研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

ヘンリー・アダムズの挫折(1)

2005-11-14 04:59:12 | Weblog
第二代大統領ジョン・アダムズは、その大きな功績にもかかわらず、「忘れられた人物」として人々の記憶に残っている。これはアダムズ一族の特徴かもしれない。いつも時代遅れ認定されてしまう。そういえば、「アダムズ・ファミリー」という映画が昔あった。死人の家族のコメディである。その息子ジョン・クインジー・アダムズも非常に玄人うけする人物ではあるが、それでも多くの現代アメリカ史研究者には、「一般投票で勝てなかった大統領」という気の毒な言及のされかたで登場することが多い。特に、ジョージ・W・ブッシュ大統領のせいで、いつも妙な形で登場を余儀なくされている。ちなみに、細かいことだが、John Quincy Adamsの発音は、ジョン・「クインジー」・アダムズである。cyで終わるので、みんな「クインシー」と呼んでいて、映画「アミスタッド」の字幕でも「クインシー」と書いてあるが、「クインジー」が正しい。

このジョン・アダムズの孫、ジョン・クインジー・アダムズの息子は三人いて、長男はジョージ・ワシントン・アダムズ、次男はジョン・アダムズ二世、三男はチャールズ・フランシス・アダムズという。長男と次男は、アルコール中毒で最後は船から落下して死んだり、原因不明の事故死をしている。どうも出来損ないだったらしい。というか、後でも述べるが、この家のプレッシャーはひどくて正直だれがこの家に生まれてもグレただろうと思われる。唯一三男のチャールズだけが、連邦下院議員になっていて、かろうじて政治一家を継いでいる。しかし、政治家としての歴史的名声は残せなかった。ただ、彼には妙な奇癖があって、とにかく異様な情熱で一族の書簡や日記の収集保管、分類整理を一生かけて行っていた。その成果がWorks of John Adams全10巻をはじめとする超膨大なアダムズ・ライブラリーで、アダムズ研究は基本的に彼の編纂した全集を使って行われる。私も彼のおかげで博士号が取れた。ちなみにこの全集は、日本では東大、筑波大、広島大、同志社大くらいにしかないんじゃなかろうか?と思って調べたら、なぜか日大にあった。個人で所有している人はほとんどいないと思う。実は、ちょっと自慢するが、私が持っている。重ねて自慢すると、一昨年亡くなられた政治学者の阿部斉先生が所蔵しておられて、その阿部先生に譲ってもらったのである。阿部先生は、もともとアメリカ建国史で学位をとられていて、ジョン・アダムズについての研究を残されている数少ない方だったのである。で、私は、その阿部先生から貴重なアダムズ全集をいただいたわけで、ま、この辺の正統性が私のひそかな自慢なわけである。

このチャールズの息子にヘンリー・アダムズがいた。彼は少年時のアダムズ家の風景をいろいろ書き残している。ある日、幼なかったヘンリーが学校へ行くのを嫌がってぐずっていた。母親ではどうしようもなくなって窮していると、奥の部屋から祖父のジョン・クインジー・アダムズが現れた。この時は、すでに大統領職を退き、連邦下院議員をしていたころであったが、基本的に政治の世界では現役時代の最高官職で呼ばれるのが慣例なので依然として「プレジデント」と呼ばれていて、彼の場合は家族からも「プレジデント」と呼ばれていた。家族はこの大統領には一言も口ごたえや狎れた口調では話せなかった。「大統領」が現れたのを見て直立不動で固まるヘンリーの前につかつかと近づいてきたジョン・クインジー・アダムズは、黙ってヘンリーの手をとって、そのまま学校まで歩いていった。学校までの道では一言も話はなく、ヘンリーが学校の門へ入るのを見ると、そのまま何も言わずにジョン・クインジー・アダムズは家に帰っていった。

嫌な家である。ジョン・アダムズの考え方に、「ナチュラル・アリストクラシー」というのがある。それは、階級のない世界においても自然と、おのずから生じる貴族のことで、それは血統、財産、教養、かもし出す雰囲気、過去の業績、風貌、体格、おかれた状況などあらゆる要素が組み合わさって形成されるもので、具体的には、「選挙において二票以上の票を動かす力(影響力)」をもつのだという。一票しか行使できないのが、普通の人間だが、この自然貴族は二票動かせるのだという。これは、もうどうしようもないもので、実際にそういう人はいるわけである。みんなが完全平等ということは現実にはなくて、かならず社会にはそういう不思議な影響力や勢力を持つ人が現れるものである。アダムズの政治思想の基本は、「こういう必ず現れる勢力ある人々をどのように利用し、統制するか」であった。ここを「無い」ことにして、ナイーヴにデモクラシーを行うと、必ず政治社会はデマゴーグに先導され、衆愚支配となり恐怖政治に転換し、最後はそれを収拾するために一人の専制者が現れてしまうのだという。驚くのはアダムズがこの主張を展開したのは、1787年にイギリス公使をしていたときで、フランス革命の動向をイギリスから眺めながら『アメリカ諸邦憲法擁護論』にそのように書いている。まさにその後のフランス革命の動向そのものなわけで、エドマンド・バークの『フランス革命の省察』より2年早い。意外と指摘されていないのだが、バークはアダムズのこの『アメリカ諸邦憲法擁護論』を読んでいる。

アダムズは、どうせ自然貴族が現れるならば、それは意図的に作ったほうがよいと考えた。つまり、影響力ある家庭に生まれた子供たちは、どうせ必ず公的役職につくわけだから、そうであるならば、家庭教育は完全に公的な義務感によってなされなければならないのである。政治においては、まず統治者の父親が自分の家族に責任ある統治者として必要な教育や経験を施すのである。こういうことを何代にもわたって行うと、その一族には、統治者に必要な天性を備えた人物が多数排出するようになるのだという。考えてみれば、実際に今の日本がそうであろう。安部晋三氏はどうしたって、政界にでることになるのである。例えば、辺境の地方公務員の息子の私が成蹊大を出て政治・行政の高位官職にはつけないのである。高位官職につくためには、鈴木宗雄氏くらいの「働き」が必要である。しかし、貴種のもつ現実社会への力量は実際に巨大なのである。だとしたら、いっそ貴族院でも設けて、彼らの力を有効活用すると同時に、貴族院に封じ込めて統制したほうが良いのだとアダムズは考えた。二院制を主張し、そのうちの一つをSenateつまり、「元老院」にするべきだと言ったのはそのためである。実際には、こういう考え方そのものが、民主社会ではうけいれられなかったので、アダムズは「忘れられた人物」となったわけだが。

アダムズの自然貴族論には、こういう制度的なものと同時に自然貴族家の家庭教育がセットになっていて、ジョン・クインジー・アダムズ以下の子供たちは、こういう方針の下に育つことになった。