武弘・Takehiroの部屋

政治、社会、歴史、文学、音楽、生活などを語るブログです

血にまみれたハンガリー(7)

2024年02月25日 03時13分25秒 | 戯曲・『血にまみれたハンガリー』
第三幕

 第一場(ブダペストのウィラキ家の応接間。 メレー、ノーラ、彼女の母親のアニコー)

メレー 「お母さん、退院できて良かったですね。病状もすっかり回復しましたね」

アニコー 「ありがとう、オルダスさん。もう、あまり咳き込まなくなったし、熱も治まってきたようです。 デアーグ先生の話しですと、このままゆっくりと療養していれば、きっと快方に向うということです。 でも、肺炎って怖いものですね」

メレー 「そうですか、それは結構なことです。 僕もこのところ、政治のことで頭が一杯でしたが、お母さんの病気がどうなっているか、とても心配でした。 でも、ノーラがお母さんに付いているから、きっと大丈夫だとは思っていました」

ノーラ 「私は何もできないけど、お母さんにもしものことがあったら大変と、それだけが気がかりだったわ。 3年前に、お父さんに先立たれたというのに、もし今、お母さんに亡くなられたのでは、私はどうして良いのか分からないもの」

アニコー 「でも、あなたにはオルダスさんがついていてくれるから、いいじゃありませんか。 私は安心して、いつでもあの世へ行くことができるわ。お父さんだって、きっと天国でお前のことを安心してご覧になっていると思うの」

ノーラ 「ええ、それはもうオルダスがいてくれるもの」

アニコー 「ホッホッホッホッホ、ノーラったら、オルダスさんのことになると、すぐに“のろけて”しまうのね」

ノーラ 「あら、いやだ。お母さん、私はのろけてなんかいませんよ。 だって、本当にオルダスがいてくれるんですもの」

アニコー 「それが“おのろけ”ですよ。 でも、オルダスさんにはいろいろお世話になりました。 良いお医者さんを紹介してくれたのもあなたでしたし、お見舞いの品も随分頂いて恐縮しています」

メレー 「いえ、大したことではありません。僕なんか政治のことで忙しくて、このところお母さんには失礼ばかりしていました。 早く世の中が落ち着いてくれたら、もっと頻繁にお伺いできるんですが」

ノーラ 「でも、お父さんもあの世で、きっと喜んでいてくれると思うわ。 お父さんだって根っからの愛国者だったし、ラコシ一派には随分弾圧されてきたんですから」

アニコー 「そうね、二回も投獄されたことが、お父さんの健康をひどく害したことは事実だわ。 あの人は鉄鋼関係の技師だったから、ラコシ一派の滅茶苦茶な“増産計画”に注文を付けただけで、査問委員会にかけられ、なんの罪も過ちもないのに、反政府分子と烙印を押され投獄されたんですからね。

 あの人がいなくなった後に、誰が現場の専任技師になっても、結局、ラコシ一派の増産計画を達成した人はいなかったのですよ。 いえ、むしろ、鉄鋼の生産は減少したくらいでした」

メレー 「まったくひどい“ノルマ”でした。 生産設備も何も改善されないのに、現場の実情を無視して、一方的に大増産を命令してくるんですからね。あれが、ラコシ一派の典型的な官僚行政だった。 それに少しでも注文を付けたり、抗議しようものなら、すぐに反政府分子ということで槍玉に挙げられてしまうんだから」

アニコー 「お父さんは正直な人だったから、無理なものは無理だと言ったし、現場の労働者の立場も考えて、ひどすぎるノルマには反対したんですよ。そうしたら、又すぐに二度目の投獄でしょ。 あの時は、拘留中にどれほど拷問を受けたか分かりません。 チトー主義者だと罵られ、反逆罪に問われるところでした。本当に恐ろしい時代でした。 

 生産量を“水増し報告”するウソつきの技師ばかりが優遇されて、正直な人達が虐待されたんですからね。 あんなことでは、生産設備も労働環境も少しも改善されないばかりか、賃金も上がらないのですから、労働者の勤労意欲も一向に上がらないわけですね」

メレー 「でも、そうした官僚的なやり方も、もうおしまいです。これからは、現場の技術者や労働者の声をよく聞き入れた、合理的で民主的な生産体制が出来上がってくるでしょう。 僕も工学技師の卵ですから、新しく生まれ変わるハンガリーの行政に大いに期待しているんです」

アニコー 「そうですね。 ああ、お父さんが生きていてくれたら、生まれ変わったハンガリーにどれほど喜んだことでしょう。拷問で痛めつけられ、職場を追われ、あの人は悶々とした中であの世へ行ってしまったのです」 

