●1988年7月20日:広島~京都
下宿のすぐそばのバス停から旅は始まった。
いきなり、広島駅行きのバスの整理券を取るのを忘れる。バカだなあと自嘲しつつも、先行きが不安になる。
北海道ニューワイド周遊券が買える駅ビル内の旅行センターは10:00に開店。それまで、キヨスクの本売り場で時間をつぶし、10時過ぎにおもむろにセンターに行くと、その券はウチではやってませんといわれる。2階のA旅行代理店にならあるかもしれないということなので、ダッシュで行こうとしたら、エスカレーターは動いておらず、シャッターも降りている。仕方なく階段を上がると、そこはレストランだった。
ナンナンダー、一体! 目当ての旅行代理店に行けずに突っ立っていると、駅のおじさんが親切にも事情を聞いてくれて、そんならちょっと来んさいと裏口から連れて行ってくれた。
なんでも、今日は駅ビルの月一度の定休日だったらしいが、運良くその代理店だけは開いていて、社員が2人で仕事をしていた。おじさんが状況を話すと、「いやあ、ウチでも今日はできないんですよぉ~」
ほとんど泣きが入ったわたしの顔を見て、「ちょっと待ってください」とどこかに電話し、「駅前のB代理店にはあるそうですよ」。
ひた走りに、走る。なんせ、広島発は11:07。あと30分しかないのだ!
B代理店に着き、ドッと吹き出す汗をぬぐいながら「あの~…」と切り出すと、受付の女性いわく、「ああ、アレは青春18きっぷとは併用できないことになってマス」(そんなバカな!下調べミスか?!)「えっ?! でも併用できるって、ちゃんと旅行代理店の方に確認とったんですけど」「それってウチでですか?」「イエ、C代理店だったんですけど」「そしたらそこで聞いてみてください。おかしいですね、基本的にできないはずなんですけど」……そんなこと知るか~っ!!
…というわけで、結局、北海道内超徳用きっぷは買えなかった(泣)。まあ、いいや、なんとかなるさと思い直して駅へ急ぐ。
こうして、私はあたふたと広島を発った。
広島ー姫路間で、やたら話しかけてくるおじさんに出くわした。自分のことは名古屋に行くとだけしかいわずヒトのことは根掘り葉掘り聞いてくる。思いはほとんど京都に馳せて、適当に答える。
京都のユースホステルにはスムーズに行けた。6つのベッドがあり、同泊者は5人。東京から来た、OLでライダーのぽっちゃりねえさん、徳島大学医学部2年の三木さん、アメリカ人のグレイス、同じくアメリカ人でサンディエゴから来たサブリナ、上智大1年仏語専攻の鈴木さん、その友達のきれいなフランス人ジョエル。鈴木さんはフラ語ペラペラで、「シルブプレ」と「メルシ」を連発するしかなかった自分がちょっと情けなかった。
夜は北海道内のプランを立てようと思っていたら、ぽっちゃりライダーねえさんと話がつい弾んで立てられず。まあ、いいや。
10時消灯。早すぎ! だが、疲れていたのですぐ寝入る。
●7月21日:京都~東京
生まれて初めて、「ボンジュール!」といって起きる。
朝9時ごろ京都駅着。今日は1日中市内を歩き回ろうと思い、荷物預かり所へ向かう途中、皇太子夫妻を迎える参列に出くわす。 皇太子はほとんど警備員にまぎれて見えなかったが、美智子さんはきれいな白いスーツが印象的。
清水寺では韓国人の団体といっしょになった。音羽の滝で、寺の名前の由来という湧き水を飲む。目には緑、耳にはハングルってか。冷たくておいしかった。
二年坂、三年坂は静かなたたずまいで感じがいい。店先に「準備中」の代わりに「すんまへん」の札がかけてあり、あ、京都だ、と思う。
二年坂を歩いて行くと、突然「坂本竜馬の墓」という看板が目に入り、つい早足になる。竜馬の墓は中岡慎太郎の墓とともに、京都市が一望できる見晴らしの良い高台にあった。線香に火をつけるのがちょっと大変なほど風が強い。
四条河原町で降りて、400mの間に150店舗がひしめき合っている錦市場に行く。ゆば、真っ赤に熟れたトマト、活きのいい魚etc.。今日が土曜の丑の日のせいもあって、うなぎの蒲焼きが目につく。
金閣寺はキッチュだが美しい。もみじに竹林。帰りに茶店で氷いちごを食べた。
きゃるとしばちゃんにおみやげのグリーンティを買う。夏にはへばってる生八つ橋よりグリーンティがヨイ!
今、大垣ー東京間の夜汽車の中。今夜は半月夜。さっき関ケ原を通過するが、暗くてなんにも見えない。
●7月22日:上野~仙台
寝たのか寝なかったのかよくわからないうちに東京駅に着く。しばらくして、Sが迎えに来てくれた。相変わらず、普通なようでいて、どこか面白い。皇居前や日比谷公園で写真を撮ってもらい、マックで朝食。彼女はいないとかいってたけど、来年ブラジルに行ったらブラジル美人を連れて帰ってきたりして。
ギリギリで上野発9:03土浦行きの列車に間に合う。
いわき市のはずれを通るころになると、東北弁(~だっぺ、とか)が聞こえ始める。
雨が降り始める。海が見えてきた。列車は静かな田舎を走る。周りの風景で動いているのはこの列車だけ。文庫本を閉じて外を眺める。
仙台駅を降りると外は肌寒く、長そでシャツを着ている人も見かける。
泊まった仙道庵YHは、何から何まで全部よかった!
