研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

教育論への誘惑(3)

2007-03-13 19:52:04 | Weblog
ルソーは「天使の国には政治はない」と言っている。トマス・ペインは「政府とは必要悪である」と言っている。ということは、政治というのは基本的に悪魔の世界に属する技術で、政治が道徳的にすぐれた市民を育成しようとすること自体が、本当は筋が違うのかもしれない。人間には度し難いところがあるから政治が必要であるのに、政治指導者が教育を語るのは、政治家としての敗北宣言みたいなものかもしれない。

「かもしれない」と書いたのは、もちろん留保をつけざるを得ないからである。「政治家が教育を説くのは、悪魔が道徳を説くようなものである」と言い切れれば歯切れは良いが、そうは簡単に割り切れないのも事実である。例えばデイヴィッド・ヒュームは、「政府の姿とは、その国民の公約数である」と言った。かりにそれがどんな酷い専制権力だとしても、国民の性格や国民の心象風景と完全に乖離している権力は成り立たないと彼は考えた。私はこれは本当だと思う。いかなる政治権力も、何らかの意味でその国民の本質を反映しているのであって、それゆえ政治の責任は常に国民にもあるはずである。

考えてみれば人類史において、民主的プロセスのもとに樹立された政治権力などなかった。ほとんどが武力によって打ち立てられているはずである。なのにその政治権力の自国民への振舞いは国によって違う。徳川幕府は自分が統治している領域の庶民を虐殺したりはしていない。日本は自国民を強制収容所に送り込むような政治権力をもったことはない。こう考えると、確かに暴力によって樹立された政治権力でさえ、国民の性格は反映されているのである。

「政府の姿とは、その国民の公約数である」というのが真理ならば、政治を良くするためには国民の徳を高めなければならないということになる。国民の徳を高める?こうして話は一周する。

もうこうなると分からなくなるので、さしあたりこのような要請がなされるのはどのような場合かを考えてみると、おそらくは没落の可能性についての自覚が高まった時なのではないかと思う。

歴史家のアーノルド・トインビーの「挑戦と応酬」という文明の変転を捉える概念は有名だろう。要するに、ある有力な文明Aがあとから勃興した別の勢力Bから挑戦を受け、これにAが応酬する。Aが勝つ場合もあるし、Bが勝つ場合もある。こうして歴史は展開するのだという。しかし彼がこの理論を展開するに際していつも前提としている「矮小化」という概念はあまり認識されていないのではないかと思う。つまり、「挑戦と応酬」に先立って起こる文明Aの弱体化である。

この矮小化は、基本的に二つの流れで起こる。まず、文明Aを先進地域に押し上げた特性を、周辺の蛮族が極めて大規模に模倣することによって、文明Aの強みが相対的に低下する(相対的矮小化)。それと同時に、当の文明Aの内部でも、それまで自分たちを強力な存在にしてきた特性の衰退が始まる(絶対的矮小化)。これは主に、人口構成の多様化によって起こる現象である。こうしてまず文明Aの相対的矮小化と絶対的矮小化によって「矮小化」が、「挑戦と応酬」に先立って始まる。ここが重要で、「矮小化」がなければ、実は挑戦はなされない。それゆえ当然、応酬もない。つまり挑戦と応酬とは、「矮小化」を起点として起こる現象である。

だから改革というのは、通常この矮小化を認識したAの内部から起こることになっている。

改革には二種類ある。それは、矮小化を食い止めようとするものと、矮小化した現実に適応しようとするものである。たいていは前者を守旧派、後者を改革派と呼ぶ。もちろん守旧派とは悪口である。だから目的はそれぞれであっても、「改革派」という名前を獲得する競争が行われる。そのうち「改革派」は二つに分かれる。穏健派と急進派である。どっちが勝つかは情況によるが、たいていはここから「売国奴」が振り落とされ、「保守的改革派」という名称を獲得した者が政治権力を握ることになる。革命運動がいかに苛烈で錯綜しようが、実際の改革において権力を握るのは最後に「愛国者」の地位を獲得した者なのである。

