らと一緒だったが、気持良く酔ってくるとAクラスの片山順一らの所に行って雑談に興じた。すぐ側にBラジオ放送(Fテレビの関係会社)のアナウンサーに採用された加藤貴美子(Aクラス)がいたので、片山が系列会社の誼みもあって親しげに語りかけていた。

 彼は人当りが良く話し上手だったので女性から人気があったようだが、目のクリクリした可愛い顔立の加藤とは、すっかり意気投合して話しに花が咲いていた。彼女はラジオの研修体験など、つい最近の出来事を失敗談も交えて面白おかしく話すので、行雄も吊られるように聞き入っていた。

「わたし、ゆくゆくは“ディスクジョッキー”になりたいの」加藤が明るい声を上げる。「君は話しが面白いから大丈夫だ。そうなったら、俺はしょっちゅうリクエストするぞ。早くそうなれよ」片山が彼女を励ました。 「でも、シャンソンは駄目よ、古臭いわ。最近のポップミュージックじゃないと受けないわよ」加藤がそう答えたので、周りの男連中がどっと笑い声を上げた。

「そりゃあそうだ。歌と言えば『枯葉』や『ラ・メール』ぐらいしか知らない俺達では、貴美子に注文するのは無理だな」小柄でむっつりした風貌(学者風)の男が混ぜ返したが、彼こそ渡辺悦子の恋人の会沢邦彦だった。 「まあ、昔の名曲の時間でも作ってもらえば、リクエストするか。加藤は、どうも時代の“最先端”を行きそうだからね」Aクラスの誰かがそう言うと失笑が漏れた。

 そんな雑談に興じていると、大学院へ進むことになった小村と滝川が、ビールや徳利を持ってやって来た。「やあ、就職する諸君、君達の前途を祝して一杯やろう!」小村が甲高い声を上げる。「おお、大学院組か、しっかり勉強してくれよ」「まずは、いい助手になれ!」「30年後は大学教授だ!」就職組の男達がエールを送った。

 その場が賑やかになって、今度は大学院組との話しに花が咲く。行雄はもっぱらビールを飲んでいたが、相当に酔ってきた感じがした。しかし、大学最後のコンパではないか。今日ぐらいは大いに飲んで憂さを晴らしたい気持だった。

 小村と滝川はこのあと席を外して、女性が何人も固まっている方へと移った。そこには百合子や小野恭子らがいた。 お喋りで屈託のない小村が何やら言うと、女の子達がどっと笑い転げている。百合子も楽しそうに笑っていたが、その表情を見て行雄はある種の“寂しさ”を感じた。

 彼女を見るのも、今日ここが最後になるかもしれない。これが見納めか・・・待てよ、卒業式の日には又、会えるかもしれない。 しかし、大人数の卒業式で彼女と会えるだろうか。何千人分の一ではないか、見落とすことだってあり得る。ということは、これが今生の別れになるかもしれない。 そんなことを考えていると突然、中山教授が立ち上って大きな声を張り上げた。

「諸君、小生が最も得意とするシャンソンを今から披露するから、よく聴いてくれ。これは、諸君の卒業の“はなむけ”とするものである。 滅多に歌わないのだから、高くつくぞ~」 拍手と笑い声が起きた。「先生、上手く歌ったら皆で1万円差し上げますよ」徳田が混ぜ返したので、また笑い声が上がった。

「ふむ、君に言われるとはな」 中山教授は苦笑しながら徳田を一瞥すると、ワイングラスを片手にして歌い始めた。それはエディット・ピアフ作詞の「愛の讃歌」であった。小太りの彼は顔を紅潮させ、身体を揺すりながら情感たっぷりに熱唱するのだが、音程がしばしば狂うので大広間は失笑で溢れた。

 それでも彼は、身をよじったり揺すったりしながら歌い続ける。あちこちから拍手や歓声が起きる。 中山教授は堂々と歌い終えた。「どうだ、諸君。僕のフランス語は素晴らしかったろう」「先生、やはり1万円は差し上げられません」 徳田の皮肉にまた笑い声が起きた。