同泊したのは、旅の達人とおぼしき人、2人(そのうちの1人松尾さんは知床半島大好き人間でここに泊まるのは124泊目)、途中で事故に遭ってしまった2人組のライダー、もう1人男性ライダー、それに看護婦の緒方さん。
ここのペアレント(YHの経営者)の本業は農業なので、家の造りは農家そのもの。醸造樽の中にも泊まれるように改造してあった。松尾さんらに北海道や周遊券のことなどいろんな情報を聞く。旅の途中で困ったときの裏技(?)も教えてもらった。
食卓にのった野菜はすべて自家栽培もので、シソ1枚から「ワ・タ・シ・ガ・シ・ソ・ダ!」という顔をしている。大豆を通常より多く使うという仙台みそ(自家製)で仕立てた味噌汁も初めてのおいしさ。もちろんお米も自家製だった。
とにかく、玄関、食堂、部屋、お風呂、トイレ、電灯、倉など、まさに東北の農家!という感じで趣きたっぷり。松尾さんがこの10年で123泊もしているのがわかる気がする。明日はYH開所10周年記念パーティをやるということだったが、明日は出発する身なので実に残念。
お風呂から上がってみんなでコーヒーを飲みながらおしゃべりするが、ゆうべがゆうべだったので、すぐに眠くなり、10時半ごろ部屋に戻る。
●7月23日:仙台~青森
仙台駅まで、去年できたばかりという地下鉄で行った。緒方さんが、松島を回るついでにといって見送ってくれる。
……今、うとうYHの布団のなかで書いている。ここに着いて初めてわかったことだが、実はここはすでにYH協会から脱会していて、現在はものすごく古くなった建物だけが残っており、ペアレントの家は離れにある。
お昼に一ノ関から予約を入れようと電話したとき、「もう、ウチはYHは解約してるんですが、それでもよかったら素泊まりならできますよ」といわれ、市内に泊まる必要があったので「じゃあ素泊まりで」と、条件反射でいってしまう。
…まさか、このうす暗くて、古くて、汚なくて、カビくさくて、めちゃくちゃ広い3階建ての建物で、宿泊者がわたしだけとは思わなんだ。モチロン、テレビやラジオなんか一切ない。不気味なくらい静かなのに耐えかね、涼しすぎるのをガマンして窓を開け放す。
近所の銭湯から帰り、玄関のかぎをかけて部屋に戻った。
荷物を整理していると、だれもいないはずの階下で音がする。ひえ~っ!っと思い、耳をそば立て、すきまから向こう側の階段をのぞいていると、男の人がひとり、こっちに向かって歩いてくるじゃないか!あわわ…と死にそうになっていたら、部屋の前の洗面所でおもむろに歯を磨き始めた。
こわかったが思い切って話しかけてみた。「あ…こんばんは」「あ、こんばんは」「………」「?」「ここ、YH協会から脱会しているってご存じでしたか?」「え?やめちゃってんですか?ガイドブックに載ってたから全然知らなかった」かくかくしかじか。ア~、オバケとかじゃなくてヨカッタ~。
●7月24日:青森~札幌
ゆうべ寝る前は(夜中におばあさんがボォーッとこっちを見てたらドウシヨウ?!)とか、(包丁研ぐ音とか、なにかがヒタヒタ歩きまわる音がしたらドウシヨウ??)と不安だったが、実際寝てみたら、どうということはなかった(単に気づかなかっただけかも…!)
