八柏龍紀の「歴史と哲学」茶論~歴史は思考する!  

歴史や哲学、世の中のささやかな風景をすくい上げ、暖かい眼差しで眺める。そんなトポス(場)の「茶論」でありたい。

☆☆東日本大震災の記憶といま起こっていること。〝災殃〟は何をもたらすのか?☆☆

2020-05-23 23:15:37 | 〝歴史〟茶論
 東京は、もうすこしで「非常事態宣言」から解放されるとのことです。

 4月から約2ヶ月、いちばん心配しているのは、学校が開かれず、しかもその途中で大人や政治家たちの勝手な言葉に振り回されて、「9月入学論」まで喧伝され、戸惑わざるをえなかった子どもたちのいまの姿です。
 まさに、この数ヶ月におよぶ、「学び」からの疎外はなんのためだったのか?

 じっさい、子どもたちに感染するリスクはあまり高くないこと。感染しても重症化するケースがほとんど報告されていない。また、学校での感染の事例は、まったくなかった。むしろ家庭内での感染が、事実としてあったこと。
 これらの状況をふまえ、電車での通学を行う高等学校や私立などの学校生徒はおくとして、地元の小中の学校にあって、「学校封鎖」は必要だったのか。そして「学校封鎖」の効果は、どのように科学的に証明されていくというのか。そのことを含め、「9月入学論」の必要性は考えていくべきものではないかと思うわけです。

 
 それにしても思い起こしてほしいのは、2011年3月の東日本大震災のときのことです。
 この震災とそれにともなう原発事故、もはやこれは「原発犯罪」というべき問題であったかと思いますが、いずれにせよ東北地方の学校の多くが、校舎に甚大な被害をうけ、なかには津波で流されてしまった校舎があり、児童生徒が津波に呑み込まれて亡くなったり、またこうした子どもたちの多くの親や親族が、死亡したり行方不明になって、生活の術さえ失われていたにもかかわらず、そのとき「9月入学」などという話しは議論されたものだったのか。記憶にある限り、そうしたことはなかったように思います。
               
 震災と原発による困難で劣悪な状況のなか、親を亡くし兄弟姉妹を亡くし、また仲良しだった友達を喪った多くの子どもたち、そして未来への〝夢〟や〝希望〟を自身の可能性とまだ純白な時間のなかに描いていた中学生や高校生は、校舎を喪い、クラスメートにも会えず、長期にわたって授業も受けることもできず、楽しみだった部活もできず、多くの人びとに祝福される卒業式や入学式もできないまま、ほとんどが瓦礫の処理や生活のためにさまざまな労苦のなかに置かれていたはずです。
 ならば彼らの学業や生活のために、そのときいったいいかなる、また何らかの猶予がなされたのかというと、それはまったく顧みられないまま、彼ら彼女らは、目の前にある過酷な状況に、身を任せるしかなかったように思います。

 いや、あれは東北地方の一部の太平洋沿岸部の不幸なのだ。日本全体のものではないのだ。震災のときには、そんな〝切り捨て〟の論理が、まちがいなく大手を振ってのし歩いていたのではないのか。
 あのとき、子どもたちの、彼ら彼女らの「教育権」について、誰が、あるいはどの政治家が為政者が、思い遣ったのでしょうか。

 震災後、仙台のとある居酒屋で、その店の大将がわたしに、「ボランティアをやると東京の大学では単位くれるそうですね。それってどういうことなんだ?」「そんなボランティアって、いいんですかね? オレたちは単位のネタってことでしょうかね?」と真顔で聞いてきました。
 肉親を喪い、家も流され溢され、生きた心地もせずに日々を送っている人びとが多かったなか、ふつふつと吹き出すやりきれない思いで胸がいっぱいであったのだと思います。
             
 北東北の出であるわたしには、この大将の言葉が、抑えつけられた者の深部から飛び出してきた憤怒の声に聞こえました。
 「たしかに震災はひどかった。でも、哀れんでほしくない」「バカにするな!」 
 東北人は、おおくはにかみ屋であり、無口といっていいかと思います。ときには、じつにとっつきにくい印象を与えます。それは長い歴史のなかで培われてきた身の処し方とでも言ったらいいのか。人びとの感情の底部に、目立つこと、批判や怒りを表に出さない性格を良しとする「痼り」みたいなものを宿しています。そのなかで、絞り出すように口をついた疑問と悔しさ。
 子どもたちの学びの疎外と単位をもらえるボランティアの、麻痺している奇妙な差別のありよう。 

 そこで話を戻します。
 では、なぜ震災のときではなく、この「コロナ禍」の時期に「9月入学論」が出たのか。それは、勉強が遅れる。受験に間に合わない。そんな都市部の親と子どもたちの、自己中心的な、あるいは誰かが出し抜いて「有利」になっちゃ困るという、〝エゴイズム〟〝悪しき平等主義〟から出てきたものにすぎないと思います。受験そのものは、自分自身の問題に過ぎません。
 加えるに〝ポピュリスト〟政治家が、これは人気とりになるとして乗っかってきた。それ以外のなにがあるのか。

