アレクシス・ド・トクヴィルが生きていた時代のフランスは、復古王制期のフランスだった。それはスタンダールの『赤と黒』で描かれる、新旧が交わることなく同じ空間に並存する不思議な時代であり、名門貴族の家に生まれた彼が、まさにあの時代に「デモクラシー」を歴史の原動力と喝破したことは、やはり凄いとしか言いようがない。リパブリカニズムではない。デモクラシーを論じたのである。あの時代に。もちろん彼の親族は完全な王党派である。そんな親族に彼は、「デモクラシーは必然なのですよ」と説得する。
トクヴィルが訪れたアメリカは、ジャクソニアン・デモクラシー期のアメリカだった。彼は、デモクラティックな制度を支える「心の習慣」に着目したわけだが、その際に彼が気づいたのは、デモクラティックな社会と、アリストクラティックな社会の「センシビリティ」の違いだった。彼によれば、デモクラティックな社会は、他者に対する想像力が広いのだという。痛みを感じる範囲が広いのだという。確かに彼の周囲にも、優しい人々はいくらでもいた。細やかな感性、深い情愛を示す貴婦人はすぐに何人も思いつく。しかしその同じ彼ら彼女らは、下層の人々が残虐に処刑されるのを見ても、眉一つ動かさなかった。
アリストクラシーの社会においては、不平等は問題にならない。自由とは、親族より受け継いだ特権のことであり、特権を持たない人々とは「運命が違う」のだ。運命論と決定論こそがアリストクラシーの要諦である。運命が決定的に違っていれば、他者へのセンシビリティは限定的なものになる。そういうわけで、Societyは実質的に存在しないのである。社会がなければ、もちろん福祉などもあり得ない。思えば「社会」とは市民革命以降の時代に出来た言葉であり、アメリカにおいてさえ、個人の書簡の中にSocial, Societyといった言葉で出てくるのは、1760年代からである。それはかなり特殊な言葉だった。
そういう背景があって、フランスの革命家たちは、個人の運命を規定する中間団体を破壊することにした。「ル・シャプリエ法(1791年)」は、アンシャン・レジームへの憎しみと同じ哲学に属している。モンテスキューは、中間勢力としての貴族を自由の防壁としていたが、革命家たちには、この中間的存在が個人の自由を妨げてきたと考えた。こうして諸個人は、裸で「社会」に放り出された。
デモクラシーの理論家トクヴィルが、現在もいつも引用される理由は、彼が「中間団体」の重要性を主張しているからである。アメリカを訪れた彼は、帰国するとアメリカには自発結社がたくさんありますよと強調した。これは中間団体の禁止に反対する彼の長年の主張を正当化するために利用した側面があるのでそのままには受け取れないが、要するにフランスが共和政と王政の間を行きつ戻りつする原因は、裸の個人を包み込む社会的紐帯がないために、結局はデスポティズムに対して脆弱になってしまうのだということだろう。こうして、彼において中間団体という言葉が、アリストクラシーから分離していく。アンシャン・レジームの匂いが消えて、現在では、再アリストクラシー化を防ぐための処方箋として、中間団体、さらには「ギルド」の再構築すら安心して求めることができるようになった。我々の世界は、そこまで切迫しているのだろうか。トクヴィルも迷惑だろう。
ところでトクヴィルは、死後しばらくの間フランスでは忘れ去られていた。トクヴィルは、1805年に生まれて、1859年に死んでいる。カール・マルクスは、1818年に生まれて、1883年に死んでいるから彼らの生きた時代はかなりかぶっている。マルクスが階級を説いた時代に、トクヴィルは諸階級の平等化を説いていたわけで、まして「ブルジョア革命」に過ぎないフランス革命すら意味のないことだったように描くトクヴィルは完全に居場所がなかったのだろう。階級と革命に触れない彼は、知識人の議論においてはイレリバントもいいところだった。こうしてトクヴィルは、主に英語世界で生き残ることになった。
現在の我々は、革命とデモクラシーは別問題だということを知っている。やはりトクヴィルは偉かった。ただ、どうしてもアリストクラシーが克服できないでいる。デモクラシーにおける不平等は、アリストクラシーにおける不平等とは次元が違う。人間世界はもともと不平等なわけだが、デモクラシーにおいては、不平等である場合は、その不平等を正当化する説明が求められる。より良い、より有利な立場にある人は自己を弁明しなければならない。思えば、この緊張感がデモクラシーにおけるモラルだったのだ。このモラルが確実に減少しているように思われるのだがどんなもんだろう。モラルを偽善とし、平等へのセンシビリティを嫉妬と片付け続けた結果、慎みのある社会が出来たわけではなく、単純にアリストクラシーへの抑制が弱くなったようにも思われる。
ちなみに、他国に比べればマシという論者には用心するべきだ。警戒は、マシなうちにしなければ意味がないのだから。考えてみれば分かるのだが、階級が分かれる社会に、セーフティ・ネットなど期待できるはずがない。セーフティ・ネットに対する感性が欠如しているから、階級ができるのだ。貴婦人は冷たいという基本は忘れない方が良い。だからこの辺は、パラノイア的に用心するべきだ。紀元前以来、「市民であること」とはそういうことだ。ただ、これが本当にパラノイアになると、「プロ」になってしまうので、それはそれで気をつけたほうがいい。基準は、マルクスが妙に偉く見えるかどうかじゃないだろうか。
