研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

Imperium In Imperio

2007-12-21 02:08:31 | Weblog
「ガヴァナンス」というのは、注意を要する言葉である。ヤクザ者が占拠している地域だって、ガヴァナンスといえばガヴァナンスである。同様に「多元性」というのも慎重に扱わないと、単なる偽装した地方切捨てだったりする場合もある。

私は以前、「一票の格差」は中央と辺境の格差を是正する上で、必ずしも悪いものではないと書いた(『一票の格差についての別論』)。これは私だけの意見ではない。エドマンド・バークが演説の中で言っていたのだ。当時のイングランド・スコットランドは人口の偏りが大きく、票の格差を本気で是正すると、地域間の格差が深刻になり、それが国家の分裂につながるのだと。利益の違いが大きくなりすぎると運命が違うものになる。運命が違うというのは、個人でいえば「他人」であり、国家でいえば「外国」である。中央と辺境の経済と人口の格差がある以上、票で是正するしかないわけで、これが耐え難いのであれば、中央政府は、その辺境を外国に明け渡すしかない。

これも以前書いたが、先進国と途上国の最大の違いは、辺境部の豊かさなのだ。中心都市の姿はどんな国でも変わらない。ただ途上国の場合、辺境部が悲惨なのである。それは、とても同じ国とは思えないほどに違う。一つの国家の中に「同じ時代の同じ空間とは思えないほど違う地域」を持つのが途上国なのである。一つの国家空間の中に、別の時代を生きている地域を抱えるのがどれほどリスクを伴うかということは認識した方がよい。

そして、実は辺境こそが中央政府を支える資産でもある(『中央政府にとっての辺境の意味』)。近代国家に対して、中世以前の都市国家は何ゆえ敗退したのか。一つの理由が辺境の有無である。遠くに領域を持つことで中央政府は大きな権限を持つ。辺境を持たない都市国家は、最小の権限しか持ち得ない。遠隔地統治の技術は、国家を統治する技術と表裏一体の関係にある。辺境を維持できない時、中央も滅びる。辺境が足枷に見えるとしたら、それは目の錯覚だ。それは足枷ではない。実は脚そのものなのだ。重い足枷だと錯覚し切り落としたが最後、身動きできなくなり、最後は失血死して、周辺の野獣に死肉を貪られる。

それゆえ、国土と住民の関係には絶えず注意を払わなくてはならない。辺境には中央を構成するネイションと同じネイションが多数を占めなければならない。そのために、中央がカネを払うのは当然なのだ。それは、中央のためなのだ。もし辺境部のネイションが中央と違うものになったらどうなるか。そのリスクは、現在地方に分配している税金の比ではない。現在の状態は、最高に安上がりな状態なのである。これ以上安く済ませるのは無理である。だから受け入れるべきだ。いや、もっと払うべきだ。

私は非常に素朴なことを言っている。「小さい国は強いですか?」と。小さい国は弱いわけである。EUはだから統合しなければいけなかった。じゃあ大きければ強いかというと、まさに辺境がポイントなわけである。辺境統治に成功した巨大国家にしてはじめて、豊かな先進国ライフが送れるのである。「小さいけどキラリと光る」など断じて幻想だ。

帝国は辺境から崩れる。都市は必ず腐敗するのだから、都市の腐敗は帝国の崩壊要因ではない。そういう意味で、「破れガラス理論」は危険だと私は考えている。ジュリアーニがやったのは、ニュー・ヨークのスラムを潰しただけではなかったか。スラムを潰せば犯罪は減るに決まっている。じゃあ潰されたエネルギーは消滅したのかというと、人間が消滅するはずがないわけで、どこかに散らばっているはずである。ニュー・ヨークの犯罪が減ったところでアメリカの犯罪は減らない。むしろ犯罪対策の整っていない地方に拡散しただけではないか。同様のことは日本の都市と地方の間でもいえる。都市の治安が良くなるほど、リスクは辺境に拡散するのである。警視庁が有能であればあるほど地方は危機に晒される。そして辺境とは異民族の最初の上陸地点なわけだ。まさに「オオマガキ」である。古代ローマ人は、ここに「テルミヌス(Terminus)」の神を祀ったとギボンは『ローマ帝国衰亡史』に書いている。境目にいる神様のことで、英語のterminalの語源である。洋の東西を問わず、統治者はこの境目の管理に大きな注意を払ってきた。

中央から捨てられた民と、辺境異民族が交じり合えば、境目に住む神は妖怪になり国家を着実に腐蝕させる。そして確実に中央を縮小させる。それでいいのかという話である。歴史に詳しい人は、「分割して統治せよ」という言葉を引用するかもしれない。しかし、それは時期を間違えている。この原則は、辺境が中央では統御困難なほど強い場合にしか使えない。共和制時代のローマだ。現在の日本には端的に適応不可能な言葉である。今それをやることは単なる棄民である。そして棄民を行う国家は必ず滅ぶ。

私は経済の専門家ではないし、財政の専門家でもないが、歴史の原則は上記の通りである。だから現在の日本の行政の流れは、根本的に間違っている。今必要なのは国内の多元性ではない。世界はそれだけで十分に多元なのだから、これ以上の多元性は必要ない。今必要なのは、空間間の格差の是正である。これは地方のためではない。東京のためであり、日本のためなのだ。地方とは、東京という脳みそと臓物を包み込む、骨であり肉であり皮膚である。骨と肉と皮を毀損すれば、脳も内臓も存在し得ない。そして国際政治の原則は、19世紀以来、何一つ変わっていないし、人間の知性は紀元前以来、何一つ進歩していない。世界は依然として野蛮であり続けている。