「それじゃ、今度は君達の番だ。シャンソンでも演歌でも何でもいいから、歌ってくれ。最初に歌ったのだから、僕に指名権があるぞ。 まずは、生意気な口をきいた徳田からだ。上手く歌ったら千円あげるよ」「ご指名とあらば仕方ありません。不肖、私から歌います」

 徳田が中山教授の姪である小野と結婚することは皆が知っているので、二人のやり取りは身内の“じゃれ合い”みたいなものだった。 すぐに徳田は「セシボン」を歌い始めた。少しハスキーな声だったが、味のある歌い方で音程もしっかりしていた。こちらの方が明らかにシャンソンらしい。彼が歌い終えると拍手が湧いた。

「だめだめ、君のフランス語はまだ本物ではない。千円あげるのは止めておこう」 中山が大げさに首を振って言ったものだから失笑が漏れた。座はすっかり寛いだ雰囲気となり、徳田に指名された者から次々に歌声が上がっていった。

 行雄の番になって、彼は意表を突く形で「異国の丘」を歌い始めた。「古いなあ、君は」「民族派だね」「どこでそんなの覚えたの」級友達がからかってきたが、彼はこの曲が好きだったので気持良く声を張り上げて終った。 やがて百合子の番になったが、彼女は小野恭子とデュエットで「河は呼んでいる」のシャンソンを歌った。

「マ~プティテ コ~ムロ エレコム ロ~ヴィ~ヴ エ~ル ク~ル コマン リュイソ~(Ma petite est comme l'eau、Elle est comme l'eau vive, Elle court comme un ruisseau)・・・」  彼女達の涼しげな声が流れてくる。行雄はこの曲が大好きだった。中原美沙緒の歌をテープに撮ってどれほど聴いただろうか。いま、百合子がそれを歌っている。

 彼はふと、以前、歌舞伎研究会の発表会で、彼女が長唄を唄っていたことを思い出した。その時とはまったく状況は違うが、いま、彼女の“おちょぼ口”から清々しい歌声が流れてくる。 それを聴いていると、行雄は束の間だが涙ぐんだ。酔いのせいもあるだろうが、百合子の口から大好きなメロディーが流れてきて胸が熱くなったのだ。

 彼女達の透き通るような歌声が止むと、一斉に拍手が湧き起こった。行雄も盛んに拍手を送った。 皆の歌が終る頃になると、飲むものも飲み食べるものも食べたせいか、ほとんどの人が心地良い酔いと軽やかな疲労を感じているようだった。

 すると、誰かが「おい、皆で会沢君と渡辺さん、徳田君と小野さんのお祝いをしようじゃないか」と、大きな声を上げた。「賛成、賛成!」「4人とも前に出て」「結婚宣言でもしてもらおうか」「想いを語ってもらおう」誰彼となく言う。皆の視線が4人に注がれたので、彼らは恥ずかしげな表情を浮かべ、勘弁してくれという様子だった。

「よしっ、今さら挨拶でもないだろう。4人の門出と、諸君の船出を祝して皆で乾杯といこうじゃないか」 中山教授が切り出したので全員が立ち上がり、最年長のO教授の音頭で乾杯した。「最後は、やはり『都の西北』だな・・・僕が音頭をとるから皆で歌おう!」

 中山教授が呼びかけ、やや音程の狂った調子で前奏を口ずさむと、皆は肩を組んだりして「都の西北」を歌い出した。 剽軽ものの宮部進が指揮者のように腕を振って“景気”をつける。行雄は相当に酔っていたが、高い声を張り上げて校歌斉唱に和した。

 歌詞の3番で「集まり散じて 人は変れど 仰ぐは同じき 理想の光・・・」という所にくると、彼は胸が熱くなった。 百合子も女友達と肩を組んで楽しそうに歌っている。彼女の頬は少し上気したせいか“トキ色”に輝いていた。 行雄は百合子ら同窓生と別れることを実感した。

「都の西北」が終ると、コンパは予定時間をかなり超えて解散となった。高村と徳田がもう少し飲みに行こうかと誘ってきたが、行雄は酩酊していた上に早く一人になりたくてそれを断った。 彼は大広間から一階に下りた所で百合子に並ぶと「中野さん、さよなら」と声をかけたが、彼女は一瞥を送っただけで無言のままだった。彼は彼女の側を通り過ぎると逃げるようにして立ち去った。