愛国者は保守革命を叫び、国民に「ヴィルトゥ(徳)」の復活を求める。複雑な国際情勢において「フォルトゥナ(運)」を引き寄せ自国を強力な存在にした先人たちの精神の復活を求める。本来国民がもっていたはずのヴィルトゥが衰えたのが国家が衰亡する理由なのだから、このヴィルトゥを再生する必要があるのだということになる。これが教育の再生という政治目標につながる。

政治権力が教育を論じる時と国家が危機的状況にある時が一致するのはこういう仕組みなのである。

教育論への誘惑(2)

2007-03-08 16:58:09 | Weblog
公民教育とは、「政治的責任の主体となり得る市民」を育成するための教育で、18世紀の文脈では王政と対立する概念である。フィロゾーフたちの認識では、人間が腐敗堕落したために、共和政が成り立たなくなり、王政が生まれたという。だから「革命」というのは、国王を殺すだけでは終わらない。市民を作りださなければ、再び別のカエサルが玉座に座ることになる。カエサルが再び誕生するのを防ぐためには(共和政を守るためには)、愚劣な民を市民として再生しなければならない。根本から叩きなおさなければならない。革命とは政治体制を転換することだけではなく、市民を創造することによって成就するわけである。こうして、ルソーが「個人」レベルで構想した教育論が、国家レベルで展開されることになる。

1791年に公教育委員に選出されたコンドルセは、公教育計画を準備するために、フランス中の家庭をくまなく調査・分析する。すると、富裕層は生活費よりも教育費に多くの資材を投入していることが分かった。一方貧民層は、子供が学齢に達すると、親は子供を学校に行かせずに金になる仕事につかせていることがわかった。「貧乏人にとって子供は、失敗の結果生まれるものである。だから親としては少しでも早く金を稼がせて失敗を最小限に抑えなければならない。こうして共和国に貧困が蓄積されることになる」。この差は、都市と田舎でも同じ構造で繰り返される。こういう条件の中で公教育を行おうとする場合の障害とは何かというと、それは確実に社会格差の問題に行き着くことになっている。彼らは教育問題とは所得と地域の格差の問題であり、それは要するに社会問題だという結論に達した。この格差こそが旧体制(アンシャン・レジーム)を維持させていたわけである。ということは、教育を適切に行えば、旧体制が生み出した社会問題も根本的に解決することになるだろうと思われた。社会問題解決の鍵は教育にありとなる。しかして社会が悪いのは教育が悪いからであるともなる。もはや社会問題は教育問題だ。

コンドルセによれば、貧乏人の親は、子供を学校に行かせるべきことを絶対に理解しないという。彼らはすぐに自分と同じ未来のない現場で子供を働かせようとする。だからコンドルセの実感では、学齢期に達した子供は法律で親から学校に引き渡さなければならないという結論になる。公教育学校は当然無料にしなければならないし、同じ制服を着なければならない。田舎の農村地帯にも同じ教育を受けさせるには、同じ学校をたくさん作らなければならない。こうすることで、かつては失敗の結果生まれてしまった子供たちを社会の資産として再生できる。その資金は、富裕層から徴収する。なぜなら、今後は富裕層も同じ教育をうけるのだから、これまで過剰に投入していた教育費用は不必要になるのだから。子供は断固たる覚悟で共和国の費用で養わなければならない。

