トマス・ジェファソンという怪物を理解することは基本的に不可能である。彼には「無神論者」という疑惑が当時からあったが、私は彼は無神論者ではなかったと考えている。彼は神は存在すると考えていただろう。ひょっとしたら、その正体をすでにつかんでいたのかもしれない。
アダムズとジェファソンは、1800年の大統領選挙で対決した後、12年間絶交状態だった。ペンシルヴァニアの建国の父ベンジャミン・ラッシュは、「アメリカ革命の南北の柱」であるこの二人が絶縁状態にあることを非常に残念に考え、ちょっと異様な情熱で両者への説得を続けた。その結果、まずはアダムズが、「年をとると、暇をもてあましますが、私の政治思想や歴史論を対等に論じられるのは、この大陸ではモンティチェロ(ジェファソンの邸宅のある場所)の賢者しかいないようなのですよ」という手紙を送った。ジェファソンからは、「まったく同感です」という返信が来て、二人の友情は復活した。以後、両者の書簡のやり取りは、1826年7月4日に両者が死ぬまで続く。劇的なのは、アダムズとジェファソンは、独立記念日にともに死んでいるのである。アダムズの最後の言葉は、「ジェファソンはまだ生きているかな」であった。ジェファソンは、この言葉の3時間前に死んでいた。
アダムズの問いかけに対するジェファソンの回答がなんとも私は恐ろしいのである。例えば、アダムズのナチュラル・アリストクラシー論に対するジェファソンの回答。
「私は、あなたのおっしゃるように、自然的貴族が我々の社会に存在することに同意します。・・・しかし、自然の貴族とは、道徳的な貴族政(moral aristocracy)を意味するのです。・・・つまり、・・・貴族には「自然的貴族」と「作為的な貴族(artificial aristocracy)」とが存在し、後者を否定して前者を選ぶのが、アメリカ革命なのであると私は考えているのです。・・・・もっとも、・・・・ヨーロッパと関係の深い、マサチューセッツやコネティカットでは、伝統的な家族が影響力をもち、政治的官職を相続しているかもしれませんが、ここヴァージニアではそのような慣習は存在しないのです」
奴隷主がぬけぬけと言ったものである。しかし、ジェファソンはこれが歴史上の公式見解になることを理解していた。アダムズは、奴隷云々については何も言わず、ただ「あなたの区別は本質的なものとは言えないのです。自然か、作為かは、貴族の存在が現実にもつ社会的影響力の重要さにとっては、重要ではないのです」というものであった。正しいのはアダムズだが、その正しさには「政治的意味がない」ということを理解していたのはジェファソンである。この違いはフランス革命についてのやり取りで劇的に現れる。ジェファソンは次のように言う。
「・・・フランス革命について、・・・私は誤った見解をもっていたことを認めざるを得ません。・・・あなたは何度も忠告してくださっていました。・・・・私を筆頭に、私に親しみを持つ人々が、あなたの政権を追い詰めてしまったことを・・・・遺憾に思います」
これは重要な証言である。フランス革命を共和制の精神から支持すべしというジェファソニアンの主張が政治的にはアダムズに貴族主義者というレッテルを貼り、それによってアダムズは敗れたのだから。これを受けてアダムズは次のように回顧する。
「パリのホテルで、ラファイエットがあなたと私、そしてジョン・クインジー・アダムズに一晩中熱弁を振るったことがありましたね。・・・実のところ、私は彼が統治や歴史についてあまりに無知であることに驚いていたのです。ちょうどそれより4年前にパリで会った、テュルゴーやコンドルセやフランクリンのように。こうした彼らの乱暴なイデオロギーに接して私が最初に考えたのは、アリストクラシーについて何かを書こうということでした。・・・しかし、フランスが議会を開こうというときに、私はテュルゴーの「一つの中心に政府を、一つの中心に国民を」というアタナシウス信条のような奇妙な矛盾した一文がまさに実行に移されようとしているのを目撃しました。・・・・こうしてアメリカへの共感が、フランスを燃え上がらせていることを理解したとき、私はすべての誤りを洗い流すことを決意したのです。そのとき私は、この仕事は人生最大の賞賛を得るものになると思っていました。しかし、いくらか誉められましたが、私が思ったほど大きな反響ではなかったのです。実のところ、私の『アメリカ諸邦憲法擁護論』も『ダヴィラ論』も酷い不人気でした。・・・あなたの民主政原理への一貫した擁護そしてフランス革命への変わらぬ好意的な意見が、あなたの強固な人気の基礎になっているのです」
アダムズは、フランス人がアメリカ革命を誤って理解し、熱に浮かされて妙なことをしようとしていると考えた。それで、『アメリカ諸邦憲法擁護論』と『ダヴィラ論』を執筆し、フランス人に政治学と歴史を教えてやろうとしたのである。しかし、これがまったく不評な上に、アダムズには貴族主義者というレッテルがついた。一方、フランス革命という民衆暴動を支持したジェファソンの方が、何故か政治的成功を収めてしまったことを面白おかしく回顧している。これに対する、ジェファソンの回答が面白い。
