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DOCOMORO100

モダニズムだけじゃない建築ブログ

’07伊・仏建築紀行 -番外編その10-

2007年06月10日 10時03分18秒 | Art
 「え?終わっていなかったの?」と言われてしまいそうだが、終了宣言をしていないので、まだまだ続くのである。再び07’伊・仏建築紀行の番外編である。パリのコルビュジエ建築「ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸」のラ・ロッシュ邸の方は、コルビュジエの絵画や彫刻などが展示されており、展示場としての役割も果たしている。
 勉強不足でタイトルまでは分からないのだが、このような彫刻や絵画が数点展示されている。いずれもコルビュジエの作品だ。正直に言うと、これらの彫刻や絵画の価値は、あまり分からない。自分などは「コルビュジエの作品だから」というだけで、有り難がって見ている始末である。

 普段、旅先で自分へのお土産や記念品は買わない性質であるが、ここラ・ロッシュ邸では「開いた手」のピンバッチを買ってしまった。非常に満足している。

’07関西建築紀行「激闘編」 番外編1

2007年06月06日 22時16分56秒 | Art
 京都の街を歩き回っていたら、地下鉄東西線京都市役所前駅の改札横に、見覚えのある質感の像が置かれていた。改札の中に入ってしまった後に気付いたので、柵の際まで寄って身を乗り出して確認した。やはりそうだ。流政之氏の「こんちき」であった。
 「しかし何故ここに?」この像は阪急百貨店に在ると、以前ネットで見たのだが…。まあ、漂泊の彫刻家が創った像だから、歩いてきたのかもしれない。地下鉄で又何処かへ向かう途中だったのだろう。

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その31-

2007年04月09日 22時43分28秒 | Art
 「パレ・ロワイヤル」の中庭に260本の円柱が整然と並ぶ、ダニエル・ビュランの「Les Deux Plateaux」は、ストライプがとても印象的で初めて見た瞬間は歴史ある宮殿には不釣合いのように思えた。しかし、しばらくその場で眺めていると、不思議と馴染んでくる。リラックスした市民を見ることが出来る。

 地下ピットから伸びる1本の円柱の頭に、コインを載せる遊びに興じる人達がいた。見ていると、つい自分もやってみたくなる。残念ながら、載らなかった。

「Les Deux Plateaux」
設計者:ダニエル・ビュラン 完成:1986年 パリ市内

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その12-

2007年03月19日 19時45分15秒 | Art
 続いて、同じラファエロ・サンティの「キリストの変容」である。この絵の完成直前にラファエロは亡くなってしまった。若いとはいえ、ラファエロの力もダ・ビンチやミケランジェロに負けぬ素晴らしいものだ。37歳での死は当時でも早いであろう。

 バチカン美術館に昨年は入ることが出来なかった。今年は満喫することが出来た。しかし、時間はいくら有っても足りない。

「キリストの変容」
作者:ラファエロ・サンティ 制作年:1518~1520年 バチカン美術館

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その11-

2007年03月18日 23時56分12秒 | Art
 昨年、日曜日に訪れたところ「バチカン美術館」は休館日であった。今年は無事に入館し、ミケランジェロの「創世記」「最後の審判」を見ることが出来た。ただこれらが描かれている「システィーナ礼拝堂」は撮影禁止であった。ところが、撮影禁止はシスティーナ礼拝堂くらいで、他は大抵の場所で撮影が許されている。
 レオナルド・ダ・ビンチ、ミケランジェロ・ブオナローティと並んでルネッサンスの3大巨匠に挙げられるのがラファエロ・サンティである。3人の中では最も若いが、やはりその作品は素晴らしいものだ。

 ラファエロが、ここヴァティカーノ宮殿で仕事をしている際、ちょうどミケランジェロはシスティーナ礼拝堂の仕事をしていたそうであり、そのミケランジェロの絵がラファエロに大きな影響を与えたそうである。
 「署名の間」に描かれている「アテナイの学堂」にはラファエロが畏敬の念を抱いて止まなかったダ・ビンチとミケランジェロも登場する。中心に描かれたプラトンがダ・ビンチ、アリストテレスがミケランジェロと言われる。ミケランジェロは階段で頬杖をつくヘラクレイトスのモデルでもある。ラファエロ自身も右下の数人の中に居る。

 絵では、天を指差し「真理は一つ」と理想主義を解くプラトンに対し、手のひらを地面に向け実践哲学を説くアリストテレスを描いている。モデルのダ・ビンチとミケランジェロに対しラファエロが抱いていた心情を重ねてみたくなる。

