研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

教育論への誘惑(4・完)

2007-04-01 02:12:16 | Weblog
ジョン・アダムズが「アメリカはすでに没落し始めた」と嘆いたのは1789年ころである。独立戦争にかろうじて勝利し、ジョージ・ワシントンのもとで第一議会を開こうかという、世界の果てに出来たばかりの新国家に没落もなにもなさそうなものだが、彼の歴史認識では、アメリカの黄金時代は終わったということになる。

問題は共和主義と民主主義の質的な違いについての彼の正確な理解にあった。共和国とは英語でrepublicと書く。語源はラテン語のres publicaで意味は「公的なものへの献身」である。私的利益感情を自制あるいは克服している「市民」が、公的領域において献身する共同体がrepublicであった。だから、republicは必ずしも共和制である必要はなくて、例えば「英国国制」に示されるような、君主・貴族・庶民による混合政体でもよかった。各人が、自分の職分において公的な価値に献身できていれば、それはリパブリックであった。

これが「デモクラシー」に取って代わられつつあるというのが当時のアダムズのアメリカ社会への危機感だった。「アメリカ革命」は、アメリカ市民の「ヴィルトゥ」によって成し遂げられた。しかし、戦争に勝利し、この「ヴィルトゥ」が衰退し、人間各人の欲望が公的領域を支配するようになってきた。社会問題の発生である。「多数者」が支配する政治体制とは、一人の専制者が支配する政治体制と本質的にはなにも変わらない。それは要するにデスポティズムである。「多数者が支配する体制は、最終的には一人のカエサルを要求するようになる」というのが1787年におけるアダムズのフランス革命の今後の動向についての予言であったが、アメリカも結局はそうなるのではないかと彼には思われた。

ジョン・アダムズはじめ、アメリカの建国者たちに感心するのは、ここで教育再生による「ヴィルトゥ」の復活を政治日程に入れなかったことである。彼らは、「保守主義者」だった。「ヴィルトゥは、戦時にしか期待できない」というのがアダムズの『ダヴィラ論』における結論で、平和を望む以上、「平時にヴィルトゥなし」を前提に政治制度を変更しなければならない。連邦憲法はこうして作られた。主題は「権力分立」である。ジェイムズ・マディソンは、「それぞれの部門は、それぞれ自分の部門の利益を考えれば、総合的に全体の利益になるようにすれば良い」と『ザ・フェデラリスト』に書いた。この時に、マディソンが主張したのは、representative democracyという「時代に適合した共和制」という概念だった。なんのことはない代表民主制なのだが、共和主義のイデオロギーをこの言葉によって棚上げした。大統領、上院、下院、司法はまったく別の選抜過程の中で形成される。これにさらに各州の統治機構が同じように存在する。建国者たちは、民主主義が生み出すリヴァイアサンを、黙々とキメラに改造していった。大統領の誕生プロセスに至っては、建国者たち自身にもよく分からないくらい複雑にした。国民に「ヴィルトゥ」の再生など訴えなかった。アメリカの建国者たちが腐心したのは、出来るかぎり個々人の悪徳を全体で相殺できればよいという一点であった。結局、アメリカでは教育は公立学校制度の問題に限定された。しかしこれだって上手くいかなかった。

アメリカにおいて教育論が熱心に検討され始めたのは革新主義の時代あたりだろう。この辺になると教育史の専門家が多いだろうから私には何も言えない。ただ、あんまり効果がなかった上に、北米大陸の外では通用しない内容が多いのはだいたいの人々が同意すると思う。ただ20世紀中盤以降、アメリカの諸大学の外国人留学生へのPh.D.戦略が、国際戦略上アメリカの利益に資するものになっていることは注目に値するが、もはやこれは教育論に感心のある人々の問題とは完全にずれる、国家戦略上の議論になるのだろう。

どうも「教育論」というのは政治家の仕事ではないように思う。国民の識字率や計算能力を向上させるのは国家戦略上重要なので、行政はしかるべく制度を整えればよいわけで、ここに何かしら理想を盛り込もうとすると、イデオロギー論争になってしまうだけのようである。結局、仕事が違うのだ。

これはあくまで印象論なのだが、「教育論」というのは個人の読書生活や人間考察、あるいは個人的作業としては非常に有益で、なくてはならないものなのかもしれないが、そもそも大きな規模で展開することではないのだろう。非常に極端な例なのだが、ルドルフ・シュタイナーの教育論というのがある。これ自体はそれなりに面白く示唆的なのだが、「シュタイナー教育」を本当にやってみると、まあろくな人間が出来ないのである。ぜんぜん正反対だが、バートランド・ラッセルの『教育論』なんかも読んでみると非常に面白いのだが、実践してみると感心するほど悲劇的なのである。つまり、学理として優れた教育論であっても、規模を大きくすると必ず破綻する。だから松下村塾には松下村塾の規模でこその成功があり、また規模が小さいということが業績の小ささにはならない、教育とは、要するに一人の教師による、一人ひとりの生徒たちへの願いと思い以外にないのだろう。理想の教育というのは、政治行政の規模でやるには適さない。

我らが現政権は、最初から教育再生を掲げていた。つまり最初からどん詰まりだった。教育論を政治家の仕事の課題とすることは、例えるなら自分を生み出した親に、現在の自分の苦境の責任を問うような行為である。それはそもそも人間の営みとして無意味な行為である。政治家は、自らの「ヴィルトゥ」を追い求め、世界に相対すべきである。

教育は重要である。しかし教育論は規模が大きくなる時、有害となる。それでもこれは延々と続くテーマになるだろう。教育という万能薬は、功なり名を遂げた人々にとって、常に何かを言ってみたくなる誘惑が強いからである。これはかまわない。しかし、政治家が政策目標として取り上げる対象ではないのである。それは、戦争を始めることよりも教育効果が低いのだから。戦争から学ぶことは多いが、教育論で学べることは多くは無い。