研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

アダムズとジェファソンは、ミルトン『失楽園』をどう読んだか

2013-08-16 19:56:24 | Weblog
本質的に詩人だったが、ピューリタン革命期の不穏極まりないイングランドの代表的知識人であったため、詩作以外にも多岐にわたる文筆活動を行った人。『失楽園(Paradis Lost)』で知られるジョン・ミルトン(John Milton, 1608-74)に対する私たちの認識は概ねこのていどのものだろう。ハリントン、シドニー、ロックといった17世紀の思想的巨人たちが巨人たり得たのは、彼らのテキストが18世紀の革命家たちの読書リストの中心を占めていたからだが、そのリストを眺めると、ミルトンは堂々とこれらの巨人たちの中に名を連ねている。名を連ねているどころではない。これらの巨人たちと比較しても燦然と鎮座している。

詩人ミルトンを共和主義思想家として後世に広めたのは、トマス・ホーリス(Thomas Hollis)という書籍蒐集家にして出版業者だった人物である。非国教徒であったためオックス・ブリッジで教育を受ける機会を得られなかった彼は、自学自習のテキストを通してミルトンに出会い、生涯に渡りミルトンに心酔した。彼は、明確な意図に基づいてテキストをセレクトし、ヨーロッパおよびアメリカ植民地中のあらゆる教育機関や個人に大量の書籍を執拗に徹底して寄贈し続けた。寄贈した書籍の特徴は明確である。それは彼が「コモンウェルスマン」の思想家と考えた人々のテキストであった。このセレクトの中に、ハリントン、シドニー、ロック等とともに、ミルトンのテキストが悉く入った。彼はこれら一群のテキストを"liberty books"と称し、狙いを定めた大学や個人を"patriotize"していった。こうしたホーリスの生涯をかけた事業は完全に報われた。ジョン・アダムズとトマス・ジェファソンという学生を得たのだから。

ジョン・アダムズが『失楽園』を読んだのは21歳頃である。ジェファソンはもっと若かった。若い二人が受けた衝撃と生涯に渡る影響は彼らが残した詳細なコメンタリーと往復書簡に示される。しかし、私たちにとって重要なのは、彼らの政治生活における『失楽園』の参照の仕方の違いである。

『失楽園』の導入部分を思い出していただきたい。神との戦いに惨敗したサタンと彼の配下の天使たちは、宇宙の一隅(天地創造の前なのでまだ地獄が創造されていない)の凄まじい業火の海で叫喚自失の体で漂っている。この永遠の絶望的苦痛の中で、首謀者であるサタンの意識が最初に回復する。彼は、茫然自失のまま漂っている周囲の天使たちを一人一人起こしていく。サタンを中心として、意識を回復した天使たちは、自らのおかれた苦境と今後の行く末を話し合う。そこでサタンが行った演説の最も有名な箇所がこれである。

What though the field be lost?
All is not lost; the unconquerable will,
And study of revenge, immortal hate,
And courage never to submit or yield.

ジェファソンはミルトンの描くサタンとその演説に魅了された。今の私たちであれば、『失楽園』に登場するサタンや個性的な悪魔たち(天使たち)に感情移入する感覚は良くわかるだろうが、17世紀の教養を身につけ18世紀に生きた彼の実存を思うと、この反応はまぎれもなくジェファソンの個性といえよう。彼は、19世紀的なロマン主義的感性で『失楽園』を読み、サタンと天使たちから個人主義的かつ自由民主主義的な息遣いを感じた。「一敗地に塗れたからといって、それが何だというのだ。我々はすべてを失ったわけではない」。何度も何度も戦い続けるまさにその中に楽園の奪還はあるのではないか。しかしそれは18世紀的共和主義とは異質なものである。それはもっと、ロマン主義的な、自由を求めるデモーニッシュな何かである。

ジェファソンがミルトンの描くサタンに魅了されたのに対して、アダムズはミルトンその人に魅了された。共和主義的政治体制は、キリスト教的敬虔と古典主義的合理性の融合によってこそ活力を持つと考える彼は、ミルトンその人を考察の対象にする。人間本生ゆえにこそ、自由な政治体制は必要であり、まったく同じ理由で、自由の暴走は抑制されなければならない。ミルトンの人生が示したのはそういうことだったのではないか。英国王制の枢密院や閣議の様子は、自由な政府を執念深く攻撃し続ける「地獄の会議(infernal council)」そのものだ。アダムズはあくまで神の側に立ち、サタン的なるものから共和制を守るというアナロジーを『失楽園』から読み取る。ジェファソンが、神の如く強大な権力とみた英国王制は、アダムズにとっては、サタンの如く屈っせざるしぶとい悪魔だった。悪魔とはtyrannyである。それを一人が行うか、少数が行うか、多数が行うかは重要な問題ではない。アメリカやフランスにおいては、多数者が行う。『失楽園』に描かれるサタンとデビルたちは、抑制なき自由を焚きつけるデマゴーグの姿そのものと思われた。シェイズの反乱、ウイスキー反乱、そしてフランス革命。いかなる悲惨な流血にも屈服しない姿は、ミルトンの描くサタンと天使たちのようだ。その帰結は、tyrannyである。英国枢密院とジャコバン派とダイエル・シェイズの違いを論じることには何の意味もない。共和主義者はtyrannyと闘う。アダムズにとっての、ミルトンの『失楽園』は、それを表現する言葉の宝庫だった。

ジェファソンは、まったく対象的な見解を持っていたことはすでに述べた。例えば、フランス革命の一連の経過を眺めた彼の言葉は、もはや凄みを帯びていると言ってよいだろう。

「私自身の情愛は、それが失敗に終わったこと以上に、いくらかの殉教者をだしてしまったことに深く傷ついています。まるで世界の半分が荒廃してしまったように感じます。しかし、アダムとイヴをすべての国々に残すことができたのなら、それは今よりはよくなったということでしょう」

「幸いなる罪よ(Felix culpa)」といったところか。「アダムの原罪は、神がキリストをこの世に送り、全人類の罪を贖う結果となったのでこう呼ばれる」(ウンベルト・エーコ)という。しかし、アダムズが詩人としてのミルトンに深い感銘を受けつつも、政治制度の設計において、ミルトンを参照することが少なかったのに対して、ジェファソンの場合はより本質的な影響を受けていただろうことは、彼のヴァージニアにおける宗教の非公定化の一貫した努力や、ジョージ・ワシントン政権の国務長官となってもぶれることのなかった信教の自由の制度化の貢献に明らかであろう。

さしあたりアダムズとジェファソンというアメリカ革命の南北の両極の、ランス革命およびその後の政治観における対立の契機は、彼らが若き日に耽読したミルトンの『失楽園』に対する解釈の違いに端的に現れていたことを確認して終えたい。上記のことをより学術的に確認したい方は、John S. Tanner and Justin Collings, How Adams and Jefferson Read Milton and Milton Read Them, Milton quarterly, Vol. 40, No. 3, 2006を確認されたい。