「アテナイの学堂」
作者:ラファエロ・サンティ 制作:1509~1511年頃 バチカン市内

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その10-

2007年03月17日 23時20分01秒 | Art
 サンピエトロ大聖堂の内部に入ってすぐに、ミケランジェロの「ピエタ」を見ることが出来る。この礼拝堂はその名も「ピエタの礼拝堂」という。ミケランジェロは生涯に4つのピエタを制作しているが、完成したのは23歳の時に作ったこのピエタだけだ。ピエタとは十字架より降ろされたキリストを抱く聖母マリアの慈悲のことを言う。

 サンピエトロのピエタは素晴らしい出来だ。この大聖堂の中でも、多く人が集まる場所である。マリアが若すぎるという話もあったらしい。それにしても、さすがルネッサンス期の巨匠である。20代前半で作った作品なのだ。好きなベルニーニの作品とは違う、何か荘厳な、厳格なものを感じる。

「ピエタ」
制作者:ミケランジェロ・ブオナローティ 制作年1498~1500年 バチカン市国

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その6-

2007年03月12日 00時28分10秒 | Art
 ローマにはあちこちにオベリスクが立つ。これらはローマ帝国時代にエジプトより運ばれてきたものだそうだ。スペイン広場にもナヴォーナ広場にも立っている。ミネルヴァ広場に在る「ミネルヴァ・オベリスク」は少々小さいのだが、オベリスクと台座の間にベルニーニがデザインした像が挟まっている。象の像である。(下手な洒落ではない。)
 ミネルヴァは戦いと知恵の女神、象は知性の象徴であるそうだ。とてもあやかりたい組み合わせだ。
 最終的にこの像は弟子のエルコール・フェラッタによって完成された。とても可愛い印象の像であった。

「ミネルヴァ・オベリスク」
デザイン:ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 完成:1667年 ローマ市内
サンタ・マリア・ソプラ・ミネルヴァ教会前ミネルヴァ広場

’07伊・仏建築紀行 -ローマ編その4-

2007年03月07日 23時21分23秒 | Art
 「大理石で作られたものとは思えない。」という言葉は、ベルニーニの作品に対しよく用いられる。本当に石には見えないのだ。昨年も「四大河の噴水」やサンピエトロ大聖堂内の天蓋などを見てきたが、どれも石の硬さを感じさせないものである。

 「聖テレジアの法悦」は最初の女性教会博士、聖女テレジアが幻の中で天使に心臓を火の矢をもって突かれる。その際の激しい痛みと共に感じる恍惚を表現したものである。
 この彫刻は、少し高い天井付近に設置してあるが、室内に有るため350年経った今日でも素晴らしい状態だ。図鑑の写真で見るのとは格段の差がある。ベルニーニの彫刻はまだいくつか見なければならないものが有る。三度、訪れる日を信じる。

「聖テレジアの法悦」
制作者:ジャン・ロレンツォ・ベルニーニ 制作年:1645-1652年 ローマ市内
サンタ・マリア・デッラ・ヴィットリア聖堂 コルナーロ礼拝堂

’07伊・仏建築紀行 -パリ編その6-

2007年01月28日 22時18分05秒 | Art
 ベルナール・ゼルフス、マルセル・ブロイヤー&ピエール=ルイジ・ネルヴィ設計のユネスコ本部には、安藤忠雄氏の「瞑想の庭」など、いくつかのアートが贈られた。以前「札幌芸術の森」のダニ・カラヴァン作「隠された庭への道」を掲載したが、ユネスコ本部の中庭には「寛容の庭/イツアク・ラビンへのオマージュ」が在る。暗殺されたイスラエルのラビン首相に捧げられたものだ。
 後方の文字板はユネスコ憲章で、中心にオリーブの木が一本植えられているのだが・・・。何故か布で覆われていた。このアートも芸術の森の隠された庭への道同様繊細なものである。

 ユネスコ本部では見学に予約が必要だ。丁度、仕事を終え帰宅する人達の流れに逆らうように受付へ行くと、見学申し込みの用紙を貰った。明日以降に又来るようにと促され、とぼとぼ歩いて帰ろうと建物を廻っていたら、「寛容の庭」は外部からも見学出来た。

「寛容の庭/イツアク・ラビンへのオマージュ」
制作者:ダニ・カラヴァン 完成:1996年 パリ市内

ああ憧れの日本代表

2007年01月03日 11時30分36秒 | Art
 写真が小さいので、一見女性アイドル歌手のように見えるが、中身は「超本格派」ギタリストの演奏である。手前味噌な記事だが、この方が私のギターのお師匠様だ。このCDは、カフェエスキスのお客様よりご要望があったもので、サインを入れていただいた。
 このCDは「レコード芸術」「CDジャーナル」「音楽現代」各誌に取り上げられ、「レコード芸術」誌では特選盤にも選ばれたものだ。お師匠様の実力は折り紙付きで、スペインリナーレスでのアンドレスセゴビア国際ギターコンクールにて日本人初にして最高の2位入賞。昨年は日本人女性ギタリスト代表としてパラグアイのギターコンサートのステージに立った。

