武弘・Takehiroの部屋

日一日の命
人生は 成るようになってきたし、これからも 成るようにしかならない

血にまみれたハンガリー(13・最終回)

2024年07月11日 03時17分59秒 | 戯曲・『血にまみれたハンガリー』

第十場(ブダペストの社会主義労働者党本部。カダルの部屋。 カダルのいる所にアプロが入ってくる)

アプロ 「いま入った報告だ、ナジ夫妻を逮捕したぞ」

カダル 「そうか・・・それで、ルーマニアへ連行するというのか」

アプロ 「うむ、隠密のうちにソ連軍兵士が連行している。 国民は誰も知るまい」

カダル 「私は、知って知らぬ振りをするわけか」

アプロ 「仕方がないだろう」

カダル 「ナジは反逆者ということで、処刑されるのだろうか」

アプロ 「ソ連が許すわけはない」

カダル 「政治とは非情なものだ。 運命の歯車がちょっと狂っただけで、私の方が処刑されたかもしれないのに・・・アプロ同志、私はナジがいなくなっても、彼の政治路線を推し進めていきたい。 勿論、ワルシャワ条約の廃棄や中立宣言は取り消すが、社会主義圏の中で、このハンガリーを最も自由で、民主化された豊かな国にしていきたい。 スターリニストの支配は、もうこりごりだ」

アプロ 「それはそうだ。君に任せられた仕事は、このハンガリーをどの社会主義国にも負けないような、豊かで立派な国に造り替えていくことだ。 われわれはソ連の監視のもとで、ハンガリーをより自由で優れた国家として再興しなければならない」

カダル 「しかし、民衆はわれわれを“裏切り者”と見て、冷たい視線を投げかけている。 われわれが努力を怠れば、われわれこそ今度は第二のラコシ、ゲレーと目されて、激しい攻撃を受けるようになるだろう」

アプロ 「心配するな。 私もミュニッヒもマロシャンも、君を支持し助けていく。ハンガリーは生れ変わるのだ。 絶えず民衆の心を心とし、公正な政治を行なっていけば、今は疑心暗鬼のハンガリー国民も、やがて君の誠意、君の真心を理解してくれるようになる。 悪夢は過ぎ去ったのだ。過去にとらわれず、未来に目を向けていこう」

カダル 「ありがとう。 ソ連軍に殺された多くの民衆、そしてナジやマレテルらの犠牲の上に立って、われわれはハンガリーを復興させていくのだ。私にはナジのあの眼差しが、すぐそこにあるような気がしてならない。

 それは、怒り狂ったクレムリンの指導者達の眼差しよりも、ずっと執拗に、はるかに注意深く私を見つめているように感じられる。 運命はナジと私を引き裂いた。国民がナジと私をどう評価するかは、未来と歴史が決めることだ」

アプロ 「これからのハンガリーを、混乱も紛争もないままに再建していけば、それで良いではないか。 この国を立派に再建すれば、歴史は、君の選択を正しいものとして評価するに違いない」

カダル 「うむ。私としては、今度の動乱で犠牲になった人達の遺族には、最善の補償をするように努力したい。 もう二度と、ハンガリーに悲劇が訪れないよう、“国民和合”の政治を進めていくしかない」 

アプロ 「ソ連もスターリンの亡霊から解放された。 ポーランドもその他の社会主義諸国も、変わりつつある。新しい時代の新しい社会主義が、確実にわれわれに求められている。 われわれは素直にそれを受けとめ、国民の立場を常に考えて、政治を行なっていかなければならない。 それを肝に銘じて、ひたすら努力していく以外に救いの道はないだろう」

カダル 「うむ。 為政者としてのわれわれがなすべきことは、それだけだろう」

 

第十一場(ウィラキ家の応接間。 ペジャ、ノーラ、アニコー)

ペジャ 「ノーラ、気を落とさないでと言っても無理かもしれないが、少しは元気を出してほしいんだ」

ノーラ 「・・・・・・」

ペジャ 「僕も悲しい。オルダスが亡くなるなんて、とても信じられない。 あんなに快活で気立ての良い男が、もうこの世にいないなんて、本当に信じられない。 でも、ノーラ、君までが食事も取らないで衰弱していくのを見ると、堪らないんだ。 お母さんも心配しているじゃないか、頼むから元気を出してよ」

アニコー 「フェレンツさんの言うとおりよ、ノーラ。 あなたが衰弱していくのを見ていると、私も胸が痛んで・・・もう一週間も、ろくに食事を取っていないじゃないの。 ノーラ、お願い、なんとか元気を出して、食事だけでも少しは取ってちょうだい」

ノーラ 「お母さん、ごめんなさい。でも、私はもうどうしてよいのか分からない。 オルダスがいないんですもの・・・私もソ連軍の銃弾に当たって、オルダスと一緒に死ねばよかった。 そして、オルダスの亡骸(なきがら)のすぐ側に埋められて、あの世へ一緒に行ければよかったのに・・・」(ノーラ、激しくむせび泣く)

ペジャ 「ノーラ、気の毒なノーラ、なんと言ってあげたらいいのか・・・」(ペジャも両手で顔を覆う)