「考える自由と言論の自由が許される政府のもとでは、人々は政党に分かれることになります。・・・・人民の力と貴族の権力のどちらが支配するべきなのかという問題は、古代ギリシャの諸国家やローマ帝国においても古今を通じて対立する問題で、・・・・国民の性格を分裂させてきたのです。・・・・この国の歴史に照らして、あなたと私がはじめて互いを知った時を省みても、大陸会議で激しく争った深い党派的対立とその激論は忘れられません。そのとき、あなたと私は同じ見解をもっており、・・・・独立反対派と戦いました。独立反対派はイギリス国王を重視し、私たちはわが国民の権利を重視しました。わが現政府が諸邦連合から合衆国へと脱皮の過程にあったとき、フェデラリスツとアンティ・フェデラリスツとの分裂、抗争はどれだけ激しかったか!そのときもまた、あなたと私は同じ一つの立場をとっていました。・・・しかし、憲法が実施されるやいなや分裂がまたしても現れました。われわれは、二政党に分立し、それぞれ異なる方向に政府を動かそうとしました。一つは、政府の一番民主的な部門を強化しようと望み、他方は、恒久的な諸機関を強化し、その永続化をはかろうとしました。この点で、あなたと私とがはじめて袂を分かちました」
真実がどうであろうと、歴史はこういう風に書かれますよと言っている。これを書いているときのジェファソンの顔が私はなんとなく想像できるのである。おそらく、ニコリともしていなかっただろうし、なんの昂ぶりもなかっただろう。アダムズにしてみれば、ジェファソンの分類自体がおかしいのである。それは、「イデオロギー」であって、歴史の真実ではない。しかし、政治とは歴史学ではない。「こういう物語で、私は勝つことになるのです」とジェファソンは言うのである。
こう書くと、まるでジェファソンが歴史を使った詐欺師のようになるが、私はそういうことではないのだと思う。11の言語で聖書を読み、ラテン語の神学書を読破し、異教の神話を異教の言葉で読んでいた彼は、神と歴史と民衆の度しがたい性質を理解していたのだろう。それを前提に、幸福な国に導こうと思ったのだと私は考える。私がジェファソンを怪物であると考えるのは、上の言葉をジェファソン自身が真実ではないと理解していながら、何故か不誠実ではないということである。彼は誠実に嘘を言い、民衆に何の感情も持たずに民衆の幸福を追求した。こういう化け物はなかなか理解するのが難しい。『青年ルター』を書いたエリクソンが、ジェファソンを分析した『歴史のなかのアイデンティティ』という本を書いているが、どうもルター級の怪物のようである。
アダムズとジェファソンは、1800年の大統領選挙で対決した後、12年間絶交状態だった。ペンシルヴァニアの建国の父ベンジャミン・ラッシュは、「アメリカ革命の南北の柱」であるこの二人が絶縁状態にあることを非常に残念に考え、ちょっと異様な情熱で両者への説得を続けた。その結果、まずはアダムズが、「年をとると、暇をもてあましますが、私の政治思想や歴史論を対等に論じられるのは、この大陸ではモンティチェロ(ジェファソンの邸宅のある場所)の賢者しかいないようなのですよ」という手紙を送った。ジェファソンからは、「まったく同感です」という返信が来て、二人の友情は復活した。以後、両者の書簡のやり取りは、1826年7月4日に両者が死ぬまで続く。劇的なのは、アダムズとジェファソンは、独立記念日にともに死んでいるのである。アダムズの最後の言葉は、「ジェファソンはまだ生きているかな」であった。ジェファソンは、この言葉の3時間前に死んでいた。
アダムズの問いかけに対するジェファソンの回答がなんとも私は恐ろしいのである。例えば、アダムズのナチュラル・アリストクラシー論に対するジェファソンの回答。
「私は、あなたのおっしゃるように、自然的貴族が我々の社会に存在することに同意します。・・・しかし、自然の貴族とは、道徳的な貴族政(moral aristocracy)を意味するのです。・・・つまり、・・・貴族には「自然的貴族」と「作為的な貴族(artificial aristocracy)」とが存在し、後者を否定して前者を選ぶのが、アメリカ革命なのであると私は考えているのです。・・・・もっとも、・・・・ヨーロッパと関係の深い、マサチューセッツやコネティカットでは、伝統的な家族が影響力をもち、政治的官職を相続しているかもしれませんが、ここヴァージニアではそのような慣習は存在しないのです」
奴隷主がぬけぬけと言ったものである。しかし、ジェファソンはこれが歴史上の公式見解になることを理解していた。アダムズは、奴隷云々については何も言わず、ただ「あなたの区別は本質的なものとは言えないのです。自然か、作為かは、貴族の存在が現実にもつ社会的影響力の重要さにとっては、重要ではないのです」というものであった。正しいのはアダムズだが、その正しさには「政治的意味がない」ということを理解していたのはジェファソンである。この違いはフランス革命についてのやり取りで劇的に現れる。ジェファソンは次のように言う。
