研究生活の覚書

研究していて、論文にするには届かないながらも放置するには惜しい話を書いていきます。

外観と内実

2008-07-12 20:56:50 | Weblog
人種というのは、「本質的」なものなのではなく、「文化的」に再生産され続けている概念だというのが、ポリティカルにコレクトネスな考え方とされている。だから、もっともカルスタ原理主義(変な言い方だが)的解釈では、コンドリーザ・ライスもコリン・パウエルも「白人」である。彼らは白人男性の形成したカテゴリーで階段をのぼってきたのだから。

日本のメディアの中にはなんの躊躇もなくバラク・オバマという人を「黒人初の大統領候補」と言ってしまう傾向があるが、もちろんこれはナイーブなわけである。バラク・オバマをさくっと「黒人」と言ってしまうのは、典型的な「血の一滴」理論なわけで、彼の母親は白人(スゥーデン系)で、ハワイにおいて白人の母親と祖母に育てられ、後に母親の再婚相手であるインドネシア人の義父に従いインドネシアに在住している。だから文化的にはアジア系に分類することさえ可能である。さらにシカゴ大学、ハーヴァード・ロー・スクールで白人男性の作った法律を学んでいるので、彼は白人に分類するのが本当は正しいのかもしれない。人種が本質的な概念ではなく、文化的な産物だとするなら。

なぜこんなことを言うかというと、例えば民主党予備選挙だけについていうなら、アメリカを「チェンジ」するといい得る候補者は、本当はヒラリー・クリントンだったはずなのにと思っていたからである。オバマの何が新しいのか。彼は典型的なジェントリーな白人男性ではないのか。人物は一級かもしれないが、チェンジの主体ではない。ジョンソン以来のリベラルど真ん中の社会政策をやれたのはヒラリー・クリントンだったはず。しかし、「チェンジ」争いに彼女は敗れた。彼女の鶴翼の陣(予備選挙と本選挙の両方を見越した体勢)は、結局中途半端なものになった。アメリカというマッチョな国で本選挙に勝つには、「女」という属性は薄くしなければならないが、「男みたいな女」は予備選挙では勝てない。実は同じようなディレンマは、オバマの人種性にもあった。

こうして民主党予備選挙は、双方が属性(「黒人性」と「女性性」)を消しあう競争となった。そしてアメリカ合衆国の「ユニオン」を主張するという、極めて古典的かつ保守的な原則に基づく不思議な選挙となった。かつて二千円札(表のデザインが沖縄・守礼門、裏のデザインが紫式部・『源氏物語』の絵巻)をカルスタ・カレンシーと揶揄した人がいた。もちろん悪口だ。しかし、今回の民主党予備選挙は、カルスタ・イレクションにはならなかった。本人たちがそれを拒否し続けたのだから。建国史を研究している私でさえ、慄然とするほど保守的な争いだった。

さて本選挙である。オバマとマケインでは、どちらがアメリカを「チェンジ」できるか。あえて言うと、本当はマケインである。ここ30年強くなりすぎた宗教右翼の政治への影響力を緩やかなものに変えられるのは、本当なら穏健保守派の共和党候補のマケインなはずだと思う。しかしオバマは勝つかもしれない。彼が勝てば、何も変化は起こらないだろう。18世紀研究者の私は、それでいっこうにかまわないのだが。

恥ずかしながら、単著をだしました。

2008-07-01 00:01:10 | Weblog
久々の投稿で、用件だけを書くようで、大変恥ずかしいのですが、
このたび、ようやく私の単著が出版される運びとなりました。

『アメリカ連邦体制の思想的基礎―ジョン・アダムズの中央政府論』(渓水社)、3800円

ブログで書いていることは、研究の過程で思いついたことをつづったものですが、こちらは、本業の研究論文をまとめたものですので、面白くないかもしれませんが、何かの記念にはなるかと。デザインがスッキリしているので、部屋のインテリアにはなるかもしれません。

小さいながらも、本当にちゃんとした出版社の方々に、満足のいく本を作っていただきました。せっかくなので、知っていただきたいと思い。恥ずかしながら、下品を承知で、ブログで告知させていただきます。

まさか自分の口からは買ってくれとはいえません。