第七場(ブダペストのソ連大使館。アンドロポフ大使の部屋。 ミコヤン、スースロフ、アンドロポフがいる所に、カダル、アプロ、マロシャン、ミュニッヒが入ってくる)
カダル 「おや、ミコヤン同志、スースロフ同志もおられたのですか」
ミコヤン 「ええ、今日は重大な話しがあるので、あなた方をお待ちしていたのです。 さあ、そこに座って下さい」(カダルら、ミコヤンらとテーブルを挟んで椅子に座る)
カダル 「重大な話しとは、どういうことですか」
ミコヤン 「いいですか、驚かないでいただきたい。単刀直入に申し上げる。 ソ連共産党は一昨日の緊急政治局会議で、ナジ政府がもはや、ハンガリーを統治する能力を失ったと判断し、明日11月4日を期して、ハンガリー人民共和国を救済するため、ソ連軍を出動させることを決定したのです」
カダル 「えっ、そんな馬鹿な・・・」
アプロ 「ソ連軍の撤兵交渉をしているという時に、どうして軍事介入をしてくるというのか」
ミコヤン 「それは、ナジ政府がもはや救いがたい所にまで来ているからだ。 過日、私とスースロフ同志がナジと会って話した時に、カダル同志も一緒におられたが、ハンガリーの中立化とワルシャワ条約からの脱退については、慎重に対処するとナジは言っていた。 ところが、その舌の根も乾かないうちに、ナジはあっと言う間に、中立化とワルシャワ条約廃棄を宣言してしまった。
われわれソ連政府としては、まるでナジに“騙された”ようなものだ。 ナジはハンガリー国内の反動分子や、日和見主義者達の要求に屈して、社会主義陣営の大義と信頼関係を踏みにじったのだ! こんなことが許されて堪るというのか! しかも、ナジは・・・」
カダル 「ちょっと待っていただきたい。ナジ総理は、反動分子や日和見主義者達に屈したのではない。 中立とワルシャワ条約廃棄こそが、新生ハンガリーにとって必要だと、政府部内や党内での論議、国民世論を踏まえて結論を出したのであって、いささかも貴国や友邦諸国に敵対して取られた措置ではない。
小国ハンガリーが、どうしてソ連や他の社会主義諸国を敵に回して、やっていけるというのですか。 それよりも、ミコヤン同志、あなたは先日、ソ連がハンガリーに二度と軍事介入するようなことはないと、はっきり言ったではありませんか! あなたは、あの約束を反故(ほご)にして、忌まわしい軍事介入を行なってナジ政権を打倒しようというのか」
ミコヤン 「やむを得ない、そうするしかないのだ。 私も、貴国の紛争については、出来るだけ平和裡に解決しようと努力してきたし、わが政治局のメンバーも説得してきた。 しかし、ナジがわれわれを“裏切った”のだ。ソ連としてはナジ政権を倒し、ハンガリーに社会主義陣営に留まってもらうしかないのだ」
カダル 「だからと言って、再び軍事介入してくるというのは、絶対に許せない! もしそうなれば、ハンガリー国民は武器を手に取って戦うしかないだろう」
ミコヤン 「覚悟の上だ。 わがソ連軍は、50万でも70万でも、いくらでも大軍を出してハンガリーを制圧してみせる! 制圧と言うより、反動分子に屈したハンガリーを解放し、救済するのだ」
アプロ 「50万でも70万でもだって?」
ミコヤン 「そうだ。 これは、ソ連の国家威信にかけて行なうものであり、絶対に止めるわけにはいかない! しかも、この件については、フルシチョフ第一書記がすでに、ユーゴのチトー大統領からも了解を得ているのだ」
カダル 「なんということだ・・・」
アプロ 「あのチトー大統領の了解を得ているとは・・・」
ミコヤン 「そこで、あなた方に重要な相談がある。 われわれは二、三日のうちに、必ずナジ政権を壊滅してみせる。 もはや、“ナジ一派”は相手にしない。粉砕するだけだ。 そこで、ハンガリーの新しい指導者、つまり、わがソ連や友邦諸国と手を携えてやっていくニューリーダーに、あなた方四人がなってほしいのだ」
カダル 「なんだって! われわれにナジ政府を裏切れと言うのか!」
ミコヤン 「そう受け取られても仕方がない。 ただし、これは、あなた方がナジを裏切るものではない。ナジの方こそ、ソ連を、また他の友邦諸国を裏切ったのだ! あなた方は、変節漢のナジに代わって、ハンガリーを救済すべきである。 また、そういう使命を持っているはずだ」
カダル 「そんな・・・われわれは、あなた方が言う“ナジ一派”ですぞ」
