道南の福島町は、二人の横綱を輩出している。千代の山と千代の富士である。同町を通る国道228号線沿いの「道の駅横綱の里ふくしま」に隣接して、「横綱千代の山・千代の富士記念館」が建っている。千代の山の現役時代は見ていないが、千代の富士の相撲は大好きだった。同じ町から二人も横綱が出るというのは、とても凄いことだと思う。
そんな二人の銅像を撮影しバイクへ戻ろうとしたところ、甘い匂いが漂ってきた。その直後、目の前を自転車に乗った、お相撲さんが通り過ぎて行った。この記念館には土俵も設置されており、九重部屋の夏合宿が行われていたのである。
早朝に訪れた為まだ開館していなかったのだが、両横綱の記念品をとても見たかった。
「横綱千代の山・千代の富士記念館」
設計者:? 竣工:1997年 北海道松前郡福島町字福島190
初めて札幌ドームのバックヤードに足を踏み入れた。penkou師匠が帰京する日、札幌ドームでは何もイベントが行われていなかった。それで、ドームのバックヤードを見学するツアーに申し込んだのである。時間は1時間ほどであったが、満足ゆくものであった。
当日はサッカーグラウンドが外に出ており、野球のマウンドなども収納されていた。
そんな訳で、上の写真のような状態だったのだが、こんなシーンは札幌市民でもなかなか見ることはないだろう。
「人口芝の下は硬いコンクリートなんだ・・・」
人口芝の下は土ではない。当たり前ではあるが、実際に目にするとここでプレーする野球選手の体を心配してしまう。中にはダイビングキャッチして体を打ち付ける野手もいるわけである。
さて、今夜はここで日本ハム対ソフトバンクの試合が行われている。ソフトバンクの選手は以下の写真のロッカールームを使っている。
ホームチームのファイターズ側ロッカールームは、もう少し良い内装が施されているそうだ。そちらの方が見たかった。
「札幌ドーム」
設計者:原宏司+アトリエファイ建築研究所 竣工:1998年 札幌市豊平区羊ヶ丘1
今年もまたpenkou師匠と一緒にPRESS CAFEの特性オムライスを食べることが出来た。いつも変わらず、とても美味しい。
初めてpenkou師匠と共にPRESS CAFEを訪れてから、もう6年が経つ。PRESS CAFEはいつも変わらずそこに在る。
「旧澁澤倉庫・PRESS CAFE」
設計者:? 竣工:1895年 小樽市色内3丁目3番20号
小樽市指定歴史的建造物
隈研吾氏、安藤忠雄氏、伊東豊雄氏と続くと、何だか「まっとうな建築ブログ」のように思えてくる。しかし本日はちょっと路線変更する。
本日UPする「佐賀町村林ビル」は、テレビなどのロケ地としてよく使用されているようだ。現在は劇団と建築設計の事務所が使用しているようだ。 永代橋のすぐそばにこのような歴史的建築物が建っている。
内部には入っていないが、ファサードはとても凝った意匠であった。タイルはスクラッチではなく、大きな凹凸のタイル。エントランス周りには素晴らしいレリーフをあしらったテラコッタ。両開きの木製ドアが重厚である。縦長窓最上段には半円のアーチ。階段部分であろう外壁に丸窓と、小さな建築であるが丁寧に設計されている。横浜あたりだと埋もれてしまいそうだが、江東区に在って今も輝きを放っている。
「佐賀町村林ビル」
設計者:関根要太郎 竣工:1928年 東京都江東区佐賀1-8
2010年に東京国立近代美術館で開催された「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」展において、伊東豊雄氏のコーナーに展示されていた物体の一つが以下の写真である。曲面の集合体とでも言おうか、削り取った表面の集合体とでも言おうか。
中心部に少しだけ色が濃くなっている部分が有る。実はこの中心部分が「座・高円寺」である。コンセプトは「黒いテント小屋」ということになっているが、その形状はこのようなプログラムから発生していた。