トクヴィルが訪れたアメリカは、ジャクソニアン・デモクラシー期のアメリカだった。彼は、デモクラティックな制度を支える「心の習慣」に着目したわけだが、その際に彼が気づいたのは、デモクラティックな社会と、アリストクラティックな社会の「センシビリティ」の違いだった。彼によれば、デモクラティックな社会は、他者に対する想像力が広いのだという。痛みを感じる範囲が広いのだという。確かに彼の周囲にも、優しい人々はいくらでもいた。細やかな感性、深い情愛を示す貴婦人はすぐに何人も思いつく。しかしその同じ彼ら彼女らは、下層の人々が残虐に処刑されるのを見ても、眉一つ動かさなかった。
アリストクラシーの社会においては、不平等は問題にならない。自由とは、親族より受け継いだ特権のことであり、特権を持たない人々とは「運命が違う」のだ。運命論と決定論こそがアリストクラシーの要諦である。運命が決定的に違っていれば、他者へのセンシビリティは限定的なものになる。そういうわけで、Societyは実質的に存在しないのである。社会がなければ、もちろん福祉などもあり得ない。思えば「社会」とは市民革命以降の時代に出来た言葉であり、アメリカにおいてさえ、個人の書簡の中にSocial, Societyといった言葉で出てくるのは、1760年代からである。それはかなり特殊な言葉だった。
そういう背景があって、フランスの革命家たちは、個人の運命を規定する中間団体を破壊することにした。「ル・シャプリエ法(1791年)」は、アンシャン・レジームへの憎しみと同じ哲学に属している。モンテスキューは、中間勢力としての貴族を自由の防壁としていたが、革命家たちには、この中間的存在が個人の自由を妨げてきたと考えた。こうして諸個人は、裸で「社会」に放り出された。
デモクラシーの理論家トクヴィルが、現在もいつも引用される理由は、彼が「中間団体」の重要性を主張しているからである。アメリカを訪れた彼は、帰国するとアメリカには自発結社がたくさんありますよと強調した。これは中間団体の禁止に反対する彼の長年の主張を正当化するために利用した側面があるのでそのままには受け取れないが、要するにフランスが共和政と王政の間を行きつ戻りつする原因は、裸の個人を包み込む社会的紐帯がないために、結局はデスポティズムに対して脆弱になってしまうのだということだろう。こうして、彼において中間団体という言葉が、アリストクラシーから分離していく。アンシャン・レジームの匂いが消えて、現在では、再アリストクラシー化を防ぐための処方箋として、中間団体、さらには「ギルド」の再構築すら安心して求めることができるようになった。我々の世界は、そこまで切迫しているのだろうか。トクヴィルも迷惑だろう。
ところでトクヴィルは、死後しばらくの間フランスでは忘れ去られていた。トクヴィルは、1805年に生まれて、1859年に死んでいる。カール・マルクスは、1818年に生まれて、1883年に死んでいるから彼らの生きた時代はかなりかぶっている。マルクスが階級を説いた時代に、トクヴィルは諸階級の平等化を説いていたわけで、まして「ブルジョア革命」に過ぎないフランス革命すら意味のないことだったように描くトクヴィルは完全に居場所がなかったのだろう。階級と革命に触れない彼は、知識人の議論においてはイレリバントもいいところだった。こうしてトクヴィルは、主に英語世界で生き残ることになった。
現在の我々は、革命とデモクラシーは別問題だということを知っている。やはりトクヴィルは偉かった。ただ、どうしてもアリストクラシーが克服できないでいる。デモクラシーにおける不平等は、アリストクラシーにおける不平等とは次元が違う。人間世界はもともと不平等なわけだが、デモクラシーにおいては、不平等である場合は、その不平等を正当化する説明が求められる。より良い、より有利な立場にある人は自己を弁明しなければならない。思えば、この緊張感がデモクラシーにおけるモラルだったのだ。このモラルが確実に減少しているように思われるのだがどんなもんだろう。モラルを偽善とし、平等へのセンシビリティを嫉妬と片付け続けた結果、慎みのある社会が出来たわけではなく、単純にアリストクラシーへの抑制が弱くなったようにも思われる。
ちなみに、他国に比べればマシという論者には用心するべきだ。警戒は、マシなうちにしなければ意味がないのだから。考えてみれば分かるのだが、階級が分かれる社会に、セーフティ・ネットなど期待できるはずがない。セーフティ・ネットに対する感性が欠如しているから、階級ができるのだ。貴婦人は冷たいという基本は忘れない方が良い。だからこの辺は、パラノイア的に用心するべきだ。紀元前以来、「市民であること」とはそういうことだ。ただ、これが本当にパラノイアになると、「プロ」になってしまうので、それはそれで気をつけたほうがいい。基準は、マルクスが妙に偉く見えるかどうかじゃないだろうか。