八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

明るい方向とは何か?~2020年夏学季「講座」を緊急開講します!

2020-05-18 15:01:44 | 〝歴史〟茶論
 高校生のころ、「人はなぜ生きるんだろう?」などという厄介なことを考えて、人知れず悩んでいたことがあります。
 それは思春期特有の一過性の〝憂鬱〟ってやつだったかもしれません。
 そんなとき「哲学者」と陰で呼ばれていた友人から、サルトルJean-Paul Charlesでも読んでみろと言われ、入門書的な『実存主義とは何か』という本を借りて読んでみることになりました。            
                       

 読んでみるとそこには、たとえばハサミはものを切るという「本質」があるのだけど、人間にはそもそもそうしたものはない。あるのは人間としての「実存」だけであるとありました。
 つまり人間とは、ハサミのようになんらかの目的によって存在しているわけではなく、生きるなかでさまざまなハサミが持つような「本質」を身につけたり、選び取ったりする。まさに「実存が本質に優先する」。人間には、生きるなかで多様で予期できない可能性が内在している。その「実存」にこそ意味がある。
 フランス人であるサルトルは、第二次世界大戦中、巨大なナチスに対抗し苦難をともなったレジスタンス運動を行っていた哲学者で、そうした苦闘のなかから全体主義に対峙する人間の自由の意味を、「実存」という思想に昇華させた哲学を打ち立てました。
 そしてサルトルの哲学は、田舎の高校生にすぎなかったわたしに、未来性、いまの思いを込めた言葉で述べるなら、未来に〝投企される自己〟といった、あたかも一条の光がさしてくるような期待感を抱かせるものだったように思います。

 その後しばらくして、友人の「哲学者」は、デカルトRené Descartes について語りはじめました。
 いまは違う名称になっているでしょうが、わたしたちの世代の高校の教科には「倫理・社会」という教科がありました。とりわけ、わたしの通った高校には、哲学科出身の熱っぽい授業をする教師(いまも尊敬している)がいて、彼の授業で友人の「哲学者」もわたしもおおいに刺激を受けたものですが、それもあってデカルトの名前も〝我思う故に我あり〟という言葉も知っていました。
 でも デカルトが、スペイン帝国の支配から独立をはかろうと長い戦争を闘った「オランダ独立戦争」のなかにあって、この思想を確立したこと。
 〝我思う故に・・・cogito ergo sum 〟の意味は、これまで世界では、神の恩寵や摂理、または絶対的王権や権威のもとで人間の思考や方向性は制約を受け迷信に囲まれていたけれど、デカルトは、そうした神や権威に凭りかからず、また阿ることなく、人間とは自らが思考して行動することに意味があると説いたこと。
 そして、デカルトから以降の哲学では、人間はドグマ(教義や教条、宿命や運命)といった外的な桎梏(手枷足枷)から解放されるべきとされ、自ら自由にものを考え行動するところに存在の意味があるのだと確信されたということ。
 友人の「哲学者」はそんな風なことを、訥々とした秋田弁で話してくれました。この会話もわたしには思春期の憂鬱を晴らす意味で、大きなものでした。

 以上の事柄は、いまでは「存在論」といった哲学的なカテゴリーのなかに括られ、わけしり顔な人びとに、もはや過ぎ去ってしまった哲学論のように扱われるのが落ちだと思います。でも、高校生のころ、サルトルを知り、デカルトの語る真理を聞いたときの新鮮な感動は、はなかなか忘れられるものではありません。

 もちろん、ほかにもいま『ペスト』のときならぬ流行で脚光を浴びているアルベール・カミュAlbert Camus が『シシュポスの神話 Le Mythe de Sisyphe 』などで表現した人間における〝不条理absurde 〟の悲劇。またチョムスキーNoam Chomsky の説く「生成文法」、つまり人間は、天気のいいことを、「です、天気いい、今日は」とは言わない。「今日はいい天気です」と言う。そこには言語文法が人間の〝生得的a priori〟な能力として内在されている。いわゆる言語と人間の相補的な可能性など、さまざまな哲学や思想に出会うたび、人間存在の寄る辺のなさ、哀しみも含みながら、その一方での人間の明るい可能性の所在を感じ取ったりしたものでした。

 そんななか、ここ数日の「コロナ禍」のなかで、なにか大事なことが抜け落ちてしまっているのではないか。そんなことに気がつきました。いや思い出したといってもいい。
 というのは、先日、政府から10万円の「特別定額給付金」が出た人びとのインタビューを聞いていて、腑に落ちないことに遭遇したからです。
 インタビューされた地域は、さほど「コロナ禍」の影響を受けていない地方の町村でしたが、そこで給付金をもらった人びとの口から、「政府からお金をいただいて、ありがたい」「安倍首相には感謝しています」という言葉が出てきたのです。
 べつに首相からお金をもらっているわけじゃないのになぁ、とそのときは思いました。理屈では、この給付金は自分たちの納めた税金を、「コロナ禍」で行動の〝自粛〟を強いられ経済的にも困難な生活を強いられているため、取り戻したという性質のものです。
 でも、ありがたいと言う。お上から下賜されたかのようなお金の意識。しかも、なぜ首相に感謝しなきゃならないのか?
 それは、日本人の「大に事える」、「事大主義」の隷属根性からのものだ。そう言って了えば、ことは簡単です。でも、どうしてそう思うのか。その疑念は残りました。と同時に、なんでこうにも〝お上〟、いわば「権威」や「権力」に弱いのか。もう民主主義国家となって、ずいぶん経つのに、です。

