研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

Militiaを考える準備作業として

2008-08-04 18:24:43 | Weblog
古典古代ギリシャの都市国家(city states)において、市民(citizen)であることの要件は、「その都市国家で生まれた成年男子」であることだった。ここでいう成年男子というのは、1.奴隷ではない、2.軍役を担う、3.oikosを持っているということの三点である。

oikosというのは、生命活動一般の運営を行う場をさすもので、この中に女性、子供(の生産および育成)、奴隷、食事、排泄物の処理方法、家計などもろもろのことが含まれる。ハンナ・アレント的な用法では、私的領域に属する事柄で、公的な場所では議論しない対象とされた。それで、この私的問題にすべてカタをつけている「成年男子」を「市民」と呼んで、この市民どうしは「完全に平等とみなす」という形で、デモクラシーとした。現代人の感覚では理解できない理由は、このポリスなる都市国家が本質的には軍事的共同体だったことに由来する。軍事組織とデモクラシーは、歴史的に深い関係があるのはご承知の通り。小なりといえど城主であるという気迫が市民の前提だった、とされる。

古典古代末期のローマでは、この市民権がこうした「気迫の問題」から「権利の問題」に移るが、軍役だけは要件として残り続ける。中世になると、市民権という概念はしばし姿を消し、「特権(privileges)」の束がその代替物となった。特権を持たない人々を庶民、特権をたくさん持っている人々を貴族、際立った特権を持っている人を王と呼び、特に王の特権を「大権(prerogative)」と呼んだ。ただ、とにかく、武力と自由は相関関係にあることだけは確かだった。

ジャン・ボダンは、この国王大権を国家主権(sovereignty)、貴族の特権をもっと普遍的な人権(human rights)に再構成し、国民(nation)の間における階層を理念上(あくまで理念上)一掃した。これで主権を担う統治機構(state)と国民(nation)の二者構成になる。Stateの運営者は普通は国王であった。この国王を倒すかあるいは立憲的に抑制するかして、国民が主権の担い手になる政治変動を市民革命という。これを具体的に拡大していく歴史が続くことになる。これを市民権の拡大あるいは市民権の再構成などという。

それで近代というのは、古典古代から中世では問題とされなかった部分が最大の問題と認識されることで始まった。oikosは、economicsの語源であり、これが近代になり家政学(home economics)と経済学(national economics→economics)に分岐・独立した。いわゆる「社会問題」というのは、巨大化した私的領域のことで、古典古代(男性)ギリシャ人の市民感覚だと下半身の問題と言うことになる。だから公の席では議論できなかったが、倫理学者のアダム・スミスがここを上手に経済学として科学化し、さらにマルクスはこれを下部構造と呼んで分析してみせた。いくら上部構造(法律)が立派でも、下部構造(経済・社会の現実)における問題は解決できないのだと。ポイントは「疎外」なのだろう。アメリカのジョン・デューイは、そもそもpublicとprivateの違いを質で分けることを拒否した。彼は数的に大きければそれはpublicな問題であると素直に考えた。古典古代以来の西欧政治哲学の重要な部分を根本的に否定しているのがさすがである。

さて、軍役である。市民であることと軍役の担い手であることの深遠な関係は理論的には整理されていないように思う。

アングロ・サクソン世界について考えると、まずecclesiasticalとcivilが分かれるところまでは問題ないと思われる。OEDによれば、civilianというのは、Cannon Law(教会法)に対して、Common Lawによって定義される存在のようである。それを前提に、次にcivilとmilitaryが分離するわけだが、ここがなかなか微妙である。militaryが、正規軍(regular army)または常備軍(standing army)をダイレクトに意味するわけではないからである。

アメリカ合衆国憲法の第二修正に次のようにある。
A well regulated Militia, being necessary on the security of free State, the right of the people to keep and bear Arms, shall not be infringed.
規律ある民兵は、自由な国家の安全にとって必要であるから、人民が武器を保持する権利は、侵してはならない(田中英夫訳)

全米ライフル協会の聖典となるこの有名な修正条項にあるMilitiaという観念が重くのしかかる。Militiaとは「民兵」と訳され、古来より「イギリスではカウンティ(県)、アメリカでは州単位に、特定の臨時的な軍事的目的のために、通常の市民を訓練して組織した臨時の軍隊」(田中英夫解説)とされる。

もちろん現在これがそのまま残っているわけではない。イギリスではすでに消滅しているし、アメリカでは1903年にNational Guard(州兵)として再編され、1916年法で連邦政府によりさらに強力な規制を受け今や合衆国正規軍の正式な予備兵団となったので、制度としてのミリシアというのは存在しない。ただ、修正第二条に書いてある通りに読めば、アメリカのpeopleとは、militiaになり得る人々ということになる。制度としてのミリシアが消滅したことと、理念として残り続けていることの齟齬が、たとえばイラクなどに派遣されている移民に堕落形態として圧しかかっているように思われる。