 

 それから数日後に、卒業式の日を迎えた。 前日の雨空とは打って変って、目の覚めるような快晴の日和である。初春だというのに気温も上昇し、行雄は学生服を着ているのが少し暑苦しく感じられるほどだった。

 卒業式典は記念会堂で行なわれ、卒業生をはじめ教職員や父兄、関係者らが1万人近く出席しただろうか、厳粛で盛大な催しに行雄は身が引き締まる思いがした。 大浜信泉総長の式辞に始まり、来賓である大学先輩の井深大ソニー社長らの祝辞などが続き、各学部の首席卒業生に卒業証書が授与された。

 式典の最後に校歌「都の西北」の斉唱が行なわれた後、卒業生達は各学部の事務所に赴き銘々の卒業証書を手交される。 行雄は文学部の事務所で証書を手にしたが、そこは大勢の卒業生で溢れていた。彼は事務所を出てキャンパスを横切ろうとしていると、20メートルほど先に百合子が数人の女友達と連れ立って歩いているのが見えた。

 彼女は水色の振袖を着ている。行雄はハッとして立ち止まったが、通り過ぎる彼女らに近寄ることはできなかった。彼女の方はこちらに気付いていないようだ。 先日のお別れコンパが見納めだと思っていたら、もう一度、百合子の姿を見ることができたのだ。彼女の後ろ姿は事務所の中へと消えていく。それを見送った後で、今度こそ全てが終ったと実感した。もう二度と、百合子には会えないかもしれない。

 行雄はキャンパスを横切ると文学部の校舎の方を振り返った。まだ多くの学生が“たむろ”している。 この大学ともお別れだ。数多くの苦渋とささやかな喜びを与えてくれた学舎(まなびや)よ、さよなら。悲哀と苦悩で俺を包んでくれたキャンパスよ、さらば! 呪われたキャンパスよさらば 最後に再び、彼は心の中でそう叫び大学を後にした。

  やがて、Fテレビの入社式の日が来た。父兄同伴ということで、行雄は国義、久乃と連れ立って河田町の社屋を訪れた。 入社式は最も大きなスタジオで行なわれ、M社長、S副社長の式辞や歓迎挨拶などがあった後、別のスタジオに移って懇親会が催された。

 行雄の一家は他の3人の新入社員とその父兄と共に、F専務が座っている丸テーブルに着席した。和洋折衷の料理が次々に出され、ビールや日本酒も出回って和やかな会食が始まった。 国義はF専務の隣に座っていたが、酒が好きな上にこういう宴席に慣れているせいか、専務にビールを勧めては座談に興じていた。

 そのうちに、国義はほど良く酔ってきたのか饒舌になり、隣の行雄を指差しながら話し出した。「専務、うちのこの愚息は少し変な所がありましてねえ、勉強は良くやりますが、それ以外の社会常識というのはまったく駄目なんですよ。 昔は全学連でわいわい騒いでいたので、親としては随分困ったものです」「いやいや、誰でも若いうちはいろいろありますよ」 F専務はニコニコ笑いながら答えた。

「それがですねえ、その後は女の子を好きになったりしたようですが、まったく不器用と言うか世間知らずと言うか、やり方がホントに下手なんですなあ。 専務、何も分かっておらん息子ですが、これから一つ何かと宜しくお願いいたします。仕事だけでなく、社会常識と言うか“遊び”の方も含めていろいろ教えてやって下さい」

 国義の言葉に、久乃が堪り兼ねて「あなた」と苦笑しながらたしなめた。行雄は忌々しくなり父をにらみ付けた。 さすがに、F専務も何と答えてよいか分からず黙ってしまったので、座が白けた。すると、行雄達の隣に座っている眼鏡をかけた白髪の老紳士が口を開いた。

「専務、うちのこの息子も大変未熟者ですので、宜しくお願いいたします。まだ、まったくの青二才ですので」 老紳士の一言で、気まずい雰囲気が少し和らいだ。他の父兄も自分達の息子のことを取り上げて話したので、行雄は救われる思いがした。『オヤジの奴、余計なことをべらべら喋りやがって』と思ったが、座の雰囲気が良くなったので胸を撫で下ろしたのである。