気持ちのいい青空に、さわやかな風!青森駅まで同泊の男性といっしょに行く。これから太宰治の生家を訪ねて、夜は野宿するらしい。
駅前で、おいしいよと教わった日食のモーニングを食べる。
青函トンネルを通る。吉岡海底駅で途中下車して見学する予定だったが、松尾さんから「なんにもないで。ただ、横に穴があるだけや」と聞いていたので、やめる。列車の中からでも見えた。
函館に着いたのがちょうどお昼時だったので、駅近くのラーメン屋さんでみそラーメンを食べる。
札幌駅に近づくにつれ、気分が落ち着かなくなる。5年来のペンパル、村山薫さん(きゃる)と初めて会うせいだ。サッポロー、サッポローというアナウンスを聞くと、もういけない。
改札を出ると、きゃるが目印の小さなぬいぐるみを持って立っていた。思っていたより小柄で、声のイメージ通りかわいい人だった。実際に会うと、何かホッとした。
それからはずっと話が弾む。手紙でお互いの予備知識はあったが、より詳しく、生まれてからこの20年間のあらゆることを話してくれた。北海道のこと、これまで考えてきたこと、今考えていること、職場のこと、ジャズのこと、本のこと、興味のあることetc.…。アルバムも7、8冊すべて見せてくれた。
心地いいジャズをBGMに、夜中の2時半くらいまで語り合う。タバコをくゆらす姿が、かわいいのに不思議に似合っていた。
いっしょに作った夕食もおいしかった(わたしは切ってあったコンニャクを煮て、ごはんをよそっただけだったが)。
とにかく、きゃるは素敵な人だった。「わたしをニガテな人はニガテみたいだけど、いったん好きになるとすごく好きになってくれる」といっていた。それってつまりは個性があるってことだよなあ。みんなに好かれようとしてもしかたがない。
どうしてこんな話題が出たのかは忘れたが、「死んでも周りはなんにも変わらないんだよね。わたし、おねえちゃんのことでそう思ったよ」ときゃるがポツンといった。人は、いいイミでも悪いイミでも社会の歯車なんかじゃない、歯車にすらなれないということか。
札幌に来て、よかった。
●7月25日:札幌~浜頓別
きゃると別れた後、北海道大学にあるクラーク博士の銅像を見に行く。5年前、某旅行代理店のキャンペーンで、クイズで北海道2泊3日の旅が当たったのだが、それの答えが「クラーク」だったので、一応見ておこうと思ったのだ。実にたわいないが。
北大は広くて緑が多くて、本当のキャンパスという感じ。木陰で学生がおしゃべりしていて、芝生では子供たちが遊んでいる。
列車を降りると寒かった。浜頓別YHまでは、ガイドに書いてあった通り牧歌的な雰囲気が漂っている。広い草原というか、畑にサイロのような建物がポツンと建っていて、それがYHだった。
夕方、近くにあるクッチャロ湖に沈む夕日を見に行くが、残念ながら少し曇っていて、湖にジュッと沈むところは見られなかった。夜、デザートに手作りバニラアイスが出た。ここから郵便に出してもらえると聞き、ホタテ貝の貝殻に、実家への手紙を書く。
●7月26日:浜頓別~稚内~旭川
朝食にトースト、しぼりたての牛乳、透明でルビー色をした手作りコケモモジャム、ベイクドポテト、サラダを食べて、割と早い時間に出発する。ここから一路、稚内へ。
列車のなかから一面に咲いた花々が見える。マーガレット、黄色い花、うす紫の花、ピンクの花…。こんな荒原に、だれに見てもらおうとも思わないで、ごく自然に(当たり前だが)きれいに咲いている。
稚内は魚の匂いと浜の匂いがした。時間がなかったので日本の最北端宗谷岬までは行けず、ノシャップ岬まででよしとして、カニラーメンを食べて帰ってくる。
名寄までの列車のなかで、2人連れの男の人たちと乗り合わせた。JR関連の仕事をしていて、これから旭川に行くところだとか。話をしているうちに、旭川の安くておいしいジンギスカンを食べさせてくれる店に連れていってもらうことになった。
今夜は旭川より少し手前にある塩狩温泉YHに予約していたのだが、そこに泊まりたい理由というのが、以前読んだ三浦綾子の「塩狩峠」の石碑を見たいのと、夕食にジンギスカン料理が出るからというものだったので早速、次の停車駅で予約を取り消す。ちなみに、彼らがちょっとアブなそうな人だったらこういう話は断っていた。さいわいキャンセル料は安く、旭川YHにも予約できた。
旭川駅に着くと、まずはオレんちまで車を取りに行くからと、3人でタクシーに乗った。列車のなかで2人に三浦綾子の本のことを話していたので、そのうちの1人の伊藤さんが、モノはためしと運転手のおじさんに「三浦綾子さんのお宅はご存じですか」と聞いてくれた。さっき、この旭川在住の作家に会えるといいねとなにげなく話していたのだ。
すると、おじさんはおおまかな住所と、さらに、無線を使って電話番号まで教えてくれた。タクシーを降り、伊藤さんの車で2人の用事を済ませたあと、まあダメモトでと、三浦さん宅に電話してみる。タクシーのおじさんには、「忙しい方だから、予約がないと会ってもらえないよ。それも秘書を介してしかね。明日の朝ここを発つんならムリかもしれないねえ」といわれたのだが。
案の定、というか、電話はつながらなかった。きっと外出されているんだろう。でも、ちょっとだけでも家を見たいという気持ちが出てきて、それを2人に言ってみたところ、親切にも快くOKしてくれ、少し道に迷いはしたものの三浦さんの家まで連れていってくれた。
たそがれ時だったが、玄関に明かりはなく、人のいる気配もない。でもここに来れただけで満足だったので帰ろうとしたら、石川さんが「あれ?娘さんはいるみたいだよ」という。三浦さんに子供はいなかったはずと思い、失礼だと思いつつも庭先をひょいとのぞくと、サンルームで座ってルーペで手紙らしきものを読んでいる三浦さんがいる。
しばらく3人でぼーっと立っていたら、手紙を読み終わって立ち上がるときこっちの方に気づかれた。思わず会釈をすると、柔らかい笑顔で応えてくださり、ご主人の光世さんといっしょに玄関から出てこられた。
ぶしつけで急な訪問にもかかわらず優しく応対してもらい、恐縮する。別れてからわたしたちの車が見えなくなるまでずっと手を振ってくださった。