 歴史学では、よく「権威」と「権力」の相互補完性について語られることがあります。かんたんにお話しすると、昭和前期の軍部の台頭の仕組みは、天皇という「権威」を隠れ蓑にして軍人たちが暴慢な「権力」を行使したわけで、天皇という「権威」と戦争遂行者である軍官僚の「権力」関係は、相互に補って、あの戦争を起こしたということになります。
 しかし、そうした〝しくみ〟は軍組織にも浸透していて、実権を握っていたのは参謀本部や軍令部に属していた少壮の軍官僚(だいたい中佐か少佐)で、かれらは大将や中将といった軍首脳部がその「権威」をひけらかすため、鷹揚に大物ぶって「よきに計らえ」と無責任な態度を取ることを補完するように、その「権力」を行使していきました。
 そして「権力」をもった軍官僚は、作戦遂行は自分たちで独占するものの、その失敗については、軍首脳部もしくは天皇の「権威」に隠れて、ないことにしてしまう。つまりは責任逃れをはかるという術を身につけていました。それはまさに「黒子」に隠れる狡猾さというやつです。
 そのありようが、戦後に露見した開戦および敗戦の「戦争責任」を誰も取ることのない体制、いわゆる〝無責任体制〟となり、ちょうど「天皇」を頂点に、責任追及のため、むいてもむいても皮ばかりで、タマネギのように芯が出てこない。そんな体制を作り上げました。
 これはいまも会社などで、社長の「権威」を借りて、側近である社長室長などが「権力」を行使する。あるいは社長夫人などが「権力」をふるう。体育会系の協会でも、名誉職である会長の「権威」を背景に専務理事などが好き勝手に「権力」をふるう。どれもよくある話しです。
 それは国家体制からはじまって、地元の商店会や政党、労働組合などにもよく見られるものでしょう。
 つまり、「権威」と「権力」は相互補完をし合いながら、支配体制および支配機構を強め、狡猾にまた永続化させるものだというわけです。

 こうした話しも、じつは高校生のとき、たしか歴史の教師から聞きました。この教師は、東大の学生だったとき学徒出陣の最後の年にあって、20歳で本土決戦の特攻隊として、身体に爆弾を結びつけて蛸壺のなかに潜み、九十九里浜に上陸する米軍の戦車に体当たりする訓練をしていたのですが、そのさなかに戦争が終わったと語ってくれた人でした。
 その後、中途で終わった大学に戻り、日本の中世史を学び直して田舎の高校教師として赴任し、戦争体験をふまえてか、校長や管理職の誘いに乗らず、ずっと一介の教師として、わたしたち高校生に学問のすごさを教えてくれた人でした。

 そこで、話しを戻します。すこし単純化した話しとなりましたが、わたしたちの周りには、たしかに「権威」と「権力」の相互補完的な体制があり、これが為政者の権力を強いものにしています。では、そうした「権威」と「権力」の関係は、すべて悪なのか。
 歴史が教えるところでは、近代民主国家のありようとは、どうしても起こってしまう「権威」と「権力」の補完関係を、反対に有効な制度に変える〝制度転換〟にあったと語っているのです。

 「権力」とは、政治を執行し、民衆の生活をサポートするためには、どうしても必要なものです。今回の「コロナ禍」にあっても、〝自粛〟ということではありましたが、公的機関の閉鎖を行い、一方で協力ということでホテルなどに要請して医療業務の拡張をはかる。また海外との入国出国のなどの禁止や制限といったことは、まさに「権力」の行使と考えられます。
 その意味で、「権力」はときに有用なものです。しかし、「権力」は、今回の「検察庁人事」の問題にしろ、すぐに暴慢になりやすく、その濫用は厳しく監視されていかなくてはなりません。
 その場合、そうした「権力」の監視や統制は、相互補完的な関係にある「権力」を超える「権威」に担保させる。そういう「仕組み」が近代になって生まれてきているのです。ならばその場合の「権威」とは何かということです。

 1789年7月、バスティーユ監獄の襲撃を契機にフランス革命が起こりました。そのときの人権宣言とその後の1791年の憲法では、「権力」を行使する政府に対して、それを監視統制するものとして、「国民」を「権威」として位置づけているのです。
 つまり、近代国民国家および現代の民主国家とは、「権力」である政府や為政者はあくまでも「権威」である国民のもとにおかれている。それによって、君主制でも王政でも、独裁体制でもない現在の民主制の正当性は担保される。言葉を重ねると、「国民」こそが「権威」であり、「至高」であるわけで、国民主権とは、政府を統制抑制する「権威」の役割を担うというわけです。

