閑話休題。新聞の投書欄に私の言いたいことが意見として載っていました。曰く、プロ野球優勝のビールかけは米国野球のシャンパンかけの真似で始めたのだろう、長いシーズンを戦い抜いた選手たちにとっては幸せ絶頂のときかもしれないが、これがなければ勝利の偉業はさらに輝いて見えるのに。・・・トンネル貫通の瞬間、従事した人たちは鏡割りをして升酒を酌み交わすが、人にかけたりはしない。大自然に敬意を払い、一滴の酒といえども生命が宿り人の口に入る大地の恵みの大切さを知っているからである。・・・往年のプロ野球にはこのような醜態はなかった。シャンパンをかけたり、パイを投げあうことを伝統にしている国と、万物に神が宿るわが国とは異なる文化を持っていることを野球選手たちは自覚すべきではないか、云々(産経新聞、11月16日)。ケニヤの女性活動家マータイさんの「もったいない」運動を借りるまでもなく、このところの青少年問題の深刻さに国民等しく慄(おのの)いている今、果たしてビールかけが些かでも人の範となりうる行為なのか、選手は自らテレビの前で自分の後ろ姿を見て多少でも恥じ入るがよい、マスコミは本当に公器として一緒にはしゃぐべきことなのか。
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