「・・・フランス革命について、・・・私は誤った見解をもっていたことを認めざるを得ません。・・・あなたは何度も忠告してくださっていました。・・・・私を筆頭に、私に親しみを持つ人々が、あなたの政権を追い詰めてしまったことを・・・・遺憾に思います」
これは重要な証言である。フランス革命を共和制の精神から支持すべしというジェファソニアンの主張が政治的にはアダムズに貴族主義者というレッテルを貼り、それによってアダムズは敗れたのだから。これを受けてアダムズは次のように回顧する。
「パリのホテルで、ラファイエットがあなたと私、そしてジョン・クインジー・アダムズに一晩中熱弁を振るったことがありましたね。・・・実のところ、私は彼が統治や歴史についてあまりに無知であることに驚いていたのです。ちょうどそれより4年前にパリで会った、テュルゴーやコンドルセやフランクリンのように。こうした彼らの乱暴なイデオロギーに接して私が最初に考えたのは、アリストクラシーについて何かを書こうということでした。・・・しかし、フランスが議会を開こうというときに、私はテュルゴーの「一つの中心に政府を、一つの中心に国民を」というアタナシウス信条のような奇妙な矛盾した一文がまさに実行に移されようとしているのを目撃しました。・・・・こうしてアメリカへの共感が、フランスを燃え上がらせていることを理解したとき、私はすべての誤りを洗い流すことを決意したのです。そのとき私は、この仕事は人生最大の賞賛を得るものになると思っていました。しかし、いくらか誉められましたが、私が思ったほど大きな反響ではなかったのです。実のところ、私の『アメリカ諸邦憲法擁護論』も『ダヴィラ論』も酷い不人気でした。・・・あなたの民主政原理への一貫した擁護そしてフランス革命への変わらぬ好意的な意見が、あなたの強固な人気の基礎になっているのです」
アダムズは、フランス人がアメリカ革命を誤って理解し、熱に浮かされて妙なことをしようとしていると考えた。それで、『アメリカ諸邦憲法擁護論』と『ダヴィラ論』を執筆し、フランス人に政治学と歴史を教えてやろうとしたのである。しかし、これがまったく不評な上に、アダムズには貴族主義者というレッテルがついた。一方、フランス革命という民衆暴動を支持したジェファソンの方が、何故か政治的成功を収めてしまったことを面白おかしく回顧している。これに対する、ジェファソンの回答が面白い。
「考える自由と言論の自由が許される政府のもとでは、人々は政党に分かれることになります。・・・・人民の力と貴族の権力のどちらが支配するべきなのかという問題は、古代ギリシャの諸国家やローマ帝国においても古今を通じて対立する問題で、・・・・国民の性格を分裂させてきたのです。・・・・この国の歴史に照らして、あなたと私がはじめて互いを知った時を省みても、大陸会議で激しく争った深い党派的対立とその激論は忘れられません。そのとき、あなたと私は同じ見解をもっており、・・・・独立反対派と戦いました。独立反対派はイギリス国王を重視し、私たちはわが国民の権利を重視しました。わが現政府が諸邦連合から合衆国へと脱皮の過程にあったとき、フェデラリスツとアンティ・フェデラリスツとの分裂、抗争はどれだけ激しかったか!そのときもまた、あなたと私は同じ一つの立場をとっていました。・・・しかし、憲法が実施されるやいなや分裂がまたしても現れました。われわれは、二政党に分立し、それぞれ異なる方向に政府を動かそうとしました。一つは、政府の一番民主的な部門を強化しようと望み、他方は、恒久的な諸機関を強化し、その永続化をはかろうとしました。この点で、あなたと私とがはじめて袂を分かちました」
真実がどうであろうと、歴史はこういう風に書かれますよと言っている。これを書いているときのジェファソンの顔が私はなんとなく想像できるのである。おそらく、ニコリともしていなかっただろうし、なんの昂ぶりもなかっただろう。アダムズにしてみれば、ジェファソンの分類自体がおかしいのである。それは、「イデオロギー」であって、歴史の真実ではない。しかし、政治とは歴史学ではない。「こういう物語で、私は勝つことになるのです」とジェファソンは言うのである。
こう書くと、まるでジェファソンが歴史を使った詐欺師のようになるが、私はそういうことではないのだと思う。11の言語で聖書を読み、ラテン語の神学書を読破し、異教の神話を異教の言葉で読んでいた彼は、神と歴史と民衆の度しがたい性質を理解していたのだろう。それを前提に、幸福な国に導こうと思ったのだと私は考える。私がジェファソンを怪物であると考えるのは、上の言葉をジェファソン自身が真実ではないと理解していながら、何故か不誠実ではないということである。彼は誠実に嘘を言い、民衆に何の感情も持たずに民衆の幸福を追求した。こういう化け物はなかなか理解するのが難しい。『青年ルター』を書いたエリクソンが、ジェファソンを分析した『歴史のなかのアイデンティティ』という本を書いているが、どうもルター級の怪物のようである。