研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

メモ

2006-08-18 05:00:54 | Weblog
内田先生の記事
「学習障害ナショナリスト」

>ナショナリストと議論して誰でも気づくことは、彼らが固有名詞や年号やデータ的数値に総じて詳しいことである。


ホーフスタッターの『パラノイド・スタイル』を思い出した。どうなんだろう?一回、ちゃんと考えたい。

自分の記事を引用すると、

>赤狩りの時代の「保守」論客たちの特徴を彼は「学者的」と表現し、その「細部へのこだわり」と「膨大な証拠の数々」を出すのが彼らの特徴であると書いてあった。

「保守論客たち」を「ナショナリスト]とすれば同じような意味か。

>ホーフスタッターは、「一つ一つは『事実』であっても、それが本質なのではない」と言うのである。問題なのは、マッカーシイズムのもつあの抑圧なのであって、実際にアルジャー・ヒスがスパイだったのかどうかが問題なのではないと。細かな「証拠」を膨大に用意することによって、本質を自分たちの都合のよいように構成しているのだと。右翼の告発者たちの告発が、「事実」であったとしても、問題はそんなところにはないのだと。

「つじつまの合わないことを受け容れる能力」と「ユーモアを理解する能力」に大きな欠損を抱えるのは右も左も似たようなものだと思うのだが。

要するにホーフスタッターがアメリカのナショナリストを「パラノイド・スタイル」と罵倒するように、内田先生は「学習障害」というこれまた医学っぽい概念で、なんというかインテレクチュアルズの王道をはからずも表現しているような。

(最初のエントリーに何行か追加しました)

8月18日

2006-08-14 06:51:17 | Weblog
すっかり日が開いてしまった。スランプだったのではなく、娑婆での生活が忙しかった。今は遅れていてすっかり迷惑をかけている原稿と、非常勤で教えている二つの大学での試験の採点作業。一つはアメリカ現代史で、もう一つは西洋社会思想史。守備範囲が狭そうで、私はけっこう講義は好きで、ポストさえあればたぶん園芸とか育児も教えられそう(笑)。ただ、採点が苦手なのだ。実は試験監督も苦手で、恥ずかしいことに私は厳格な古典的教育を信奉していながら、他人を試すのがかなりストレスなのである。この弱さは今後のためになんとかしなくては。

現在はジョン・ジェイの研究をひそかに進めていて、まとまったものができればその余話を書いていきたいと考えているが、本日はまとまった時間がとれないので、皆様にはなんの利益もない話を書かせていただきたいと思う。本当になんの結論にも至らない個人的なことなのだが・・・。

ブログを読んでくださっている奇特な方々は、私の文章から不用意にこぼれる情報から私の出身地などが推測できていると思うが、まあ北海道の北側なわけである。で、もうすぐ8月15日の終戦記念日だが、私にとっては8月18日というのが重要で、それは兵隊さんたちが命と引き換えに北海道をソ連から守ってくれた日なのである。詳しく書かなくても常識かもしれないが、1945年8月9日にソ連が日ソ中立条約を破って日本に宣戦し、8月18日に千島列島の最北端の占守島に襲い掛かってきた。もしあの時、占守島の守備隊がソ連軍を食い止めていなかったら、私は今頃ロシア人だったわけである。ソビエト連邦の最辺境の北海道にすむロシア人・・・。モスクワははるか彼方でシベリアよりも東の旧日本人である。まったく最悪である。昇進の見込みはまったくない。しかし人はそのおかれた環境で、少しでも立身しようとするだろうから、私はたぶん旭川あたりで国境警備隊員かなにかで日本人を監視していたかもしれない。北朝鮮を笑えない惨めな気分だっただろう。いや、甘すぎるか。祖父がシベリアに連れて行かれて死亡し、そもそも現世にいなかったかもしれない。ちなみに私の祖父は大変長生きしたのだが(恥ずかしながら我が家系の男系男子はみな長生きで、ことごとく最後は老衰で死んだ。遺伝病すらもっていなかった。)、日露戦争の時は若すぎて召集されず、大東亜戦争では年寄りすぎて召集されず、申し訳ないが御国にはなんの貢献もしなかった。しかも田舎過ぎて、アメリカ軍の空襲すらなかった。祖父に戦争の話を聞こうとしたが、祖父は本当になにも知らなかった。情けない。

そういうわけで、私が今日あるのはどう考えても「兵隊さんたちのおかげ」なわけである。どうもその辺が大学に身をおきながら、左派思想に行ききれなかった原因かもしれない。そんなわけで、私は毎年8月18日には英霊への供養として少し贅沢をする。彼らが食べたかっただろうものを食べたりする。変だろうか。

8月15日は重要な日だろうが、どうか18日も思い出していただきたいと思う。