※タイトルの綴りをミスったことを今になって気づきましたので訂正します。
nとmが隣どおしだったもので・・・。ラテン語でかっこよく決めたのに面目ないです。

ボストンの密貿易業者と海賊

2007-12-07 20:34:55 | Weblog
仕事の関係で時々ボストンに行く。その時、マサチューセッツのあちこちを歩き回り、その過程で墓地をずいぶん見て歩く。そのたびに、ボストンの墓石に髑髏の絵が刻まれているのがいつも不思議だった。ジョン・ハンコックやら、サミュエル・アダムズのような有名人の墓も髑髏のデザイン。別にこれが西欧社会の伝統ではないし、アメリカの伝統でもない。それでハーヴァードの某偉い先生に、どういうことか尋ねたが関心がないようだった。

心のどこかで「何故なんだろう」と漠然と思いながら何年もたったある日のこと。漂流民の研究をしているアメリカ人留学生と雑談していた折この話をした。「あれだね、アングロ・サクソンってのは、所詮蛮族だね。墓石に骸骨の絵を刻んでいるんだよ。あの感覚は、どうしたもんだろう」と言うと、彼は少し考えて、「海賊の影響じゃないですか」と言った。

私は恥ずかしい人間ですね。予見というのは恐ろしいもので、共和主義だとか、市民宗教だとか、そんなことばかりやっていたら、簡単なことが見えなかったりする。そもそも1773年のボストン茶会事件の首謀者たちは密貿易業者だった。密貿易といえばきこえが悪いが、ボストン茶会事件まで100年もやってきたことなのだから、もはや市民の正業だった。

イングランドは、北アメリカ植民地の経営が軌道に乗り始めるとすぐに、いくつもの航海法を制定した。航海法はもともとオランダ商人をイングランドとその植民地の間の中継貿易から締め出すために、クロムウェルのころから作られ始めた。その中でも北アメリカ植民地人の密貿易を取り締まった航海法を簡単に要約すると、①北アメリカ植民地からの輸出品はイングランドの港を経由すること、②北アメリカ植民地が輸入するイギリス以外の産物は、すべてイングランド船舶から買うこと、③以上の取り締まりは、北国務省出先機関(時期によって商務院、アメリカ革命の直前は植民地省)の海事裁判所で行い、イギリス海軍がこれを監督する。

一見すると植民地にとっては差別的な貿易規制だが彼らは喜んで従っていた。この法律のおかげで、イギリス海軍の保護を無料で受けられるからである。当時の大西洋・カリブ海は非常に危険な海域だった。その上この法律は、本当に守る必要はなかった。第一大蔵卿ウォルポール政権は、北アメリカ植民地のことなどまるで関心がなかったので(植民地の業者から賄賂はちゃんと届いていたし、受け取ってもいたが)、彼らの密貿易を放置していた。イギリス海軍としても、あの広い海域でなされる密貿易を取り締まるには、よほどの決意がなければならず、中央政府が本腰を入れていない事柄は必然的に緩慢になる。こうして、いわゆる「有益なる怠慢」と呼ばれる自由貿易が盛んになり、北アメリカ植民地は栄えてゆく。アメリカ革命は、イングランドがこの怠慢を改め、航海法の文言通りの正論を言い始めたことから始まる。

アメリカ革命直前までに成立した北東部の名家はこの辺りまでに富の蓄積に成功した人々によって形成された。例えば、ジョン・ジェイ。マディソン、ハミルトンとともに『ザ・フェデラリスト』を執筆し、初代連邦裁判所首席判事となる彼の家系は、もともとフランスのユグノーだった。曽祖父の時代にパリでの弾圧を逃れイングランドに渡り、さらに祖父のアウグストゥス・ジェイの時代にジョージアからフィラデルフィアに移り住んだが上手く行かなかった。それでニュー・ヨークに移住するのだが、そこでオランダ商人フレデリック・フィリップスに見出され成功の道を歩む。以降、ジェイ一族は、オランダ系移民との姻戚関係を形成する。フィリップスは、奴隷貿易や海賊との取引で多大な富を蓄積した人物で、当然ジェイの祖父も相当に手を汚している。こうして名家となったジェイ家は、父親の代にニュー・ヨーク州議会のオランダ系議員の枠で政界に入り、ジョン・ジェイという「建国の父」の一人となる息子を輩出することになる。(ちなみにジョン・ジェイは、アレクザンダー・ハミルトン同様ニュー・ヨークの奴隷制廃止協会の幹部となるわけで、タバコ農園で富を築いた家系に生まれ嫌煙家となるゴア家の元副大統領と似ている)。「オランダ」、「奴隷貿易」、「海賊」と並んでいるわけで、完全に密貿易の典型である。ただ、ジェイ家の墓に髑髏があるかどうかは確かめていないので分からない。

そこでボストンと海賊である。ボストンというのは、気位の高い不愉快な土地なのだが、もちろんその地理的条件が示すとおり漁業が盛んである。そして調べてみると漁業の歴史は案外こじんまりとしていて、18世紀までは海賊業従事者がやたら目につくのである。例えば1900年代初頭のボストンの古い家では、屋根裏から海賊の夫をもつ女性の日記などが時々出てくることがあった。通常イメージされるようなピューリタンや共和主義というイングランドの政治的伝統とはずいぶん位相の違う人々も多い。それで、注意して観察してみると、どうやら農園経営者と貿易従事者では墓石のデザインが違っていて、貿易にたずさわらなかった人々の墓には髑髏のマークが無かった。例えば同じアダムズ一族でも、サミュエル・アダムズの墓には髑髏があったが、ジョン・アダムズには髑髏は無かった。この辺は、これ以上掘り下げてもあまり実のある話はないかもしれないと思うが、ボストン人の墓に髑髏がデザインされているものが多い理由はこの辺にあるのかもしれないと考えるようになった。