研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

ヘンリー・アダムズの挫折(2)

2005-12-19 02:04:05 | Weblog
娑婆での生活が異常な忙しさだったために、ずいぶん間が空いてしまったが、普通に続行したい。

アダムズの自然貴族論についてstandpoint1989さんがコメントしてくれているが、この人はなんとも恐ろしい。イギリスの人材教育のシステムがアダムズ家のありように派生していて、これがアダムズ家の精神的変調につながっていたというのは、私が丹念に暖めてきたアイディアだったのだが、この人はなんでそんなことが分かったのだろう。もうつけくわえることがない(笑)。ただ、これから述べようとするのは、こうした「ナチュラル・アリストクラシー」という普遍的問題よりもう一段下の、アメリカ的事情における挫折の物語である。


チャールズ・フランシス・アダムズには、四人の息子がいた。長男はジョン・クインジー・アダムズ二世、次男はチャールズ・フランシス・アダムズ二世、三男がヘンリー・アダムズ、四男がブルックス・アダムズである。この四人を、ジョン・アダムズから数えてアダムズ家第四世代という(全員ハーヴァード大をとりあえず卒業している)。この四人は、まぎれもなく「アダムズ」であった。それゆえ、ジョン・アダムズがジェファソニアン・デモクラシーに敗北し、ジョン・Q・アダムズがジャクソアン・デモクラシーに敗北したのと同様に、彼らはアメリカ史に敗北することになる。

アメリカ史における「アダムズ」とは何か?それは自然貴族たる特権的な立場を公的義務と同一のものとして受け止める存在である。アメリカの運命を己の運命と同一視する存在である。しかしこれが、公式的には貴族制度の存在していない社会では、まったく「政治的」に無能な振舞いにつながることになるのである。初代ジョンがそうだった。第二代ジョン・クインジーもそうだった。そして第三代チャールズもあるいはそういう役割を担っていた。これはいずれ触れる必要があるだろう。実はチャールズは、南北戦争をリンカーン政権の駐英大使としてイギリスで戦っていた。このときのチャールズの功績は、アダムズ・コンサーヴァティヴを考える上でどうしても検討しなければならない。ちなみに、ヘンリー・アダムズは父親の私設秘書としてイギリスにいる。この辺の動向は、あまりに重要なので稿を改めざるを得ない。

アダムズ家の人々を見るかぎり、本質的に陰気な人々ではないように私には見える。特にジョン・Q・アダムズなどは人間の傑作であろう。なのにこの一族には精神的に平衡を欠いている人々が多い。ヘンリー・アダムズの観察によれば、アダムズ家でとにかくもっともマトモであったのは、父のチャールズがはじめてであったと言っている。前回のエントリーでも述べたとおり、チャールズの兄二人はアルコール中毒を経て死んでいる。ジョン・Q・アダムズの妻は、アダムズ家に嫁いでから精神病になった。ヘンリー・アダムズの妻は自殺している。これが従兄弟・親戚に広げると、実に死屍累々なのである。とにかく、一人のジョン・クインジーを作るために無数の悲劇があった。それゆえ、アダムズ家が第三世代にチャールズ・フランシス・アダムズという、政治家としては成功しなかったが、とにかく精神的に安定した人物を輩出したことは幸運だった。このチャールズの下に生まれた第四世代は天寿をまっとうできたのだから。

アダムズ家第四世代が相対した時代とは、南北戦争後の再建期~Gilded Age(金ピカ時代)である。アメリカ史にはいろいろな分け方があるが、例えばその一つとして次のようなものがある。
① 黄金時代:アメリカ革命、合衆国建国の時代
② 好感情時代:1812年戦争後フェデラリストが消滅しリパブリカンズ一党体制時代(ジョン・Q・アダムズとジャクソンの対決で終焉)
③ 白銀時代:南北戦争前夜、ダニエル・ウエブスター、ヘンリー・クレイ、ジョン・カルフーン等の論客による議会政治華やかな時代
④ 金ピカ時代:南部再建後のビッグビジネス興隆期、マシーン・ポリティックスの時代
⑤ 革新主義時代:セオドア・ローズベルトがトラスト規制に乗り出す時代。いろいろありすぎて書ききれない面白すぎる時代

黄金→白銀→金ピカという分類からわかるように、この分類は基本的にアメリカ史は悪くなっているという認識である。それゆえ、⑤の「革新主義時代」がアメリカ史を救済する役割を担う。この辺りを研究する人たちはアメリカ史家の中でも特に優秀な人が多い。アダムズ家第四世代が生きたのは、その手前の④の時代である。

金ピカ時代とは、さまざまな規制が出来る前の資本主義が勃興した時代で、この時代は共和党が都市資本家の御用政党に成り下がっていた時代である。政治腐敗が凄かった。また、都市政治屋の時代でもあった。「ボス=マシーン・システム」。都市の政治ボスが、港に到着する移民や都市の貧困者たちに生活の便宜を与える代わりに票を買い取り、商売としての政治が形成されていた。こういう時代だから、政治の世界に優秀な人材は近づかない。政治の世界に入るというのは、上流のインテリには恥ずかしく感じられる時代であった。だから我々は、リンカーン以後のジョンソン(17代)、グラント(18代)までは知っていても、第19代、第20代、第21代の大統領はぱっと出てこないのではないだろうか?ようやくアメリカ史に詳しい人々の中に、第22代大統領のクリーヴランドが出てくるだろうか。多くの人々は、第26代のセオドア・ローズベルトまでは空白なんじゃないだろうか。その理由は、この時代において政治家というのは優秀な若者の野心の対象ではなかった時代だからである。優秀な若者は経済の世界に進路を見出していた。その一方、建国以来の名門の自然貴族たちはどうしていたのか?彼等は、完全に疎外されていた。アメリカ史における主導権を完全に失っていたのである。

こうしたアメリカ史の段階をアダムズ家の第四世代は生きることになった。そしてこの不適合性こそ、逆説的にアメリカ史のある側面を照らし出すのである。