わたしはクリスチャンではないが、キリスト教に共感する部分も、ある。クリスチャンの作家の本も割と読む方だ。でも、だからといって即洗礼を受けようという気持ちになることはない。人間を超えた存在には興味があるのだが。
そのあと、予定通り焼き肉屋で大満足のジンギスカン。石川さんと伊藤さんは人を笑わせるのが上手で、食事のあいだずっと笑っていた。大きなリュックを背負って北海道を旅する旅行者をこっちではカニ族っていうんだとか、こっちの「やきそば弁当」は、本州では「やきそばバゴーン」という名前で売られているとか、カボチャはカンボジア語ナノダetc.…とか、地元ネタやどうでもいい話も豊富だった。YHまで車で送ってもらう。本当に親切な人たちだった。
偶然が偶然を呼んで、三浦さん夫妻に会うことができた。もし、列車であの2人に会わなかったら、わたしは塩狩駅で降りていた。もし、あの親切なタクシーの運転手と会わなかったら、電話をする気分にはならなかっただろう。
もし、伊藤さんの車がなかったら、家を探せなかった。もし、三浦さん宅に行く途中、たまたま庭先に出ていたおばさんがいっしょに車に乗り込んでくれてまで案内してくれなかったら、すごく道に迷っただろう。もし、三浦さんが外から見えるサンルームにいなかったら、ベルを押す気になったかどうか。もし、もし、もし……。
すべてが現実となった。こういうこともあるんだな。
●7月27日:旭川~網走~釧路
朝食はビュッフェスタイルでなかなか豪勢だったが、時間がなかったので急いで食べ、YHを出る。今、網走行きの特急オホーツク1号の中。白い花をつけたジャガイモの畑が広がる。乳脂肪分16%のコクのあるアイスクリームを食べる。本州で売っているのは普通8%なんだよね。とてもおいしい。
石川さんが「ほとんど列車に乗ってるんでしょ?疲れたり退屈したりしない?オレ、今日5時間乗って疲れちゃったよ」といっていたが、そういうことは全くない。本を読んだり、計画を練り直したり、日記を書いたり、ぼーっとしたり、居眠りしたり、考え事をしていたら時間が足りないくらいだ。
網走で降り、レンタサイクルで刑務所に行った。刑務所の入口で「ハイ、チーズ!」とやってる観光客なんてサイテーと思っていたが、せっかくこんなところまで来たんだしと思い直し写真を撮ってもらう。すぐ近くに囚人お手製の品物を売っている店があり、そこでキタキツネを型どったペーパーナイフを買った。
列車に乗って、名物のカニめしを食べる。
釧路湿原を眺めながら、とりとめもないことを考える。
釧路YHは、とても落ち着いた雰囲気のところだった。食後は釧路の見どころをプロジェクターのスライド写真で見せてもらう。泊まっている人はみんな一人旅だったので話が盛り上がる。同室の人は、さわやかさっぱりのライダーの女性、大学3年の木下さん、筑波大2年の山下さん、4か月かけて日本一周をする予定で、今1か月目というもうひとりのライダーの女性、弘前大2年のハスキーボイスがかわいい小谷部さん。
山下さんから、ラベンダーは今上富良野がきれいだよとすすめられたので予定を少し変更する。
●7月28日:釧路~富良野~札幌~函館
YHを出て、ライダーの女性と駅前の和商(わしょう)市場に出かける。活きのいい魚貝類や野菜が並んでいる。母親への誕生日プレゼントもかねて、実家にイカ、むきガレイ、奇妙な形のホヤ貝にサケのミソ漬けを送る。
釧路-新得間の列車では、東京から出張に来ている40代後半の男性と乗り合わせる。海外への出張もしょっちゅうある商社マンらしい。おじさんの行きつけだというススキノにある安くておいしいロシア料理店を教えたもらった。
上富良野のラベンダー畑はすばらしかった。駅を降りたとたん、ラベンダーの香りがしたのだ。花束とラベンダーティーを買う。釧路では朝、雨が降っていたが、富良野では晴れていたのもラッキーだった。テレビドラマ「北の国から」のテーマ音楽が頭の中で自動的に流れる。
滝川に向かう途中、十勝ワインを流したような夕焼けを見た。美しい夕映えの中、ゴトンゴトンと列車に揺られ、そして、ラベンダーの香り。
滝川-札幌間で、礼文島旅行から帰るところだというおばさんと乗り合わせた。札幌生まれの札幌育ちで、自分の住んでいるところくらいちゃんと知っておきたいと、北海道はほとんど見て回られたそうだ。気のいい方で、札幌に着くころになると「来年2月は、札幌の雪祭りをぜひ見に来なさい。わたしんとこに泊めてあげるから」と住所、電話番号を書いて渡してくれた。行きたいけど、2月は試験が…。
札幌に着くと、タクシーで狸小路というアーケード街に行き、おじさんに教えてもらったロシア料理店「コーシカ」に入る。味はなるほどおいしかった。それから、北海道さいごの夜だと思い友達や自分におみやげを買う。
~続く
下宿のすぐそばのバス停から旅は始まった。
いきなり、広島駅行きのバスの整理券を取るのを忘れる。バカだなあと自嘲しつつも、先行きが不安になる。
北海道ニューワイド周遊券が買える駅ビル内の旅行センターは10:00に開店。それまで、キヨスクの本売り場で時間をつぶし、10時過ぎにおもむろにセンターに行くと、その券はウチではやってませんといわれる。2階のA旅行代理店にならあるかもしれないということなので、ダッシュで行こうとしたら、エスカレーターは動いておらず、シャッターも降りている。仕方なく階段を上がると、そこはレストランだった。
ナンナンダー、一体! 目当ての旅行代理店に行けずに突っ立っていると、駅のおじさんが親切にも事情を聞いてくれて、そんならちょっと来んさいと裏口から連れて行ってくれた。
なんでも、今日は駅ビルの月一度の定休日だったらしいが、運良くその代理店だけは開いていて、社員が2人で仕事をしていた。おじさんが状況を話すと、「いやあ、ウチでも今日はできないんですよぉ~」
ほとんど泣きが入ったわたしの顔を見て、「ちょっと待ってください」とどこかに電話し、「駅前のB代理店にはあるそうですよ」。
ひた走りに、走る。なんせ、広島発は11:07。あと30分しかないのだ!