 もし「コロナ禍」が、東京や大阪などの大都会ではなく、北東北の一部や九州南部の一部での蔓延だったら、「9月入学論」は出たのか。それははなはだ疑わしいでしょう。
 もちろん、「9月入学論」を言い出した首長には、宮城県知事も含まれていますが、おおかたは安倍内閣の官邸官僚、彼らは「コロナ禍」で手詰まり感がぬぐえず、経済活動ともっとも関係の薄いところから手を着けて、なんか〝やった感〟を演出したかったように見えます。結構なことです!
 それに、時流に乗る「維新」といった党派の政治屋の口吻で高まっていったと見ていいでしょう。 

 それとともに思うのは、「コロナウイルス」の発生が、首都圏や関西圏の大都市での発生が膨張したことで、感染者が「インフルエンザ」ほどの流行もなかった地方でも、いっせいに「非常事態」の網にかけられ、大都市なみにする。地方でもパンデミックが起こるのだと、あたかも〝脅迫〟めいた状況におかれたのではということです。
 そのなかで一部を除いて多くの地方自治体は、状況や感染状況を精査して、予防や医療体制を整えるいとまもないまま、大都市の厄災は、地方でも起こるという「一元化」のもと、いっせい「非常事態」に呑み込まれた。わたしにはそのように見えます。
 たしかに、いまどきの日本において、地方は弱体化して、中央のもたらす恩恵にあずかろうとばかり、中央の指示命令には、ほとんど逆らう気概もないように見えさえします。しかも、地方官僚も、中央官庁の若手キャリアが出向してきて、その頭の回転について行けない。「グズグズできない。なあなあじゃ、どうしようもない。どうすりゃいいんだ?」
 そんなときズバッと切り込んで、中央の意向を実現する若手出向官僚に頭が上がらない。前回のブログで触れた「権威」と「権力」ではありませんが、首長が「権威」として「よきに計らえ」のポーズを取って、若手キャリアに「権力」を丸投げしている自治体もあったように思います。
 そして国家的な〝脅迫〟のまえで、人びとは過剰に怯え、少なくない自治体が、具体的な方針をそれぞれの地方・地方で組み立てる「勇気」と「態度」を喪ってしまっていた。そのようにも見えてきます。
 ただひたすら政府なり大都市の首長の、過剰でポピュリズム的なパフォーマンスに振り回された。そうとも見えてきます。

 ところで、「9月入学」の話に戻します。
 よく知られたことだと思いますが、近代日本においての「9月入学」という制度は、1886年に帝国大学令が発布されたときに定まった制度でした。当時の帝国大学は、ほんのひとにぎりのエリートが入学するものであって、その学生は、庶民にとって、まさに「雲の上」といった存在でした。
 ですから、帝大に入学する者たちも、それなりの矜恃を持って入学するわけで、むしろ入学したことよりも、その後の学業をまっとうすることが難しい。それは学問においてだけでなく、学問を保障する学費や生活費用、親の負担など、さまざまな困難の待ち受けるものでした。つまり、入学にさほどの意味はなく、むしろ卒業して、いかなる役割を果たすことができるのか。それが当時の大学生のありようでした。
 それがいまは逆転し、大学入学が、世の「勝ち組」になったような傲りとなり、入学後は、ろくに教養も積まず学問を放棄し、ただ「プライド」と「収入」を満足させる、いい就職先ばかりを探し求める。
 そうなると受験難関大学に入学したことだけが、内実のない空疎な〝愉悦〟となる。たとえばそれは、東大などに合格したとき、合格発表の掲示板の前で〝胴上げ〟されるような、バカげた騒ぎとなっていくわけです。大学生としての矜恃がなくなるに従い、入学したという倒錯した価値だけが重んじられていく。

 ちなみに、かつての帝国大学は、東京帝大法学部をのぞくと、原則、無試験で、そのまえに旧制の高等学校に入学する必要がありました。
 それが現在の大学の教養課程に相当するものですが、この高等学校は秋入学であり、旧制中学などを卒業してから、秋の入試に向けて夏をはさんで受験勉強を行うというふうになっていました。
 しかし、当時の高等学校、それに準じる高等師範学校の進学者にはすでに20歳となっているものが少なくなく、徴兵令では20歳以上の男子が4月に兵役に就くことになっていて、9月入学では、丈夫で優秀な人材を軍隊に取られてしまうなどの事情が生じました。
 そこで、学生の確保を優先させる私立の大学予科や専門部が4月入学に移行する事態となって、官立の高等学校、高等師範学校も4月入学に変更したというわけです(この時代の大学生など高等教育を受ける者には、徴兵猶予がなされていた)。

