研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

大学教育

2021-06-20 15:27:34 | Weblog
勤務校に僕が心から尊敬している西洋史の先生がいらして、その先生は、西洋史の研究者養成は自分たちの仕事ではないと考えておられる。
それよりも、学部教育をしっかりやって、立派な中学・高校教員や社会人を育てるべきだと考えておられる。
それこそ何百枚のレポートを丹念に添削して、発生方まで指導しておられる。
しかもご自身のご研究の業績はとにかく凄い。

理由は、端的に語学力と基礎学力の問題なのですよね。
これがないと研究者になれないのです。

僕はそこまでリジットに考えていないけれど、この偉大なる大先輩と同じ結論かなあ。
僕の場合は、要するに人生をもう少し長いスパンで見ていて、大学卒業後、さらには学生が管理職になっった時まで見据えて人文社会科学を教えている。
だから、僕はこの偉大なる大先輩ほど丹念な学部教育はやらないけど、自分が長年かけて研鑽してきた偉大なる知恵と考え方を教えている。
要するに、一生、本を読む人になって欲しいのですよね。
それも自分の考え方を確認する読書ではなく、自分の考え方を常に危機に陥れる読書をする人になってもらいたい。
そういう教育を4年間行っている。

だから短期的な習熟度調査は、僕の教育方針への侮辱なのですよね。
エビデンス?
博士号を授与された僕の確信に、一体どんな資格でエビデンスを求めるのか不可解で仕方ない。

でも最大の問題は、人間は、ある日突然変わるのですよ。良い方にも悪い方にも。
だから短期的な習熟度調査には意味がないと考えています。
それよりも、「なんか分からんけど、偉大な知性の高みを見た」という経験が大事です。