次にカリキュラムの革命的改革である。これには革命家たちの恨みがあった。フランス革命で名を成した人々の多くは、幼少期にはコレージュや修道院で勉強をしていた。あのタレーランやジョゼェフ・フーシェもそうである。公教委員たちもコンドルセを筆頭に、みんな苦しい思いをしてきた。鞭で打たれながら、ギリシャ語とラテン語を叩き込まれ、神学を勉強させられる。困ったことに、この二つの言語は難解な上に、結局は完全にはマスターできず、そもそも実用性がまったくなかった。本当に辛い勉強だったと思う。マルティン・ルターはこの勉強時代の日々を振り返って、「地獄のように苦しかった」と述懐している。しかも、ルターは最期までラテン語が上手に書けなかった。語学の勉強というのは一般的にも非常に辛いもので、知的に活力ある学生ほど、手足を縛られて、自分の才能が磨耗するような感覚を覚えるものだろう。こうしてなんとか解読ができそうになったラテン語で、神学という難解極まりないものの講義に耐えなければならない。

「これでは駄目だ」というのが共通認識になった。こういう教育体系が、旧体制下の人々の活力ある知識を奪ってきたのだと考えた。そこで大急ぎでカリキュラムの全面変更がなされる。
① 国語(フランス語)をこそ確立する必要がある。
② 無意味な古典語の講義を廃止し、代わりに、英語、ドイツ語、スペイン語などの役に立つ実践的な言語を学ばせる。
③ 『エミール』にならって、子供にはあまり早い段階で抽象的な学問には触れさせず、まずは肉体の強化と実際の経験を学ばせる。
④ 神学を廃止して、科学を学ばせる。科学の中でも特に数学を学ばせることによって、理性的で論理的な人間が作られることは確実である。
⑤ こうした教育を通して神学ではなく、道徳を身につけさせる。

「国語熱」、「実践的外国語」、「体育」、「科学信奉」が特徴である。特に、数学は、教育内容の中でも究極の万能薬だった。数学を学べばあらゆる物事に対応できる能力が育成できるように思われた。夢はどこまでも広がる。師範学校を建設して教育の伝道者をフランスの隅々にまで送りこまなくては。教育への情熱は止まるところを知らない。公教委員の一人ルペルティエは素晴らしいことを思いついた。国民学寮を作る場合、それを老人保護施設と合併すればいいのではないか。「子供たちは人生の先輩である老人たちの世話をするという名誉ある仕事を得ることによって、徳を養うことが出来る」し、老人福祉を費用なしに充実することが出来る。ルペルティエは次のように言う。

なんと有益な制度であろう。社会的義務についてどれほど多くの生きた教訓となることであろう。人生を生き始めた者と晩年の者、年老いた障害者と活力ある子供を近づけることには、何か心をうつ宗教的なものがあるように、私には思われる。


・・・とにかく、物事は上手くいかないものである。彼らの計画通りに教育改革がなされたら、何もかもが解決されたのだろうか。それにしてもこの上滑りする感覚は何なのだろうか。教育それ自体というのは、どのくらい真面目に論じればいいのだろうか。

教育論への誘惑(1)

2007-03-07 11:42:12 | Weblog
古典に属する思想家の作品などで、その人物が理想の教育について語り始めると、だいたい思考が行き詰まりに入ったなというのが分かる。理想とする国家論を実行にうつそうとしたり、現状の度し難さについての不満を解決しようと考えると、最後は「教育」という万能薬を必要とするようになる。

政治権力を持つ人々も基本的にはそうで、中曽根内閣の末期のように教育に手をつけ始めると、いよいよ手詰まりということである。ただ、政治的には教育改革というのは使いやすい手段で、要するに手っ取り早く業績を残せる割には、そのマイナス効果が具現化するのはずいぶん先のことになるので、責任を問われなくてすむのである。仕事をやったという証拠はのこせるのだが、その帰結がでるのは誰の責任か分からなくなるくらい先のことになるのだから。

もちろん教育を主体とした理想国家建設は上手く行かない。その理由はよく分からないが、たぶん万能薬というのはないのだろうとしか言いようがない。無いものを主題にし始めたら、とりあえずは失敗することになっている。