 言ってみれば、軍隊との絡み、それから4月から年度予算が施行されるということで、それにあわせての4月からの新学期であり、都市部での中間市民層が形成されることで、彼らの子弟の上級学校への進学者が増え、また高等教育の社会的要請の高まってきた時代。ちょうどその1921年から、ほぼいっせいに4月入学に統一されていきます。
 ということは、そこにはなにも教育的な意図があったのではない。
 いまになって、あたかも教育的配慮のように、諸外国の大学なり高等教育機関が9月から新学期だから、それに合わせる必要がある。それが、「グローバリズムglobalism」なのだ。
 いったいどこまで「グローバル」に付き合うのか?
 まずはそんな意見がありますが、それであっても、「グローバリズム」はどれほど初等教育や中等教育にとって影響があるのか。教育的な関連性はいかほどなのか。
 世界に合わせるのなら、いまの高校を卒業したあと、ゆっくり受験勉強をはじめ、大学だけが9月入学、卒業もそれに準じて行う。そうすればいい話で、その4月からの数ヶ月の猶予期間は、学費のためのアルバイトをするなり、勉強するなり、むしろ自由な時間として若者に持ってもらうのもありだと思います。
 となると、経団連や企業あたりが、4月から入社してほしいから、いっせいじゃないとダメだ、などと言い出すでしょうね。
 しかし、大卒予定者が4年生になるかならないかで、いっせいに「就活」をし、その期間も長い。これはまさにおかしな横並びで、しかもそれ自体、まったくもって学業を妨害しているとしかいいようがない。
 そもそも新卒者だけに就職機会を保障するのは、企業にとって、どれだけ意味があるのか。企業は、あたかも多様な「人材」を求めているのではなく、いっせいに働ける「人数」を求めているのだと見えてきます。そこもあわせて考えていくべきかと思うわけです。
 また、いまの高等学校も、3年生になっての2月・3月の大学受験シーズンは、部活や体育祭、文化祭などの活動を保障するには、あまりにも日程が詰まっていると言わざるをえません。だから、大学合格者を多く出したい進学校では、3年になったら部活引退だの、文化祭は実施しないなどという学校も出てくるわけです。なんのための高校生活なのか。
 
 思うに、わたしは、いまこの「コロナ禍」の時期に〝論議〟を必要とする「9月入学」などを問題化する必要はないと思っています。またその〝論議〟の本位も、大学などの状況から、考えていくべきことと思います。

 さて最後に一言。
 「非常事態宣言」が解除になっても、まだ「コロナ禍」は、終熄したわけではありません。
 そもそも、「コロナウイルス」の出現には、過去のエイズ、エボラ出血熱、SARSなどの伝染病の出現とともなって、人間がもたらした地球環境への警鐘ととらえる科学者が多くいます。その意味でも「コロナウイルス」の問題は、ワクチンができたからといってすますことのできない、より根本的な問題が存在しているように思います。
 それは、この3月4月、そして5月にかけて、中国やアメリカなど「公害国家」の大気が、産業活動の停止により、劇的に浄化されていったこととあわせて、ただに「ウイルス」の厄災として狭く見るのではなく、世界の成長経済の陥穽として見ていくべきことでもあるかと思います。
      

 その意味で考えなければならないのは、いったいどこまで、わたしたちは「富」と「財」を求めていけばいいのかということです。
 一部の富裕者が、自らの富と安心安全のため、風光明媚な場所を占有し、防犯と侵入を阻止すべくガードマンとポリスに防衛させる「Gated community」で快適な生活を独占的に占領する。そのなかで使い切れない財産をもって「地位」「権力」を維持する状況。そうしたいまの世界の〝富の偏在〟をわたしたちは、いかに考えたらいいのか。

 この「コロナ禍」のあと、まだ人びとは、そうした「富」と「財」に執着するのか。
 いやそうではなく、だれもが気持ちのいい風の吹く青空の下で背を伸ばし、生存の糧を得ながら、いい音楽を聴き、楽しい会話を重ね、いろいろな過ぎにしこと、そしてやってくることを想いながら暮らしていく。そうしたことを静かに受け入れていこうとするのか。

 この「コロナ禍」のなかで、富と覇権を競う中国とアメリカの為政者の相互の中傷合戦、WHOの無責任さや独裁的な政治家の失政がよく見えてきたように思います。
 これまでの「歴史」を見ていくと、どんな悲劇であろうと、災厄の前で、政治指導者や政治エリートが怖じ気づき、自己保身をはかり、ほとんど機能しなくても、社会の統制は、人びとによって苦難をともないつつ自然に創られていったように思います。
 そして、こうした災厄は、歴史の流れを変えるというよりも、むしろこれまで隠されていた矛盾や亀裂、欠落を明るみにさせて、それを経験することで、人びとをより賢くすると、「歴史」は教えてくれています。
 
 それらのことは具体的に、折々にこのブログでお伝えしたいと思っていますが、そうした「歴史」について思うにつけ、そろそろわたしたちは、いまの「コロナ禍」のあとの自分自身のことを考えていく時期を迎えているのかもしれません。
 と言うことで、まずは、今日はここまで。

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