B代理店に着き、ドッと吹き出す汗をぬぐいながら「あの~…」と切り出すと、受付の女性いわく、「ああ、アレは青春18きっぷとは併用できないことになってマス」(そんなバカな!下調べミスか?!)「えっ?! でも併用できるって、ちゃんと旅行代理店の方に確認とったんですけど」「それってウチでですか?」「イエ、C代理店だったんですけど」「そしたらそこで聞いてみてください。おかしいですね、基本的にできないはずなんですけど」……そんなこと知るか~っ!!
…というわけで、結局、北海道内超徳用きっぷは買えなかった(泣)。まあ、いいや、なんとかなるさと思い直して駅へ急ぐ。
こうして、私はあたふたと広島を発った。
広島ー姫路間で、やたら話しかけてくるおじさんに出くわした。自分のことは名古屋に行くとだけしかいわずヒトのことは根掘り葉掘り聞いてくる。思いはほとんど京都に馳せて、適当に答える。
京都のユースホステルにはスムーズに行けた。6つのベッドがあり、同泊者は5人。東京から来た、OLでライダーのぽっちゃりねえさん、徳島大学医学部2年の三木さん、アメリカ人のグレイス、同じくアメリカ人でサンディエゴから来たサブリナ、上智大1年仏語専攻の鈴木さん、その友達のきれいなフランス人ジョエル。鈴木さんはフラ語ペラペラで、「シルブプレ」と「メルシ」を連発するしかなかった自分がちょっと情けなかった。
夜は北海道内のプランを立てようと思っていたら、ぽっちゃりライダーねえさんと話がつい弾んで立てられず。まあ、いいや。
10時消灯。早すぎ! だが、疲れていたのですぐ寝入る。
●7月21日:京都~東京
生まれて初めて、「ボンジュール!」といって起きる。
朝9時ごろ京都駅着。今日は1日中市内を歩き回ろうと思い、荷物預かり所へ向かう途中、皇太子夫妻を迎える参列に出くわす。 皇太子はほとんど警備員にまぎれて見えなかったが、美智子さんはきれいな白いスーツが印象的。
清水寺では韓国人の団体といっしょになった。音羽の滝で、寺の名前の由来という湧き水を飲む。目には緑、耳にはハングルってか。冷たくておいしかった。
二年坂、三年坂は静かなたたずまいで感じがいい。店先に「準備中」の代わりに「すんまへん」の札がかけてあり、あ、京都だ、と思う。
二年坂を歩いて行くと、突然「坂本竜馬の墓」という看板が目に入り、つい早足になる。竜馬の墓は中岡慎太郎の墓とともに、京都市が一望できる見晴らしの良い高台にあった。線香に火をつけるのがちょっと大変なほど風が強い。
四条河原町で降りて、400mの間に150店舗がひしめき合っている錦市場に行く。ゆば、真っ赤に熟れたトマト、活きのいい魚etc.。今日が土曜の丑の日のせいもあって、うなぎの蒲焼きが目につく。
金閣寺はキッチュだが美しい。もみじに竹林。帰りに茶店で氷いちごを食べた。
きゃるとしばちゃんにおみやげのグリーンティを買う。夏にはへばってる生八つ橋よりグリーンティがヨイ!
今、大垣ー東京間の夜汽車の中。今夜は半月夜。さっき関ケ原を通過するが、暗くてなんにも見えない。
●7月22日:上野~仙台
寝たのか寝なかったのかよくわからないうちに東京駅に着く。しばらくして、Sが迎えに来てくれた。相変わらず、普通なようでいて、どこか面白い。皇居前や日比谷公園で写真を撮ってもらい、マックで朝食。彼女はいないとかいってたけど、来年ブラジルに行ったらブラジル美人を連れて帰ってきたりして。
ギリギリで上野発9:03土浦行きの列車に間に合う。
いわき市のはずれを通るころになると、東北弁(~だっぺ、とか)が聞こえ始める。
雨が降り始める。海が見えてきた。列車は静かな田舎を走る。周りの風景で動いているのはこの列車だけ。文庫本を閉じて外を眺める。
仙台駅を降りると外は肌寒く、長そでシャツを着ている人も見かける。
泊まった仙道庵YHは、何から何まで全部よかった!