ミコヤン 「いや、違う! 君達はナジ一派ではない! 君達は心ならずもナジに引きずられて、ハンガリーを混乱の中に陥れてしまったのだ」
アプロ 「しかし、われわれは終始、ナジ総理に協力してきた。 その方針を変更することは出来ない」
スースロフ 「ポーランドの場合とは違いますぞ! ゴムルカが、中立やワルシャワ条約廃棄を宣言しましたか。そんなことはしていないでしょう。 ゴムルカは許せても、われわれは絶対にナジを許すことは出来ない!」
アプロ 「それでは一体、われわれにどうしろと言うのですか」
ミコヤン 「今夜中に、あなた方四人は、われわれと一緒にブダペストを“脱出”してもらいたい」
カダル 「脱出? ナジ総理を見捨てろと言うのか」
ミコヤン 「その通りだ」
アプロ 「もし、われわれがそれを拒否したら」
ミコヤン 「その場合は、われわれは諸君を敵と見なす」
スースロフ 「敵と見なして、ナジと運命を共にしてもらうしかないでしょう」
ミュニッヒ 「それは恫喝(どうかつ)ではないですか・・・」
ミコヤン 「もう、これ以上は言いたくない! 諸君はわがソ連の大軍と戦って死ぬか、それとも、再建されるハンガリーの新しい指導者となるか、道は二つに一つだ!」(カダルら沈黙したまま。暫くの間)
アンドロポフ 「決断して下さい! ナジら反動分子と手を切って、あなた方はハンガリーを救済する新しい指導者となるべきです」
スースロフ 「あなた方が決断してくれれば、ソ連としては全力を尽くして、あなた方がやり易いように援助を惜しまないつもりです。 あくまでも、貴国の自主性と独立を尊重して、新たに平等互恵の関係を樹立することを約束します」
アンドロポフ 「意見を聞かせて下さい。 マロシャン同志、あなたはいかがですか」
マロシャン 「事ここに至っては、私個人としては、あなた方の言われることに従わざるを得ないと思うが・・・しかし、第一書記やアプロ同志がどう思われるか・・・」
アンドロポフ 「ミュニッヒ同志、あなたの御意見は?」
ミュニッヒ 「私も・・・私個人としては、あなた方の言われることに同感です」
スースロフ 「ありがとう。 カダル同志、アプロ同志、決断していただきたい。マロシャン同志もミュニッヒ同志も、われわれの考えに“原則的”に同意してくれたではありませんか。 われわれはいたずらに、あなた方を敵とし、あなた方を死地に陥れたいとは、いささかも望んでいません。
いや、あなた方こそ、新生ハンガリーの指導者として生き残り、われわれと新たな友好関係を結んでほしいと願っているのです。 従って、重ねてお願いしたい。ナジ政権と手を切って、ハンガリーを救済する新しい“臨時政府”を樹立してほしいのです」
カダル 「アンドロポフ大使。 私はナジ総理と共に、あなたの前で、もしソ連軍が軍事介入してきたら、ハンガリー国民の先頭に立って素手でも戦うと言った。 ナジ総理は私を信頼しており、自分の“片腕”だと思っている。その信頼を、私自身が破らなければならないのだろうか・・・」(カダル、苦悶に顔をゆがめ、涙を拭う)
アンドロポフ 「あれはあの時のことです。 あなたのナジへの友情は分かりますが、今や情勢は一変したのです。個人的な友情よりも、ハンガリーの救済を第一に考えて下さい。 あなたを本当に信頼しているからこそ、こうして、ミコヤン同志、スースロフ同志があなたを呼ばれたのです。 さあ、いさぎよく決断して下さい」
ミコヤン 「カダル同志、心を大きく開いて、現在の情勢を判断してもらいたい。 わがソ連軍の進駐によって、ナジ政権の崩壊は目前に迫っている。ナジは、フランスなど西側諸国に救援を求めるかもしれない。 しかし、ご承知のようにフランスやイギリスは今、スエズ侵略に血眼(ちまなこ)になっており、とてもハンガリーに手を出してくる余裕はない。
となると、もはやナジは無きものも同然だ。代わって、誰がハンガリーを統治していくのか。 その責任ある地位に就くのは、党第一書記であるあなたしかいないではないか。あなたが“臨時政府”の首班となり、混乱したこの国を救う以外に道はないはずだ。 われわれは、全面的にあなたの政府を支援していく。どうか、われわれの信頼と好意を無にしないでほしい」
スースロフ 「私からも、重ねてお願いします。 明日のハンガリーのためにも、ハンガリーとソ連の友好関係のためにも、ぜひ決断していただきたい」(暫くの間)