メレー 「でも、お母さん、もう大丈夫です。 ナジもカダルも、ラコシ達が権勢を振っていた頃は、自分達も投獄され辛酸をなめてきたのです。カダルなどは身体の“あちこち”に、拷問の古傷を残しているというじゃありませんか。 彼ら新しい指導者は、ハンガリーをきっと自由で立派な国家として再生させてくれるでしょう。 

 われわれ国民も新しい指導者を信頼し、彼らに協力して、新生ハンガリーの国づくりのために頑張っていけばいいのです。 ハンガリーの夜明けは、すぐそこまで来ているのです」(その時、ドアをノックする音。 続いて「今晩は、ペジャ・フェレンツです」という声が聞こえる)

ノーラ 「あら、フェレンツだわ。今頃、なんでしょう」(ノーラがドアを開けると、ペジャが入ってくる)

ペジャ 「夜分、どうも失礼します。 オルダスがこちらにいると聞いたので、やって来ました」

メレー 「フェレンツ、どうしたのだ、こんなに遅く・・・」

ペジャ 「学生自治会からの情報だ。 ナジ政府は明日にも、ハンガリーの中立とワルシャワ条約破棄をソ連に通告するだろうというのだ」

メレー 「えっ、そんなに早く中立化を宣言するのか」

ペジャ 「間違いないらしい。つい先ほど、自治会の代表のところに、社会主義労働者党の幹部から連絡があったということだ」

メレー 「そうか、政府は決断したのだな」

ペジャ 「ナジもカダルも、中立化やワルシャワ条約からの脱退については、慎重に対処してきたが、労働者評議会や革命委員会の強い要求に、結局、応えざるを得なくなったらしい」

メレー 「しかし、ミコヤンやスースロフは、ハンガリーがまさか中立化するとは思っていなかっただろう。 彼らにとっては、ひどいショックじゃないのか」

ペジャ 「それはそうだろうが、ソ連軍の撤退交渉をしている最中に、東部国境を越えて相当数のソ連軍部隊が新たに侵入してきたことが分かり、それが労働者評議会や革命委員会のメンバーを非常に怒らせ、政府を激しく突き上げることになった。 学生自治会の同志も憤激しているし、ペテフィ・サークルの人達も政府に決断を迫ったようだ。 だから、ナジもカダルも時ここに至って、ついに決意を固めたということだ」

メレー 「それは重大な事態だな。ソ連は黙ってはいないだろう。 こうなれば、ソ連軍との戦闘も覚悟しなければならんじゃないか」

ペジャ 「それはどうなるか分からん。ソ連軍の越境も、ナジ政府を牽制するのが目的だろう。 だから、ハンガリーが中立化しようとも、すぐにソ連軍がブダペストに進駐してくるかどうかは分からない」

メレー 「いや、ソ連は絶対に黙ってはいないはずだ。政府は少し楽観的すぎるんじゃないのか」

ペジャ 「そんなことを今、ここで議論していても始まらない。 オルダス、すぐに大学に来てほしいんだ。すでに、同志達が何十人も集まっている。 政府が中立とワルシャワ条約破棄を宣言したら、われわれは即座に、それを支持する態勢を整えなければならないだろう」

メレー 「しかし、僕個人としては、今の段階で中立化は早すぎるし、危険だと思うんだが・・・」

ペジャ 「そんなことは言ってられないよ。政府がそういう方針を固めたのは、間違いないんだから。 せっかくノーラの所へ来ているのに悪いのだが、これから大学へ一緒に行ってほしいんだ」

メレー 「うん、分かった。 お母さん、ノーラ、フェレンツの言うことが本当なら大変なことです。僕らはこれからすぐに工科大学へ行きますので、悪しからず・・・」

アニコー 「大変ですわね。 でも、こういうご時世ですから、あなた方が情熱を持って行動されるのは当然でしょう。お気を付けて」

ノーラ 「お元気で、それでは又」(ノーラ、メレーに寄って口づけする)

メレー 「また来ます。ご機嫌よう」

ペジャ 「失礼します」(メレー、ペジャが退場)

 

第二場(ブダペストの首相官邸。 ナジ、カダル、ソ連のアンドロポフ大使)