プラトンの『国家』とマキャベリ(ちなみにマキャヴェッリと表記するのは止めることにした)の『リヴィウス論』は、結局、リパブリックを確立・維持するのはその構成員の公共精神しかないという結論に至ってしまい、最後は教育論みたいな終わり方をする。マキャベリの有名な“virtue”という概念は、もともとはリパブリックの「市民たるべき人々」に必要なものだった。これを涵養するにはと考えると公民教育ということになる。ところが「公民教育なんて、結局何も言っていないのと同じなのでは・・・」と気づいた彼は『君主論』を書いた。ここで市民に求められる“virtue”を、庶民から君主に求めることで現実世界への力をもった。公民教育を前提に哲人王の理想を求めたプラトンの国家論は結局哲学上の概念に止まったが、公民教育を棚上げして、君主に期待したマキャベリは“virtue”という概念を政治思想の中に生き残らせた。

ちなみに“virtue”というのは日本語では「徳」と訳される。“virtue”とは神秘的な概念で、それは“fortune”を操る能力であるという。“fortune”とはもちろん「運、運命」である。マキャベリによると、「運命」をつかさどるのは「女神」なんだそうだ。女神はもちろん女であるので、気まぐれで交渉や説得の対象ではない。この女神を思い通りに動かすには、魅力と腕力でねじ伏せる必要があって、この力が“virtue”なわけである。塩野七生氏は、この“virtue”を「力量」と訳しているが、これは力みすぎだし“virtue”のもつ神秘性を表現できていない。私は「徳」がいいと思う。

教育から「公民」を取り除いた教育論ならば意味のある営みとなりうる場合もある。
実はジョン・ロックも『教育論』を書いている。特に印象的なのは彼が父親について触れた箇所で、なんでもロックの父親はとてつもなく厳しく恐ろしかったらしい。ところがロックが成人すると「本日から我々は対等である」と宣言し、以後息子を「完全に」友人として遇したそうだ。彼はこれを非常に感動的に描いている。しかし、彼の経験したプロテスタント式の教育方法は、万人には適さない。たまたまロックが人類最優秀だからうまくいっただけで、普通なら人格に破綻をきたすような教育内容であり、実際ロックも少し狂っている。どうもプロテスタント教育には根本的に人間性を欠いたものがあるように思う。

ジャン・ジャック・ルソーの場合は、なんといっても『エミール』であろう。そのあまりの面白さに、かのカントが時を忘れ、日課の散歩を忘れたほどの作品である。「カントが日課の散歩を忘れる」というのは大事件である。自分の人生と生理の何もかもを支配し、死の床で「これでよし」と言って死んだ男である。確かにとてつもなく面白い本で、ひとたび読み始めたら、しばらくは頭の中が『エミール』で一杯になることは間違いない。私もそうだった。あの書物は人間業ではない。神か悪魔かどっちかが宿って書かせたのだろう。

『エミール』の前提は、公民教育をルソーが完全に否定していることで、ルソーによれば、「人間は、祖国の存在によって人間になる」のだが、「しかし、もはや世界には祖国となるべき国家など存在していない。それゆえ、個人教育によって根本的に人間を作らなければならない」という動機から書いたという。ちなみに『ルソー自伝(ルソーはジャン・ジャックをこう語る)』を読むと、どうやら『エミール』とはルソー自身の育てられ方と反対のことを書いたものだというのが分かる。自伝を読むと、彼はよほど自分の周囲の環境を恨んでいて、だから『エミール』は、自分のような悲惨な人間をつくらない方法はこうなのだという内容になっている。

教育論というのはやるせない。問題なく成長した人間は教育論に興味を抱かないので、教育論を書こうと思わないか、自分のようにやれという話で終わってしまう。結局、教育論に興味を示すのは、通常の人間から見て、少しヘンな人たちばかりになる。彼らが教育それ自体を論じると、ルサンチマンとカタルシスの塊になるので、最後は人々を辟易とさせて終わる。

ところがこの根本的に人間を作るという個人的作業を国家レベルで推進しようという事業が起こった。フランス革命における公民教育である。