 懇親会が終ると、まだFテレビの中を見たことがない父兄のために、総務部と人事部の社員が見学の案内を務めることになった。 大勢の父兄と共に国義と久乃は社内見学をすることになったが、行雄は父母から早く離れたかったので一人で帰路についた。

 

 入社式から数日して、行雄達新入社員はFテレビの人事部に呼び出された。今日は辞令が交付される日だ。 皆が部屋で緊張気味に待機していると、河野人事部長と柴田副部長が現われた。背が低くてずんぐりした河野部長は、眼鏡の奥の目元にやや意地悪げな笑みをたたえて、一人々々に配属の辞令を手渡していく。

 行雄の番になった。「村上君、君は報道部に行ってもらうことになりましたので、宜しく」 部長から小さな“紙切れ”が行雄に手渡された。彼は愕然とした。紙切れには『報道部勤務を命ず』と記されている。 自分は制作部へ行くものと期待していたため、身体の力が抜けていくように感じられた。

 そして、自分は報道部でやっていけるのだろうかという不安に襲われた。それと同時に、報道部の石山副部長の顔が思い出された。彼が人事部に掛け合って自分を報道に呼んだのだろうか・・・ そんなことは無論分からないが、行雄は制作部という目当てが外れ憂うつな気分に陥った。

 一方、報道を志望していた片山順一は、これも期待を裏切られ、運行考査部という常時“オンエア”をチェックする事務的な部門に配属された。人事発令が終ると、片山もショックをぬぐい切れない面持ちで語りかけてきた。

「村上、君は良かったな。報道ならやりがいがあるぞ」「いや、まったく予想もしていなかったよ。僕は制作に行くものとばかりに思っていたんだから」行雄が不満げに答えた。「いや、報道はこれから最も重要なセクションになっていく所だ。俺が代りに行きたいぐらいだ」

「しかし、不安だな、報道でやっていけるかな? 僕はドラマやドキュメンタリーを作りたかったんだ、当てが外れたよ」 「何を言ってるんだ。俺なんか運行考査だろ、1年や2年は我慢するけど、その後は必ず報道の現場に行ってやるからな」 片山が“ぼやく”のを聞いて、人事に不満を覚えているのは自分だけではない、他にも多くの同僚が同じ目に遭っているかもしれないと思うと、行雄はようやく平静な気持に戻った。 

 とにかく働くしかない、会社勤めをした以上は人事発令に従って働くしかないではないか。 報道部に配属されて不安が募るが、社会主義流に言えば「働かざるもの食うべからず」ということか、資本主義流に言えば「職を与えてもらっている」ということかと、行雄は取り留めのないことを考えていた。

 しかし、彼は制作の職場研修の時に山本富士子や力道山に出会ったこと、またドラマ作りの面白さなどを思い出し、いずれ自分はディレクターとして、吉永小百合や十朱幸代といった若い女優と一緒に仕事ができるのかと思っていた甘い夢が、遠い彼方へ消えていくのが恨めしかった。

 代りに、伊豆山の研修所で見たテレビ中継、三池三川鉱の大爆発や鶴見の列車衝突大事故のことを思い出し、報道の重要な使命というものに身が引き締まるのだった。

  Fテレビでの配属先が決まってから、実際の出社までには二週間ほど余裕があったので、行雄は東京の街を出来るだけ見ておこうと思った。前年の夏休みにも各所を見て回ったが、オリンピックを半年後に控えた様子を更に知りたいと思ったのだ。

 前年に比べて、高速道路や地下鉄、一般道路の整備、オリンピック施設やホテルなどの建設は一段と進んでおり、国立競技場や代々木の屋内総合体育館などの建設現場に近寄って見ると、世紀の祭典が間もなくだという実感が込み上げてきて胸がときめくのだった。