ところが、その形状をよく表しているのは、正面よりも裏側である。裏側は住宅街なので、なかなか良い写真を撮るのは難しいが、この建築を見に行くならば、周囲を一周するべきであろう。
「座・高円寺」
設計者:伊東豊雄 竣工:2008年 東京都杉並区高円寺北2-1-2
東京は狭いようで広い。(広いようで狭い?)浅草から渋谷に出て、更に乗り換えて東急大井町線の「上野毛駅」に降り立ったのだが、結構な時間を要した。この駅は安藤忠雄氏の設計である。竣工は2011年であるから、とても綺麗であった。しかも最近の安藤建築は、洗練されていて重たくない。雰囲気は変わらないのだが。
線路上に架かる歩道橋から、駅の屋根部分が見える。
シャープなイメージで格好良い。
「東急大井町線上野毛駅」
設計者:安藤忠雄 竣工:2011年 東京都世田谷区上野毛1丁目6
秋田では竣工後プレ公開中の安藤建築「秋田県立美術館」を見たし、7月の上京時には隈研吾氏の「浅草文化観光センター」を見た。こちらも本年の4月に竣工したばかりだ。ちゃんと最新の建築も見ているんだなあと、我ながら感心する。
さてその最新の建築に含まれる「浅草文化観光センター」は、数年前からよく見られる手法の家形を積層させたもので、ファサードは隈建築でこれまたよく用いられている、木製ルーバーで覆われている。竣工後もうすぐ10年になる「ONE表参道」の木製ルーバーは、大分灰色に変色してきたが、10数年もすればこちら浅草文化観光センターのルーバーも同じように変色していくのだろう。
観光センターであるから、内部にも入ることが出来る。空間を積層させたことによる何らかを、中から感じることは難しい。ただ木材をふんだんに使用し、浅草の街、隅田川や下町のイメージによく合っているなと思う。浅草で1年ほど現場監督をしていて思い入れ有る土地だが、ぱっと見て好感が持てた。
「浅草文化観光センター」
設計者:隈研吾 竣工:2012年 東京都台東区雷門2丁目18番9号
「松前藩屋敷」という小さなテーマパークを訪ねた。建築は全て再現されたもので、どこからか移築されたというわけではないが、奉行所、番屋、廻船問屋など全部で14棟在り江戸時代の松前を再現している。建築の造り自体もいい加減ではなく、しっかりとしたものだ。
夏休み、お盆時期なのに観光客が少なく、経営を心配してしまうが、逆に穴場と言える観光スポットだった。松前城や松前公園と繋がっているようなものだから、一日中楽しめる。江差や松前を尋ねるのはとても良いツーリング・ドライブコースである。
現在日本に国宝の城は4つ在るが、実はこの福山(松前)城も、嘗ては国宝に指定されていた。明治維新の戦火にも耐え、太平洋戦争中も破壊されず国宝となったのに、戦後焼失してしまった。誠に残念である。そういう訳で、現在の天守はRC造だ。天守に一番近い「本丸御門」は重要文化財に指定されている。
この門はオリジナルということなのだ。日本最後、最北、北海道唯一の天守閣を持っていた城郭跡にて、土方歳三、榎本武揚の戦いに思いを馳せる。松前城を攻めたのが土方歳三である。激戦を物語る銃弾の跡を見つけることが出来る。
「福山(松前)城本丸御門」
設計者:? 竣工:1854年 北海道松前郡松前町松城144
国の重要文化財
当たり前ではあるが、建築探訪に出かける前には予めある程度予習する。それでも、突然目を引く建築に出くわしたりする。道南ではその軒数が多かった。油断出来ない土地である。
この乙部町「郷土文化保存伝習施設」俗称「蛸島の家」もそうだし、以前UPした「寿都町漁場建築佐藤家」もそうだ。バイクに乗ってよそ見運転をしてはいけないのだが、相棒のK君もそのことをよく知っていて、「ああ、またか」と停車してくれる。