アプロ 「第一書記、こうなれば決断するしかないでしょう」
カダル 「アプロ同志、あなたもそう考えるか・・・(暫くの間) よし、それでは、まだ時間はある。 一度、われわれを党本部に帰させてもらいたい。そこで、同志である他の数人の党幹部を交えて、最終的な意思統一を図り、今夜中に態度を決めることにしましょう」
ミコヤン 「そうしてもらいたい。 ただし、もう一度念を押しますが、明日未明を期してソ連軍はブダペストに進駐する。 従って、あなた方の態度決定も、今夜零時が最終期限となります。遅れないように、よろしく頼みますぞ」
カダル 「分かりました。それでは、われわれは党本部に戻ります」(カダルら四人、退場)
ミコヤン 「どうやら上手くいったようだ。 アプロら三人が折れたから、カダルも従わざるを得ないだろう。 それにしても、あの男は“義理堅い”ものだな。あれほどまでに、ナジのような奴に同情を示すことはないのに」
アンドロポフ 「そこが、あの男のいい所です。しかし、信義に厚い男も、大局の動きには従わざるを得ないでしょう。 カダルをこちらに取り込めば、後は全て順調にいくと見て間違いありません」
ミコヤン 「うむ、これで事態は、われわれの思惑通りに進んでいきそうだな」
スースロフ 「アンドロポフ大使、ご苦労さん。これで、われわれもフルシチョフ第一書記も、苦境から脱することが出来たというものだ。 後は、精強無比のわがソ連軍が、あっという間にハンガリー全土を制圧してくれるだろう」
第八場(ブダペストの首相官邸。 ナジの執務室に秘書官が駆け込んでくる)
秘書官 「総理! ブダペスト郊外に今、ソ連軍の大部隊が現われたと、軍司令部から緊急連絡が入りました!」
ナジ 「なんだと、それは本当か!」
秘書官 「本当です。しかも、ソ連軍は、ブダの南にあるブダエルシ兵舎に向かって、砲撃を開始したということです」
ナジ 「うむ・・・とうとう、やったか。 それで、マレテルとは、依然連絡が取れないのか」
秘書官 「マレテル将軍とは、昨日夕刻からまったく連絡が取れません」
ナジ 「なにっ、マレテルとまったく連絡が取れない? マレテルは捕えられたのか・・・おのれ、ソ連め! よしっ、それではすぐに、カダル第一書記の所へ電話をかけてくれ」(秘書官、電話の受話器を取り上げ、ダイヤルを回す)
秘書官 「もしもし、もしもし・・・ああ、こちらは総理秘書官ですが、カダル第一書記につないで下さい・・・・・・えっ、おられない? そんな・・・(ナジの方に振り返り) 総理、第一書記はおられないということです」
ナジ 「なんだと! そんな馬鹿な・・・どれ、私に代わってくれ。(秘書官から受話器を取る) もしもし、ナジだが、第一書記はいないのか・・・どこへ行ったのだ・・・分からない? それでは、アプロ同志やマロシャン同志は来ているのか・・・なに、アプロ達も来ていない? そんな馬鹿な・・・・・・よし、分かった。(受話器を乱暴に置く)
なんということだ! カダルもアプロもマロシャンも、主だった党幹部が皆いなくなっているとは・・・どうしたことだ、彼らもソ連側に拘束されたというのか。 まさか・・・昨日までは元気な顔を見せていたというのに。 しかし、今はそれどころではない! ソ連軍がブダペストに侵入してきたのだ。 秘書官、すぐに放送の手筈を取ってくれ。ハンガリーの全国民に向って、直ちに演説したいのだ」
秘書官 「承知しました」(秘書官、退場)
ナジ 「カダルもマレテルも、ロシア人に逮捕されたのか・・・おのれ、ロシアの強盗ども! そうすると、あの撤兵交渉は、ソ連側が時間を稼ぐ手段だったのか。そうと分かっておれば、軍や革命委員会の戦闘準備を、もっと早くからやっておけば良かったのに・・・しかし、私は戦うぞ! この愛する祖国が、露助どもに踏みにじられて堪るか!
放送を通じて、ハンガリー国民が全員戦闘態勢に入るよう呼びかけるぞ。 国連にも友邦諸国にも、また西側諸国にも応援を要請しよう。いかにハンガリーが小国であろうとも、国民も軍も、政府も党も一致結束して戦えば、大国・ソ連の侵略に耐え抜くことが出来るはずだ。
その内に、自由を愛する世界の人々が、必ずわれわれを助けに来てくれるに違いない。 ハンガリーの独立と自由を、あくまでも守らなければならない。たとえ、戦いに負けるようなことがあっても、われわれが、国家の自由と独立のために戦い抜くことが大切なのだ」