 彼はそれだけでは物足りず、都内の名所もついでに見ておこうと、浜離宮や原宿界隈、新宿御苑や上野公園などにも足を運んだ。 これだけゆっくりと都内を散策したのは初めてだったが、出社の日が近づくにつれて、なぜかもう一度早稲田界隈も見ておきたいと思った。

 行雄は高田馬場駅から“呪われたキャンパス”へ向って歩いた。 甘泉園を通って大学構内に入った時は夕暮れどきだった。人影は疎(まば)らだったが、寂しげな風情はまったく感じられない。 よく通った演劇博物館の前を通り過ぎて大隈侯の銅像の方へ向う時、彼は何とも言えない郷愁を覚えた。

 ここで、俺はどれほど多くの人と出会っただろう。何と多くの出来事に遭遇しただろう。 入学した時の全学連での活動、闘争の思い出が甦る。集会、デモ、オルグ、演説、ビラ配り・・・それらは全て遠い過去のものとなったが、決して忘れることができない。行雄は感傷的な気分に浸った。

 旧文学部校舎の前に来ると、嫌でも百合子のことが思い出される。 あの11月7日、正面階段を一歩一歩ゆっくりと下りてきた彼女の幻影が目の前に浮ぶ。つい昨日の出来事のようではないか! その後、俺達はあの昇降口を下りてK教授のプルーストの講義に出席したのだ・・・感慨に耽りながら校舎の前を通り過ぎると、行雄はそのままS喫茶店に入った。

 ここにも数多くの思い出がある。どれほど多くの人とここで出会い、話し合ったことか・・・そう懐かしんでいると、彼は在学中に百合子と“一度も”喫茶店に来たことがないことを思い出した。 

 何ということだ! あれほど好きだ惚れたと言っていた女性と、俺は大好きな喫茶店に一度も来たことがないのだ! こんなことがあるだろうか。百合子とデートしたのは、学生会館の面会所での一回きりだ。あれほど彼女を追いかけ回していたというのに、デートはたったの一回きり・・・これが恋と言えるのか?

 だから無論、百合子の手に触ったこともなければ、彼女の家へ遊びに行ったこともないし、相手の家族構成がどうなっているかといったことも何一つ知っていないのだ。彼女の血液型はもとより誕生日さえ知らないのだ。これが本当の恋と言えるだろうか? 仮にそれが“淡い恋”だったとしても、中学・高校時代の雨宮和子や森戸敦子との方が、百合子の場合よりもはるかに多くのことを知っていたのだ。

 こんな不可解な恋があるだろうか・・・いや、不可解と言うよりも、残酷で理不尽で“異常な恋”だったのだ。 異常な恋・・・それは確かだ。あんなに恋いしていたのに、どうして絶望感に苛まれ、砂を噛むような苦い日々を送らねばならなかったのか。

 俺は自分の「欲情」を適正に表わし、それを満たすことが出来なかったのだと思う。欲情を汚らわしいと思っていたこともあり、また未熟であったため、それを素直に現実化、つまり実現できなかったのだと思う。 徳田の場合は小野恭子との間で実現できたが、俺の場合はそれが出来なかったのだ。この一点で、自分と徳田では大きな違いがあったのだ。

 従って、俺は百合子をオナニーの対象、つまり“オナペット”にするしかなく、正常な欲情をベールに包み込み陰微なものにしてしまったのだ。 但し、俺は未熟だったせいか、百合子の肉体に底知れない恐怖を感じていた。彼女の肉体に没入していく危機感を抱いていた。

「誰でも、情欲を抱いて女を見る者は、心の中ですでに姦淫(かんいん)をしたのである」というキリストの言葉が真実であるとすれば、自分ほど姦淫をした者がこの世にいるだろうか! 少なくとも百合子に対しては、自分がこの世で“ナンバーワン”の姦淫者であると、行雄は思わざるを得なかった。(そして彼は終生、姦淫者であり続けるだろう。)

 その最大の姦淫者が、相手の指や手を握ることも出来ず、日々悶々としてのたうち回っていたことこそ“異常な恋”だと断言できるのだ。 行雄が妄想の中で絶えず描いていたことを実行していれば、彼と百合子の運命は決定的に変ったはずである。