この建築は、海産物の商いをしていた新谷松蔵氏が店舗兼住宅として建てたものだ。「蛸島の家」の由来は、新谷家が能登国蛸島村から移住したからだそうである。北海道の沿岸部には能登や新潟、佐渡などからの移住者が多い。材料や職人を出身地から呼ぶ例もある。
下見板貼りの瓦屋根は道南ならではかと思う。北海道にも瓦屋根の木造住宅は在るのだ。
「郷土文化保存伝習施設/蛸島の家」
設計者:? 竣工:1936年 北海道爾志郡乙部町元和
こちら「旧中村家住宅」は、資料館として一般公開されている建築である。建築年は、明治中頃とも江戸時代とも言われている。昨日の「横山家」もそうだが、この2軒は高低差のある国道227号線と道道5号線「いにしえ街道」の間に建っているため、基礎部分の勾配がきつく、おさめ方に苦労しているようだ。penkou師匠からの質問にも有ったが、是非師匠御自身の目で御確認いただけたらと思う。
さて江差の街中「いにしえ街道」沿いは以下の写真の通りである。
反対側はこんな感じ
安直と言うことなかれ。道南らしい身の丈に合った街づくりをしている。
「旧中村家住宅」
設計者:? 竣工:?年 北海道檜山郡江差町字中歌町22
国指定重要文化財
運が良かったのか悪かったのか、ちょうどこの江差町「横山家」隣の広場で、 姥神大神宮渡御祭が開催されており、沢山の山車が集結していた。そんな状況であったから、肝心の建築物の撮影が出来ない。ちょっと離れた所から、何とか山車が入らないように壁だけ撮影した。
因みにこの「横山家」には、現在8代目が住んでいらっしゃるとのこと。御当主自ら建物の案内をしてくださる。また改めて江差町を訪ねてみたいと思っている。何せ、今回は押し縁の下見板張り外壁しか見ていないのだから。
「横山家」
設計者:? 竣工:1893年 北海道檜山郡江差町字姥神町4
北海道指定有形民俗文化財
ひとまず秋田の建築紹介を終え、北海道の道南ツーリング時に見た建築をUPしたいと思う。この「旧檜山爾志郡役所」は、郡役所として唯一現存する建築なのだそうである。警察署も兼ねていた明治時代の建築で北海道指定の有形文化財、コロニアル風の擬洋建築である。札幌の「豊平館」や旭川の「偕行社」、函館の「公会堂」などを小さくした感じだ。
その建築物の前に一本の松が生えている。この松には「土方歳三 歎きの松」という名前が付いていて、なんでも明治元年に旧幕府軍軍艦「開陽丸」が江差沖で座礁沈没したのを見た土方歳三が、この松を拳で叩いて嘆いたのだそうだ。そのパンチ力で、松に瘤が出来、こんな具合に曲がってしまったとのこと。伝説であるが、面白い。
「旧檜山爾志郡役所」
設計者:? 竣工:1887年 北海道檜山郡江差町字中歌町
北海道指定有形文化財
現代の材料を使用し、竣工(1999年)当時流行りの設計かなと思って近づいてみたら、駐車場側の入口から、長いスロープがスパイラル状に伸びていた。館内もスパイラルになっているかは分からない。少なくともピロティの天井部分(2階床外周部)は全てスロープとなっている。
新聞社であるから、ひょっとしたら内部に入っても怒られなかったかもしれないが、早朝でもあったので遠慮した。
「朝日新聞秋田支局」
設計者:宇野享(シーラカンスアンドアソシエイツ) 竣工:1999年 秋田市山王2丁目1-46
フェリーから下船し、秋田港に降り立つとすぐにこのタワーが目に入った。道の駅「あきた港」、「ポートタワー・セリオン」である。巨大なガラス建築で、タワーの足元には植物園のような空間が在った。が、フェリーの到着が早朝であった為、内部に入ることが出来なかった。タワーの平面形は十字手裏剣のような多角形。高さは100mで、秋田市の所有となってからは展望台へ無料で登れるそうだ。時間が有れば登ってみたかった。この日は曇天だったが、晴れていたらさぞ光輝いていたことだろう。
「ポートタワー・セリオン」
設計者:日建設計 竣工:1994年 秋田市土崎港西1丁目9−1