同泊したのは、旅の達人とおぼしき人、2人(そのうちの1人松尾さんは知床半島大好き人間でここに泊まるのは124泊目)、途中で事故に遭ってしまった2人組のライダー、もう1人男性ライダー、それに看護婦の緒方さん。
ここのペアレント(YHの経営者)の本業は農業なので、家の造りは農家そのもの。醸造樽の中にも泊まれるように改造してあった。松尾さんらに北海道や周遊券のことなどいろんな情報を聞く。旅の途中で困ったときの裏技(?)も教えてもらった。
食卓にのった野菜はすべて自家栽培もので、シソ1枚から「ワ・タ・シ・ガ・シ・ソ・ダ!」という顔をしている。大豆を通常より多く使うという仙台みそ(自家製)で仕立てた味噌汁も初めてのおいしさ。もちろんお米も自家製だった。
とにかく、玄関、食堂、部屋、お風呂、トイレ、電灯、倉など、まさに東北の農家!という感じで趣きたっぷり。松尾さんがこの10年で123泊もしているのがわかる気がする。明日はYH開所10周年記念パーティをやるということだったが、明日は出発する身なので実に残念。
お風呂から上がってみんなでコーヒーを飲みながらおしゃべりするが、ゆうべがゆうべだったので、すぐに眠くなり、10時半ごろ部屋に戻る。
●7月23日:仙台~青森
仙台駅まで、去年できたばかりという地下鉄で行った。緒方さんが、松島を回るついでにといって見送ってくれる。
……今、うとうYHの布団のなかで書いている。ここに着いて初めてわかったことだが、実はここはすでにYH協会から脱会していて、現在はものすごく古くなった建物だけが残っており、ペアレントの家は離れにある。
お昼に一ノ関から予約を入れようと電話したとき、「もう、ウチはYHは解約してるんですが、それでもよかったら素泊まりならできますよ」といわれ、市内に泊まる必要があったので「じゃあ素泊まりで」と、条件反射でいってしまう。
…まさか、このうす暗くて、古くて、汚なくて、カビくさくて、めちゃくちゃ広い3階建ての建物で、宿泊者がわたしだけとは思わなんだ。モチロン、テレビやラジオなんか一切ない。不気味なくらい静かなのに耐えかね、涼しすぎるのをガマンして窓を開け放す。
近所の銭湯から帰り、玄関のかぎをかけて部屋に戻った。
荷物を整理していると、だれもいないはずの階下で音がする。ひえ~っ!っと思い、耳をそば立て、すきまから向こう側の階段をのぞいていると、男の人がひとり、こっちに向かって歩いてくるじゃないか!あわわ…と死にそうになっていたら、部屋の前の洗面所でおもむろに歯を磨き始めた。
こわかったが思い切って話しかけてみた。「あ…こんばんは」「あ、こんばんは」「………」「?」「ここ、YH協会から脱会しているってご存じでしたか?」「え?やめちゃってんですか?ガイドブックに載ってたから全然知らなかった」かくかくしかじか。ア~、オバケとかじゃなくてヨカッタ~。
●7月24日:青森~札幌
ゆうべ寝る前は(夜中におばあさんがボォーッとこっちを見てたらドウシヨウ?!)とか、(包丁研ぐ音とか、なにかがヒタヒタ歩きまわる音がしたらドウシヨウ??)と不安だったが、実際寝てみたら、どうということはなかった(単に気づかなかっただけかも…!)