 しかし、そういうチャンスがあっただろうか。それは絶無だったはずだ。 なぜなら、それまでに至る道程が余りに険しく、古い道徳観念に縛られていた行雄にとっては、チャンスを物にすることはまったく無理であり、また百合子の方も、奔放な性観念を持っているはずはなかったからである。

 そう考えてみると、自分はいつも「肉と霊」の葛藤に苛まれていたのだ。欲情と精神の相克の間で揺れ動いていたのだ。それが「煩悩」と言うものだろう。 百合子に対する憧れは欲情を基にしたものであり、あらゆる幻想と妄想がそれに付きまとって、真実の恋だと思っていたものが偽りの恋に変質してしまったのだ。

 行雄はそう考えると、またも罪の意識を覚えた。 俺は罪を犯したのだ。結果的にとは言え、偽(にせ)ものの恋で相手をたぶらかしたのだ。俺は謝罪しなければならない。懺悔して謝らなければならない。このまま黙って永遠に別れても良いかもしれないが、“ケジメ”を付けておこう。 そうすれば、自分の罪悪感は多少は和らぐだろう。喫茶店のシートに深く身を埋めながら、彼は百合子に最後の手紙を書こうと思った。

 翌日、行雄は手紙を書き始めたが、いろいろな想念が湧いてきて思うように筆が進まない。少し書いては破り棄てたりしていたので、彼はFテレビへの出社前日まで放っておくことにした。ぎりぎりの状態になった時の方が、すっきりとしたものが書けるような気がしたからだ。

 数日して出社の前日となった。行雄はできるだけ簡潔に手紙を書こうと思い万年筆をとった。くどくどとした長い文章は避けなければならない。

「拝啓 大学生活の四年間、いろいろありがとうございました。貴方との交友関係は、残念ながらうまくいきませんでした。その原因の大半は私にあったと思います。 今はあれこれ後悔したり反省することもありますが、終ったことに対して、いちいち弁解する気持はありません。全てがなるようになってきたものと考えます。

 ただ、私が極めて未熟であったばかりに、貴方に多大の迷惑をおかけしたことを、ここに深くお詫び致します。申し訳ありませんでした。 私は明日からFテレビで仕事を始めることになっています。不安と緊張感で一杯ですが、なんとか仕事に全力で当りたいと思っています。

 貴方におかれても、新しい社会生活の出発に際し御健闘をお祈り致します。月並みなことしか書けませんが、どうぞ御身体を大切にして頑張って頂きたいと思います。 長い間、本当にいろいろありがとうございました。

 貴方が幸多き人生を歩まれることを、心よりお祈り致します。私も未熟そのものですが、懸命に頑張って生きていくつもりです。 それでは、さようなら。 失礼致します。 敬具

 中野百合子様

村上行雄」

 手紙を書き終えると、行雄は自宅近くの郵便ポストに直ちに投函した。彼は全てが終った、全てが過ぎ去ったという感慨に浸った。 百合子に対し簡潔で在り来たりのことしか書かなかったが、心を込めた手紙だったので彼は清々しい心地になっていた。呪縛から解放された気持になり、行雄はその晩、安らかな眠りについた。 

 しかし、それから2日後、彼が出した封書は開けられないまま返信用の封筒に入れられ送り返されてきた。行雄はがっかりしたが、これで全てが終ったのだと実感したのである。あとは前を向いて生きていくしかない。出来るだけ過去のことは忘れて、歩んでいくしかないと彼は思うのだった。 (完。2005年12月2日)


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3 コメント

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有難うございます。 (矢嶋武弘)
2013-03-23 09:20:53
琵琶さん、読んで頂いて有難うございます。
「青春流転」の後半を、「青春の苦しみ」に置き換えました。
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Unknown (雨の日は)
2014-02-01 11:54:02
こんにちは

眼がダメなのでところどころしか読めないけど、とても懐かしい気持ちになります、若かりし頃の思い出とかさなり逢ってきます。
返信する
無理しないでください。 (矢嶋武弘)
2014-02-02 07:38:48
雨の日はさん、読んでもらってありがとうございます。青春の思い出です。
それはありがたいですが、くれぐれも眼の方をいたわり、無理をしないでください。
返信する

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