私の仮説がもしかしたら非常に有力になるかもしれません。昨年(平成18年)夏、小泉政権の最後ごろ、世は靖国神社問題で大いに議論が沸騰していました。8月15日小泉首相は公約通り靖国神社を参拝し、国論も2分しました。私は外国からの横槍で混乱する日本のこの状態を心から憂い、遂に「A級戦犯分祀論」に踏み切りました。それはまさに昭和天皇のお心だったことがわかったこと、7月23日の日経新聞にのった宮内庁長官富田朝彦紙の『富田メモ』で確信したものです。小泉外交を支え、首相の靖国参拝を強く支持した議員としてそれは変節ではないか、とのご批判も多く頂きましたが、その際富田メモの信憑性にも強い疑いがかけられていました。
ところで今般新しい、決定的な補強証拠が出てきました。朝日新聞の第一報ではありますが、元侍従卜部(うらべ)亮吾氏が昭和天皇の側近として克明に書き残した日記が見付かり、その中で天皇が靖国参拝を取りやめた経緯について「A級戦犯合祀が御意(天皇の意思)に召さず」と書いており、富田メモと全く符合することが検証されたことであります。
私の仮説<公的分祀論(公簿抹消論)>は、A級戦犯を分祀する、それは単に政府がその旨を宣言する、神社の宗教行事には関知しないというもので、それは昭和天皇の御裁断に委ねた方が国論をまとめるのに一番有効で説得力があると考えたからであります。それは一種の便宜論ではありますが、「靖国神社問題」でいつまでも愚にもつかない議論を続けていくことは外国から侮られるだけで、わが国にとって何のプラスももたらさない、そのようなことは一刻も早く終結する必要があるからです。
(詳しくは日記 平成18年7月23日、8月1日、8月29日などを是非読んで下さい。)
ところで今般新しい、決定的な補強証拠が出てきました。朝日新聞の第一報ではありますが、元侍従卜部(うらべ)亮吾氏が昭和天皇の側近として克明に書き残した日記が見付かり、その中で天皇が靖国参拝を取りやめた経緯について「A級戦犯合祀が御意(天皇の意思)に召さず」と書いており、富田メモと全く符合することが検証されたことであります。
私の仮説<公的分祀論(公簿抹消論)>は、A級戦犯を分祀する、それは単に政府がその旨を宣言する、神社の宗教行事には関知しないというもので、それは昭和天皇の御裁断に委ねた方が国論をまとめるのに一番有効で説得力があると考えたからであります。それは一種の便宜論ではありますが、「靖国神社問題」でいつまでも愚にもつかない議論を続けていくことは外国から侮られるだけで、わが国にとって何のプラスももたらさない、そのようなことは一刻も早く終結する必要があるからです。
(詳しくは日記 平成18年7月23日、8月1日、8月29日などを是非読んで下さい。)