気持ちのいい青空に、さわやかな風!青森駅まで同泊の男性といっしょに行く。これから太宰治の生家を訪ねて、夜は野宿するらしい。
駅前で、おいしいよと教わった日食のモーニングを食べる。
青函トンネルを通る。吉岡海底駅で途中下車して見学する予定だったが、松尾さんから「なんにもないで。ただ、横に穴があるだけや」と聞いていたので、やめる。列車の中からでも見えた。
函館に着いたのがちょうどお昼時だったので、駅近くのラーメン屋さんでみそラーメンを食べる。
札幌駅に近づくにつれ、気分が落ち着かなくなる。5年来のペンパル、村山薫さん(きゃる)と初めて会うせいだ。サッポロー、サッポローというアナウンスを聞くと、もういけない。
改札を出ると、きゃるが目印の小さなぬいぐるみを持って立っていた。思っていたより小柄で、声のイメージ通りかわいい人だった。実際に会うと、何かホッとした。
それからはずっと話が弾む。手紙でお互いの予備知識はあったが、より詳しく、生まれてからこの20年間のあらゆることを話してくれた。北海道のこと、これまで考えてきたこと、今考えていること、職場のこと、ジャズのこと、本のこと、興味のあることetc.…。アルバムも7、8冊すべて見せてくれた。
心地いいジャズをBGMに、夜中の2時半くらいまで語り合う。タバコをくゆらす姿が、かわいいのに不思議に似合っていた。
いっしょに作った夕食もおいしかった(わたしは切ってあったコンニャクを煮て、ごはんをよそっただけだったが)。
とにかく、きゃるは素敵な人だった。「わたしをニガテな人はニガテみたいだけど、いったん好きになるとすごく好きになってくれる」といっていた。それってつまりは個性があるってことだよなあ。みんなに好かれようとしてもしかたがない。
どうしてこんな話題が出たのかは忘れたが、「死んでも周りはなんにも変わらないんだよね。わたし、おねえちゃんのことでそう思ったよ」ときゃるがポツンといった。人は、いいイミでも悪いイミでも社会の歯車なんかじゃない、歯車にすらなれないということか。
札幌に来て、よかった。
●7月25日:札幌~浜頓別
きゃると別れた後、北海道大学にあるクラーク博士の銅像を見に行く。5年前、某旅行代理店のキャンペーンで、クイズで北海道2泊3日の旅が当たったのだが、それの答えが「クラーク」だったので、一応見ておこうと思ったのだ。実にたわいないが。
北大は広くて緑が多くて、本当のキャンパスという感じ。木陰で学生がおしゃべりしていて、芝生では子供たちが遊んでいる。
列車を降りると寒かった。浜頓別YHまでは、ガイドに書いてあった通り牧歌的な雰囲気が漂っている。広い草原というか、畑にサイロのような建物がポツンと建っていて、それがYHだった。
夕方、近くにあるクッチャロ湖に沈む夕日を見に行くが、残念ながら少し曇っていて、湖にジュッと沈むところは見られなかった。夜、デザートに手作りバニラアイスが出た。ここから郵便に出してもらえると聞き、ホタテ貝の貝殻に、実家への手紙を書く。
●7月26日:浜頓別~稚内~旭川
朝食にトースト、しぼりたての牛乳、透明でルビー色をした手作りコケモモジャム、ベイクドポテト、サラダを食べて、割と早い時間に出発する。ここから一路、稚内へ。
列車のなかから一面に咲いた花々が見える。マーガレット、黄色い花、うす紫の花、ピンクの花…。こんな荒原に、だれに見てもらおうとも思わないで、ごく自然に(当たり前だが)きれいに咲いている。
稚内は魚の匂いと浜の匂いがした。時間がなかったので日本の最北端宗谷岬までは行けず、ノシャップ岬まででよしとして、カニラーメンを食べて帰ってくる。
名寄までの列車のなかで、2人連れの男の人たちと乗り合わせた。JR関連の仕事をしていて、これから旭川に行くところだとか。話をしているうちに、旭川の安くておいしいジンギスカンを食べさせてくれる店に連れていってもらうことになった。
今夜は旭川より少し手前にある塩狩温泉YHに予約していたのだが、そこに泊まりたい理由というのが、以前読んだ三浦綾子の「塩狩峠」の石碑を見たいのと、夕食にジンギスカン料理が出るからというものだったので早速、次の停車駅で予約を取り消す。ちなみに、彼らがちょっとアブなそうな人だったらこういう話は断っていた。さいわいキャンセル料は安く、旭川YHにも予約できた。
旭川駅に着くと、まずはオレんちまで車を取りに行くからと、3人でタクシーに乗った。列車のなかで2人に三浦綾子の本のことを話していたので、そのうちの1人の伊藤さんが、モノはためしと運転手のおじさんに「三浦綾子さんのお宅はご存じですか」と聞いてくれた。さっき、この旭川在住の作家に会えるといいねとなにげなく話していたのだ。
すると、おじさんはおおまかな住所と、さらに、無線を使って電話番号まで教えてくれた。タクシーを降り、伊藤さんの車で2人の用事を済ませたあと、まあダメモトでと、三浦さん宅に電話してみる。タクシーのおじさんには、「忙しい方だから、予約がないと会ってもらえないよ。それも秘書を介してしかね。明日の朝ここを発つんならムリかもしれないねえ」といわれたのだが。
案の定、というか、電話はつながらなかった。きっと外出されているんだろう。でも、ちょっとだけでも家を見たいという気持ちが出てきて、それを2人に言ってみたところ、親切にも快くOKしてくれ、少し道に迷いはしたものの三浦さんの家まで連れていってくれた。