アニコー 「私がこの子の代りになってやれるといいのに・・・」(アニコー、ノーラを抱き締める)

ペジャ (やや、決然として)「でも、ノーラ、君がそんなに悲しんでばかりいると、お母さんの容体がまた悪くなってしまうよ。 お母さんは、君が苦しむだけ苦しみ、君が嘆くだけ嘆いておられるのだ。 君の命は君だけのものではない、お母さんの命でもあるのだ。

 だから、お母さんのことも考えて、頼むから元気を出してほしいんだ。 実際、僕だって辛い。オルダスに先立たれ、こんなに惨めな運命になるなんて、思いもよらなかった」

ノーラ (涙をぬぐいながら)「フェレンツ、ごめんなさい。あなたにまでご心配をかけて」

ペジャ 「スープ一杯でも、パン一切れでもいいから取ってほしい。 そうすれば、お母さんも僕も安心するよ」

ノーラ 「ええ」

アニコー 「フェレンツさん、本当にありがとうございます。あなたの一言で、ノーラも変わると思います。 ところで、あなたは、どうしてもブダペストを出ていかれるのですか」

ペジャ 「ええ、昨夜もいろいろ考えてみました。 でも、結局はここを出て、ハンガリーからも去らなければならないと決めたのです。今日はそのお別れに来ました」

ノーラ 「フェレンツ、本当に行ってしまうの?」

ペジャ 「うん、行かざるをえない」

アニコー 「もう十数万もの人達がハンガリーを離れて、オーストリアの方へ亡命したと聞いていますが、あなたまで行ってしまうのですか。寂しくなります」

ペジャ 「仕方がないんです。 僕だって、本当はハンガリーにいたい。父や母、妹もいることだし、大学の友人もブダペストには大勢います。 でも、ここにいては、僕は“窒息”してしまいそうなんです。 ソ連軍に制圧されたブダペストなんて、とても見ていられないのです。

 それに、秘密警察だって、まだ僕らをしつこく追跡しているのです。あの連中は、ラコシやゲレーの時代と少しも変わっていません。 これから、われわれ“反政府分子”の摘発に力を入れてくるでしょう。 ナジ総理もマレテル将軍も、正統政府の閣僚の多くは逮捕され、いずこともなく連れ去られてしまったというではありませんか。

 ハンガリーはソ連によって、自由をはく奪されたのです。自由を失ったハンガリーなんて、もう僕らのいる所ではありません。 動乱の犠牲になった学友の霊を弔ったあと、僕は出来るだけ早く、ハンガリーを出ていくつもりです」

アニコー 「あなたのおっしゃることは分かります。 でも、動乱が治まり秩序が回復されて、進駐したソ連軍がやがて撤退する暁には、今の政府のもとでも徐々に、自由と自治が認められていくようになるかもしれませんよ」

ペジャ 「カダル新政府が、いずれ何をするかはまだ分かりません。 彼らも今度の動乱については大いに反省し、政治を行なっていくでしょう。しかし、基本的には、ハンガリーの自由と独立は奪われてしまったのです」

ノーラ 「フェレンツ、私もあなたと同じ気持よ。 でも、私はハンガリーを出ていくことはできない。 オルダスが眠るこのブダペストに・・・それに、母もここを離れたくないと言っているわ」

ペジャ 「ノーラ、君はお母さんを大切にしてあげなくては。それに、早く元気を取り戻してほしい。 君はまだ若いんだ。オルダスの霊に誓ってでも、君自身がこれから、幸せをつかんでいかなければならない。分かるね」

ノーラ 「ええ・・・でも、あなたまで行ってしまうなんて」

ペジャ 「僕はもう決心したんだ。 ハンガリーを離れれば、心の安らぎも幸せも得られないかもしれない。でも、僕には理想がある、夢がある。 いつの日か、自由なるハンガリーに戻れるかもしれない。ソ連の圧制から解放され、自由と独立を勝ち取ったハンガリーに、戻れるかもしれない。 その日が来るまでは、僕はどんな苦しい亡命生活にも耐えてゆくつもりだ」

アニコー 「あなたのお気持はよく分かりました。 もう止めたりはしません、お元気で行ってらっしゃい」

ペジャ 「いろいろお世話になりました。 お母さんやノーラの温かい心遣いは、一生忘れません。それに、オルダスとの楽しかった日々のことも、決して忘れないでしょう。 お二人とも、どうか幸せに過ごして下さい」

ノーラ 「フェレンツ・・・(泣きじゃくりながら)どうぞ、お元気で」

ペジャ 「ありがとう、ノーラ。落ち着いたら、きっと便りをするよ。 君はドナウ川のように清らかで、美しい心の娘だ。 オルダスの誇りであり、太陽であった。いつまでも健やかに幸せに・・・(ペジャ、ノーラとアニコーに近づき、二人に接吻する) さようなら、それでは行きます」(ペジャ、退場) 《完》 

 

〈あとがき・筆者注〉

この戯曲は1981年(昭和56年)3月に完成したものだが、その直後、在日ハンガリー大使館に手紙を添えて贈呈した。しかし、大使館からは何の反応も、返事もなかった。(2020年4月26日)


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