福岡市にある「筥崎宮」は約1100年続いたお宮で、その昔神功皇后が征韓出陣の際に祈った場所といわれ今は毎年数百万の観光客が訪れます。このお宮の楼門高くに「敵國降伏」という掲額がありいかにも「筥崎宮」は戦いの神様という印象です。元寇の襲来の折り亀山上皇のご親筆に拠ったものと伝えられています。
江戸時代の末期、文政元年(1818年)当時の儒学の最高峰・頼山陽がここを訪れその額を見上げて本当に敵国を降伏させる意なら「降伏敵國」と(順序を逆に)書かねばおかしいのではないかと問題提起をしました(漢文流に「敵國ヲ降伏サセル」と詠む)。爾来地元の論壇では議論が巻き起こりましたが明治期に入り、当時福岡がうんだ大論客の福本日南(1857~1921)が「敵國が自ら降伏するのは徳に由る、これは王道と呼ぶ。敵國を武力で降伏させる、これは覇道と呼ぶ」と解釈し「敵國降伏」にはわが国の優れた徳の力で相手が自ずから屈し統一されるという日本の国柄が示されていると論じました。さらに時代が下がって昭和5年、文豪徳富蘇峰(1863~1957)が参拝した際、同じ掲額の前で「道義立國こそ、敵対する國がおのずから心服する道である」と語られたそうです。
江戸時代の末期、文政元年(1818年)当時の儒学の最高峰・頼山陽がここを訪れその額を見上げて本当に敵国を降伏させる意なら「降伏敵國」と(順序を逆に)書かねばおかしいのではないかと問題提起をしました(漢文流に「敵國ヲ降伏サセル」と詠む)。爾来地元の論壇では議論が巻き起こりましたが明治期に入り、当時福岡がうんだ大論客の福本日南(1857~1921)が「敵國が自ら降伏するのは徳に由る、これは王道と呼ぶ。敵國を武力で降伏させる、これは覇道と呼ぶ」と解釈し「敵國降伏」にはわが国の優れた徳の力で相手が自ずから屈し統一されるという日本の国柄が示されていると論じました。さらに時代が下がって昭和5年、文豪徳富蘇峰(1863~1957)が参拝した際、同じ掲額の前で「道義立國こそ、敵対する國がおのずから心服する道である」と語られたそうです。
徳とは 何でしょう?