たそがれ時だったが、玄関に明かりはなく、人のいる気配もない。でもここに来れただけで満足だったので帰ろうとしたら、石川さんが「あれ?娘さんはいるみたいだよ」という。三浦さんに子供はいなかったはずと思い、失礼だと思いつつも庭先をひょいとのぞくと、サンルームで座ってルーペで手紙らしきものを読んでいる三浦さんがいる。
しばらく3人でぼーっと立っていたら、手紙を読み終わって立ち上がるときこっちの方に気づかれた。思わず会釈をすると、柔らかい笑顔で応えてくださり、ご主人の光世さんといっしょに玄関から出てこられた。
ぶしつけで急な訪問にもかかわらず優しく応対してもらい、恐縮する。別れてからわたしたちの車が見えなくなるまでずっと手を振ってくださった。
わたしはクリスチャンではないが、キリスト教に共感する部分も、ある。クリスチャンの作家の本も割と読む方だ。でも、だからといって即洗礼を受けようという気持ちになることはない。人間を超えた存在には興味があるのだが。
そのあと、予定通り焼き肉屋で大満足のジンギスカン。石川さんと伊藤さんは人を笑わせるのが上手で、食事のあいだずっと笑っていた。大きなリュックを背負って北海道を旅する旅行者をこっちではカニ族っていうんだとか、こっちの「やきそば弁当」は、本州では「やきそばバゴーン」という名前で売られているとか、カボチャはカンボジア語ナノダetc.…とか、地元ネタやどうでもいい話も豊富だった。YHまで車で送ってもらう。本当に親切な人たちだった。
偶然が偶然を呼んで、三浦さん夫妻に会うことができた。もし、列車であの2人に会わなかったら、わたしは塩狩駅で降りていた。もし、あの親切なタクシーの運転手と会わなかったら、電話をする気分にはならなかっただろう。
もし、伊藤さんの車がなかったら、家を探せなかった。もし、三浦さん宅に行く途中、たまたま庭先に出ていたおばさんがいっしょに車に乗り込んでくれてまで案内してくれなかったら、すごく道に迷っただろう。もし、三浦さんが外から見えるサンルームにいなかったら、ベルを押す気になったかどうか。もし、もし、もし……。
すべてが現実となった。こういうこともあるんだな。
●7月27日:旭川~網走~釧路
朝食はビュッフェスタイルでなかなか豪勢だったが、時間がなかったので急いで食べ、YHを出る。今、網走行きの特急オホーツク1号の中。白い花をつけたジャガイモの畑が広がる。乳脂肪分16%のコクのあるアイスクリームを食べる。本州で売っているのは普通8%なんだよね。とてもおいしい。
石川さんが「ほとんど列車に乗ってるんでしょ?疲れたり退屈したりしない?オレ、今日5時間乗って疲れちゃったよ」といっていたが、そういうことは全くない。本を読んだり、計画を練り直したり、日記を書いたり、ぼーっとしたり、居眠りしたり、考え事をしていたら時間が足りないくらいだ。
網走で降り、レンタサイクルで刑務所に行った。刑務所の入口で「ハイ、チーズ!」とやってる観光客なんてサイテーと思っていたが、せっかくこんなところまで来たんだしと思い直し写真を撮ってもらう。すぐ近くに囚人お手製の品物を売っている店があり、そこでキタキツネを型どったペーパーナイフを買った。
列車に乗って、名物のカニめしを食べる。
釧路湿原を眺めながら、とりとめもないことを考える。
釧路YHは、とても落ち着いた雰囲気のところだった。食後は釧路の見どころをプロジェクターのスライド写真で見せてもらう。泊まっている人はみんな一人旅だったので話が盛り上がる。同室の人は、さわやかさっぱりのライダーの女性、大学3年の木下さん、筑波大2年の山下さん、4か月かけて日本一周をする予定で、今1か月目というもうひとりのライダーの女性、弘前大2年のハスキーボイスがかわいい小谷部さん。
山下さんから、ラベンダーは今上富良野がきれいだよとすすめられたので予定を少し変更する。
●7月28日:釧路~富良野~札幌~函館
YHを出て、ライダーの女性と駅前の和商(わしょう)市場に出かける。活きのいい魚貝類や野菜が並んでいる。母親への誕生日プレゼントもかねて、実家にイカ、むきガレイ、奇妙な形のホヤ貝にサケのミソ漬けを送る。
釧路-新得間の列車では、東京から出張に来ている40代後半の男性と乗り合わせる。海外への出張もしょっちゅうある商社マンらしい。おじさんの行きつけだというススキノにある安くておいしいロシア料理店を教えたもらった。
上富良野のラベンダー畑はすばらしかった。駅を降りたとたん、ラベンダーの香りがしたのだ。花束とラベンダーティーを買う。釧路では朝、雨が降っていたが、富良野では晴れていたのもラッキーだった。テレビドラマ「北の国から」のテーマ音楽が頭の中で自動的に流れる。
滝川に向かう途中、十勝ワインを流したような夕焼けを見た。美しい夕映えの中、ゴトンゴトンと列車に揺られ、そして、ラベンダーの香り。
滝川-札幌間で、礼文島旅行から帰るところだというおばさんと乗り合わせた。札幌生まれの札幌育ちで、自分の住んでいるところくらいちゃんと知っておきたいと、北海道はほとんど見て回られたそうだ。気のいい方で、札幌に着くころになると「来年2月は、札幌の雪祭りをぜひ見に来なさい。わたしんとこに泊めてあげるから」と住所、電話番号を書いて渡してくれた。行きたいけど、2月は試験が…。
札幌に着くと、タクシーで狸小路というアーケード街に行き、おじさんに教えてもらったロシア料理店「コーシカ」に入る。味はなるほどおいしかった。それから、北海道さいごの夜だと思い友達や自分におみやげを買う。
~続く