 でも、いつの間にかそうした理論や理屈は朽ち落ちている。それが給付金をもらった人びとのインタビューで、わたしが気づいたことなのです。
 どうも人びとは、いま自分たちが立っている世の中のありように、その根っこに何があるのか。これまで人間が築いてきた「歴史」を見落としてしまっている。あるいは知らないでいる。
 たしかにいま盛んにやりとりされているNETやSNSで放出される毀誉褒貶のあれこれを眺めていると、さまざまな言説があり、さまざまな意図やたくらみが溢れています。でも、子細に見ると、どうにもその言葉が軽いのは、物事の背景をふまえることなく、また「歴史」の意味を正面から問うことをしない。もしくは軽薄な知識に振り回されていることにある。まずは〝流行(はやり)〟に乗ってこう! 攻撃するには「いい気になるな」的な言辞をぶちかましておこう。
 それはまさに「歴史」への視座が欠けていることでもあるように思います。

 それと相まって、また違う視点で「歴史」を見ていくと、もう一つ浮かんでくるのは、多くの人びとが、いつもどこかで明るい方向を目指して生きてきたということです。
 それが自己自身だけのことであっても、またいろんな人びと、または恋人や家族などとともにでも、人びとは、猜疑や嫉妬、憤怒や悲哀に沈むより、できるだけ明るいところ、陽の当たるところに「こころ」の置き場を求めるように歴史を刻んできたように思います。
 もちろん、なかには明るいところの在処がどこにあって、陽の当たる場所の意味がわからず、失意に暮れ、曇った眼差しで世の中や他者を見てしまったり、暴虐な君主や独裁者に身を任せてしまったこともあるでしょう。
 この「コロナ禍」のなかでも、他者を差別したり、悪の在処を言挙げしたり、あたかも正義である〝自粛〟の執行人みたいに告発や密告にいそしんだ人びともいたかと思います。正しいことはかならずしも人びとを救うことにならないのですが・・・。
 
 そんなとき、かつて新鮮に感じたサルトルの説く「実存」がもたらす人間自身の可能性を思い出します。またはデカルトが述べた、どこにも頼らず縋らず、神や絶対者にひれ伏すのでもなく、いつも自分で考え行動する。〝我思う故に我あり〟という精神のひろがりを想います。
 加えるに、フランス絶対王政を終わらせたフランス革命で宣言された国民こそが「権威」「至高」であるという、自身が主人公であるという考え方。そうしたことが、現在のわたしたちの「歴史」に息づいている意味を思うわけです。やはり、そうした事柄は、「歴史」を通じて感知されるものなのです。

 とは言うものの、いつまでも若造じみたことを言っていて、恥ずかしくも思うのですが、しかし「歴史」を訪ねて知ることで、まるで眼に光が注がれるように視野が開かれていくってことも確かですし、「歴史」を知ることで、物事が遠くまで見通せたように思うことは気分のいいことなのです。
 給付金は、なにもありがたがってもらう筋合いではないのです。そういうふうにわたしたちは「歴史」を重ねてきたものなのです。

 さて、長い話しは、これくらいにして、最後に講座についてお知らせがありますので、お読みください。
 2020年夏学季の講座ですが、当初、二講座を準備していたものの、「コロナウイルス禍」によって会場の確保が困難になり、また自粛規制によって、二講座ともに開講は難しいと覚悟を決めていました。
 しかし、講座をこの秋、あるいはそれ以降にやろうとしても、この災厄は、またいつ第二波、第三波とやってくるかわからず、またいま現在、人との会話が切断され、相手の表情や言葉に含み込まれる情感などが脱色され、「対話」が喪失された状況になっていることに、わたし自身、強い危惧を持ちはじめてきたこともあり、やれるうちにやっておこうと決断しました。
 結果、実施できるのは会場の関係もあり、四講だけで、『時代に杭を打つ!』partⅢのみを縮小して開講することにいたしました。
 この講座は、以前もお知らせしましたが、質疑応答も含め、対話を考えた講座にしたいと思っています。

 日程については、下記にフライヤーを貼っておきますが、6月14日(日)午前10時から(質疑応答含めて約100分)を初講とし、6月21日(日)、6月28日(日)、そして7月12日(日*この日ばかりは13時~)に池袋にある「としま産業振興プラザ」(通称池ビズ)で行います。会場は大きな場所を確保していますので、お互いに間隔を置いて、お座りいただけます。
 もし、このブログをご覧になり、参加したい方がいらっしゃましたら、yagashiwa@hotmail.comにご連絡ください。

 というわけですが、日々、ざわざわと落ち着かないことかと思います。この先の不安、どうのように生きるべきか。さまざまな思いが交錯する毎日かとも思います。
 講座は、いちおう日本の戦後の思想家をテーマにしますが、それぞれの時代で語られた思想といまのわたしたちのありようを照射するお話になるかと思います。いまのわたしたち自身の足元を照らすものにしたいと考えています。
 まずはわたしたち自身、まだまだ〝未来に投企された存在〟であるべきですし、その意味で、自身で考え行動する大切さを共有できればと思います。

 
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