ナジ 「大使、ソ連軍が新たにハンガリーの東部国境を越えて、進攻してきたことをご存知ですな」

アンドロポフ 「いえ、存じておりません」

ナジ 「こんな重大なことを、大使であるあなたが知らないというのはどういうことですか」

アンドロポフ 「早速、本国に照会してみます。 私個人としては、新たな軍の越境行動などはあり得ないと思いますが」

ナジ 「何を言われるか! 現在、両国の間で、ソ連軍の撤退交渉が行なわれているという時に、貴国の軍隊が再び越境してきたのですぞ。わが国の軍当局がそれを確認しているのだ! ハンガリー政府としては、新たなソ連軍の越境行動に抗議し、それを直ちに中止するようソ連政府に対して要望します。 あなたはその旨、早急に本国政府に伝えてもらいたい」

アンドロポフ 「それはすぐに伝えます」

ナジ 「それから、更にこう伝えてもらいたい。 もし、新たな進攻部隊がハンガリー領内から撤退しないようなら、これはワルシャワ条約に違反するものである。なぜなら、この進攻はハンガリー政府が要請したものでもなければ、受諾したものでもない。

 直ちに撤退しないようなら、ハンガリー政府としてはワルシャワ条約を廃棄し、ハンガリー人民共和国の中立を宣言する用意がある。 このように伝えてもらいたい」

アンドロポフ 「なんですって! ワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言するというのですか」

ナジ 「そうです。ソ連軍の新たな侵入は、ソ連政府自らがワルシャワ条約の条項を踏みにじったものだ。 ハンガリー政府としては、それを黙って見過ごすわけにはいかない。当然のことではないですか」

アンドロポフ 「総理、あなたはワルシャワ条約の重要性と中立宣言の重大さを、勿論ご存知でしょう」

ナジ 「勿論、承知している。 だからこそ、私やカダル第一書記は、条約からの脱退や中立化を求める世論を極力抑えてきたのだ。 しかし、ソ連政府自らが条約を破るような行動に出るのなら、ハンガリー政府としても、もはや国民の世論を抑えてばかりではいられない。 重大な決意をもって臨むほかはない。その点を“しか”とモスクワに伝えてほしい」

アンドロポフ 「分かりました、早速伝えます。 ですが、総理、もしも貴国がワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言することになれば、ソ連とハンガリーの友好関係に重大な支障を生じかねませんが、その点は当然留意しておられますね」

ナジ 「勿論ですとも。その点は十分に承知している」

カダル 「わが党も、政府と一体となって決意していることを伝えてもらいたい。 もしも、ソ連軍が再びブダペストに侵入してくるようなら、不肖このカダル・ヤノシュ、ハンガリー国民の先頭に立って“素手”でも戦いますぞ」

ナジ 「また、もしソ連軍が撤退しないなら、ハンガリー政府としては直ちに、国連の安全保障理事会に提訴する考えである。 その点もしかと伝えてもらいたい」

アンドロポフ 「国連に提訴?」

カダル 「当然ではないか。わが国が他国から“侵略”されるのを、黙って見ているわけにはいかない」

ナジ 「広く国際世論に訴えて、わが国の独立と安全を守る考えだ」

アンドロポフ 「分かりました。 それでは早速、大使館に戻り、以上の点を本国政府に伝達します!」 (アンドロポフ、退場しながら、小声でモノローグ) 「いやはや、マジャール人め、相当頭に来ているようだな・・・」(アンドロポフ、退場)

ナジ 「第一書記、あれで宜しいんだね」

カダル 「勿論ですとも。わが国の断固たる決意を伝えれば、ソ連としても軍隊を退かざるを得ないでしょう。 今が瀬戸際の最も重要な時です。ここで、ひるんではいけません」

ナジ 「そうだ。国民はわが政府を支持している。 ハンガリーが不退転の決意を示し、一致結束して当たれば、大国ソ連といえども強盗のような真似はできないはずだ」

 

第三場(モスクワ、クレムリン内の一室。緊急政治局会議が開かれている。 フルシチョフ、ブルガーニン、マレンコフ、モロトフ、カガノヴィッチ、ミコヤン、スースロフ)

カガノヴィッチ 「なんたることだ! アンドロポフ大使からの報告だと、進駐したソ連軍が撤退しない限り、ハンガリーはワルシャワ条約を廃棄し、中立を宣言するというじゃないか。 これは、図に乗ったハンガリーが、わが国に対し挑戦していると言ってよい。

 ハンガリーなんぞに、ここまで“なめられて”たまるか! ソ連軍をもっと増強して、直ちにハンガリーを制圧する以外に道はない。 第一書記、ぼやぼやしている時ではないですぞ」