 普段からあまり欲が湧いてこない性質だが、「日本代表」には物凄い憧れを持っている。アマチュアボクシングの練習中に、先輩選手のトレーニングウェアに縫い付けられた日の丸を羨望の眼差しで見ていた。

 歴史的建築保存の分野ではDOCOMOMOの世界大会に日本代表としてpenkou師匠が参加された。次の世界大会の開催地に立候補したのだが、様々あってオランダに決まってしまった。周りの方々は「気にする事は無い」とおっしゃられたそうだが、鈴木教授の落胆は大きかったそうだ。自分には鈴木先生の無念さがよく分かる。そしてその分余計に「お疲れ様でした。ありがとうございました。」という気持ちが強い。プレゼンは素晴らしいものだったそうである。
 
 天は二物を与えずというが、ギターのお師匠様は3つも4つも持っている。頭脳明晰、容姿端麗、芸術の才能を開花させ人間性も素晴らしい。凄いなあ。さて、昨年から建築の宿題を溜めまくっているが、今年はもう一つ目標を立てた。「いつか何かの代表になる!その何かを探す。」なんだそりゃ?

こんなところにも

2006年12月23日 16時02分43秒 | Art
 札幌出身の芸術家、伊藤隆道の作品は大通り公園の冬のイルミネーションなどが有名であるが、実はこれもそうだ。札幌市北1条西4丁目「札幌ノースプラザ」のファサードに設置されている時計の文字板が伊藤氏の作品である。
 伊藤氏は今年東京藝術大学教授の職を退かれ、記念的展覧会が道立近代美術館にて開催された。棒状の金属材を螺旋に加工したものなどが特徴的だ。氏の作品は近美にも設置されているし、全国で見ることが出来る。そしてこのように、街に溶け込んだ作品もある。

フーテンの寅狸

2006年12月12日 01時41分35秒 | Art
 札幌には狸小路というアーケード街がある。6丁目の端に流政之氏の作品「PONSA」が設置されている。以前「サキモリ」という作品を掲載したが、鬼気迫るあの像に比べ、このトランクケースを持った“狸”のなんとユーモラスなことか。トランクケースに刻まれているのはアイヌの紋様。道産子狸がポンポコシャンゼリゼを行く。

ドローイング

2006年10月30日 21時17分45秒 | Art
 昨日、アートの世界的巨匠クリストとジャンヌ=クロードの講演会が、ここ札幌の北方圏学術情報センター・ポルトホールにて開催された。「二人で一人」のこの夫婦芸術家は、71歳という高齢とは思えないバイタリティを発する。温厚な学者然としたクリストと、よく喋る建築家のように押し出しの強いジャンヌ=クロード。通訳を介しての講演会であったが、とても楽しかった。フランス訛りの英語は、かえって聞き取り易いという利点もあった。
 自分が小学生の頃、親に買ってもらった図鑑にヴァレー・カーテンの写真が掲載されていた。「何でこんなことをするのだろう」というのが正直な感想であったが、同時に一目見たら二度と忘れられない強烈なインパクトを受けた。

 今回の講演会で、一番為になったのはなんと言ってもクリストのドローイングである。「ドローイングだけが私の仕事では無いよ。」と言うクリスト。しかし、やはり手で描くドローイングは力強い。世界的巨匠の手によるものは、なおさらである。このドローイングや実作のスライド群を観る事が出来、しかも本人の解説付きなのだ。とても貴重な時間を過ごすことが出来た。
 実は、展覧会の方はまだ観ていないのだが、今週末にゆっくり観たいと思っている。

漂泊のサムライ

2006年09月28日 22時44分58秒 | Art
 彫刻家、流政之氏の作品は北海道にも数多くある。札幌市内にも函館近くの大沼にも、あるいは奥尻島にも。自分は常々60歳までに納得した仕事をして(建築を創って)死にたいと思っているが、流氏は「芸術家は八十からが勝負だ」とおっしゃる。いやはや凄い人がいるものだ。
 流氏は若いころより古武道を学び、刀鍛冶も経験した元ゼロ戦パイロットである。正にサムライだ。

 写真の「サキモリ」シリーズは数多く創られたものだが、その一つが北海道の「知事公館」敷地内に在る。サキモリとは“防人”である。内臓をえぐられたような、硬い鋭角の質感が力強い。

 ところで、この作品と狸小路6丁目の狸の像の作者が同じとは、にわかには信じられない。