フルシチョフ 「うむ、それは承知している。 しかし、他の東ヨーロッパ諸国が、わが軍による武力制圧を、一致して支持してくれるかどうかということが問題だ」

モロトフ 「東ドイツ、チェコスロバキア、ルーマニアは軍事介入に賛成している。 しかも、最初はハンガリーに同情を示していた中国までが、ここに至って、あの国をむざむざ西側陣営に追いやる必要はないと、強硬な意見を述べるようになった。

 ここで、ハンガリーを失えば、ソ連は毛沢東の“笑い者”になるだろう。 ただでさえ、われわれに対して傲慢な毛沢東が、ますます手に負えない存在になってしまう。 ここは、意を決して、カガノヴィッチ同志が言われるように、武力制圧する以外に手はないと思う」

マレンコフ 「そのとおりだ。西側陣営や世界を気にしていては、何も出来ない。 ハンガリーが国連に提訴しようとも、安全保障理事会では、拒否権を使って突っぱねればいいのだ。 西側陣営が介入してくることは、まずあるまいと判断して良い。

 なぜなら、イギリスとフランスは今、スエズに軍隊を派遣して、エジプトと戦争をしている最中ではないか。 ハンガリーに手を出す余裕などないはずだ」

ブルガーニン 「マレンコフ同志の言われるとおりだ。 イギリスとフランスは今、エジプトを侵略している。 アメリカは内心“やきもき”している所だが、策の施しようがないといった状況だ。西側陣営は明らかに、スエズ動乱で団結を乱している。

 これほどの好機が又とあるだろうか。しかも、世界の耳目と関心は、今やスエズ戦争に釘付けとなっている。 国連では、イギリス、フランス、それにイスラエルが非難の集中砲火を浴びている。 この機を逃して、ハンガリーを制圧するチャンスは他にない!」

ミコヤン 「まったく同感です。 わが軍がハンガリーを制圧しても、口うるさいイギリスやフランスは今、エジプトを侵略しているのだから、われわれを非難する資格などは全然ない。 強盗をしている奴が他の強盗の悪口を言ったって、誰も相手にはしないでしょう」

カガノヴィッチ 「われわれは強盗ではないぞ。 社会主義陣営の統一と団結を守るために行動するのだ」

ミコヤン 「いや、私の“たとえ”が適切でなかったが、少なくとも英仏両国は何も出来ないはずだ。 アメリカだって、スエズ問題で手一杯で何も出来ないだろう。 後はソ連として、ユーゴとポーランドを事前になんとか説得しておくことです」

スースロフ 「ミコヤン同志が言われるとおり、ユーゴとポーランド、とりわけチトーの了解を事前に取り付けておく必要があるでしょう。 これは出来れば、第一書記自らがユーゴに乗り込んで、チトーと話し合うのがいいと思いますが・・・」

フルシチョフ 「うむ、それは良い考えだ。 それにしても、イギリスとフランスがスエズ運河を取り戻そうと、エジプト侵略に血眼になっているとは、正に“天の助け”だな。 日頃うるさいあの両国も、今度ばかりは一言も文句が付けられないぞ、ハッハッハッハッハ。

 よし、それでは、ユーゴが万が一にも離反すると困るので、私が早速チトーに会いに行こう。そして、チトーの了解さえ取り付けたら、後は機を見て一気にブダペストに進駐することだ。 ただ問題は、ナジを倒した後に、誰を後継首班にするかということだ。ラコシやゲレーではどうしようもないし、かと言って、カダルもナジと一緒に行動しているし・・・」

ミコヤン 「いや、私の考えでは、なんとしてもカダルを取り込むしかないと思います。他にハンガリーには適当な人材がいません。 何がなんでも、カダルを取り込む方策を練りましょう」

モロトフ 「カダルを上手くろう絡できるというのか」

スースロフ 「飴と鞭(むち)の手を使って、カダルを虜にするしかありませんな」

マレンコフ 「よし、それではそうしたらいいだろう。 君達二人は、二度もブダペストへ行って向うの内情にくわしいはずだ。カダルが社会主義の大義という面では、ナジと幾分姿勢が違うことは、この前聞いている。 あの二人の間に楔(くさび)を打ち込むことが出来れば、それに越したことはない」

フルシチョフ 「うむ、それではミコヤン同志とスースロフ同志、もう一度ブダペストへ行って、カダルに当たってもらいたい」

ミコヤン 「了解しました」

スースロフ 「やってみましょう」


コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 血にまみれたハンガリー(6) | トップ | 血にまみれたハンガリー(8) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

戯曲・『血にまみれたハンガリー』」カテゴリの最新記事