映画に 乾杯! / 知の彷徨者(さまよいびと)

名作映画に描かれている人物、物語、事件、時代背景などについて思いをめぐらせ、社会史的な視点で考察します。

文明史の岐路!?

2012-06-02 17:08:09 | 世界経済
■■世界史としての文明論■■

 受験学科としての「世界史」、つまりは「各国史の寄せ集め」ではなく、いわば縦横の構造的連関のなかで結びつけられた文脈としての《世界史》とは何だろうか。結局、人類史というこのになるのかもしれない。
 ただし、現実的な意味での世界史が出現するのは、地球上の諸地域(ここでは地中海世界・大西洋・ヨーロッパ)が世界経済のなかに組み込まれて、社会的再生産が世界市場的な文脈において構造的に制約されるようになって以後の時代だろう。
 つまりは、11世紀以降の地中海沿岸域、13世紀以降のヨーロッパ・地中海世界から世界史は始まるということになる。
 あるいは、中国やインドについてなら、古代文明以降は、それぞれの内部で(地理的境界は時代により変化する)世界史は成り立っていたのかもしれない。

 文明とは、支配と従属のシステム(権力構造)のもとで生存する人類の社会構造を意味する。そして、私は、原始共産制社会はなかったと考えている。人類史は、そもそもの始原から《階級社会》だった。とはいえ、この階級構造が著しい敵対的形態を帯びるのは、ある程度の規模の都市集落群とかその統合体が形成されてからのことではないか、と見ている。
 それが《文明》なのだ。〈civilization〉には、そういう響きがある。

■文明史の1万年■

 ところが、このブログの記事の《ブログライティングのための文章技術コース 6、7》で述べたように、文明の装置・制度について、中世後期・近代のヨーロッパの諸観念と中国(東洋)の諸観念がよく似ている、相似形であるために、通約・通訳可能である。
 そのことは何を意味しているのだろうか。
 回答は2種類ある。
 1つめは、中国の古代帝国の方が(言語=表象文化において)ヨーロッパに1000年以上も先行していることから考えて、ユーラシアの温帯地域における文明の共通の始原が中国にある、という見方だ。
 しかし、インドやメソポタミア、エジプトなどでの文明の装置(支配構造や統治装置)の特徴(用語や観念ではない)もまた、中国や地中海ヨーロッパとよく似ていることからすると、別の、2つめの回答が出てくる。
 日本では受験のための教科書的知識(イデオロギー)となっている、古代世界の4大文明には、じつは先行する《さらに古い文明》が共通の土台=前提として存在していた。そのために、その後の文明の構造が築き上げられるうえで、この《さらに古い文明》が装置や制度を創出・造営するうえで素材や土台を提供した。
 これが2つめの答えである。

 地球の古代の気候変動を考えると、およそ2~3万年前から最後の氷河期が終焉して、亜熱帯地域にまで広がっていた氷床や凍土がどんどん北へ後退していった。そうなると、後退しつつある氷床の熱帯側(北半球では南側)に豊かな水が流れ出て、下流域に肥沃な地帯が生まれる。
 たとえば、今から1万数千年前には、サハラ砂漠や中央アジアの乾燥地帯には、豊かな森林や湿地帯草原が広がっていたという。
 だから、文明が始まった頃のエジプトやメソポタミア、ヒンドゥスタン平野は乾燥気候ではなく、きわめて豊潤・肥沃な地理的環境だった。もちろん、その後砂漠化や乾燥が急速に進展していくのだが。

 そうすると、4大文明の始まりを約7000年前と見積もっても、およそ1万年以上のタイムラグがある。
 後退する寒冷気候や氷床のあとを追いかけるように生活圏域を拡大していったであろう人類は、4大文明よりもずっと早くにどこかで《さらに古い文明》を、しかも複数箇所で築き上げたであろう《空白期間》があるのだ。
 たぶんユーラシアの中緯度地帯のどこかに、いくつか。
 ひょっとしたら、象形文字とか、文字まで行かなくても、音声言語体系もまた形成されていたであろう。
 そのなかには、のちに「国家(君主の家産・家政装置)」とか「経済(家産・家政装置の運営や住民への支配)」と呼ばれる文明装置の用語・観念もまた生まれていたのではなかろうか。
 そうでなければ、文明の始原から大規模な文明装置が組織化されるまでの時間が短すぎると、私は素朴に考えている。

 というような勝手な思い込みと、切りのいい数字ということで、私は「文明の歴史」をざっとこさ《1万年》と見積もっている。あるいは、もっと古いかもしれないが。

■《現代文明》とは何か■

 そんでもって、私は《現代文明》という語を用いている。
 この特殊な文明の存在期間は、だいたい11世紀のヨーロッパから現代の世界経済までの、およそ1000年。ミレニウム(ミレニアム)、千年紀だ。
 今から振り返ってみると、資本主義的生産様式が支配する世界の地理的範囲の拡大が、目に見える形で不可逆的に、進行し始めてからの、およそ1000年間である。
 いく分かはローマ帝国の廃墟と残滓・残骸を素材として、地中海世界で、相互に対抗し合う諸都市群(諸都市のあいだのヘゲモニー争奪戦)と遠距離貿易が出現してからの時期にあたる。
 その具体的な内容の分析については、このブログのほかの記事を(探して)参照してほしい。

 で、この現代文明は、20世紀の末頃から衰滅ないしは滅亡への局面(たぶん数百年続く)にさしかかっていると考えている。
 言い換えれば、利潤獲得・争奪がもたらす、富の分配や生活形態における階級敵対性が極点に達し、しかも、それが地球生態系・環境の危機的な構造変動をもたらしているために、人類が生き延びるとすれば、もはや文明の構造を組み換えるしかないだろうと思われる状況になっている。
 だが、今のところ、人類のなかで富と権力を掌握している階級には、そういう変革を展望する様子はさらさらなく、現在の特権の独占・寡占をあきらめるような構造転換を阻止しようとしているので、また、私たち「一般民衆」は転換の展望を見いだせないので、つまりは、人類はそれくらいに愚かだから、このまま滅亡に向かうしかないだろう。
 そして、今の世界経済では、金融資本の過剰な蓄積が促迫する暴走状態がますます加速しているかに見える。事態はかなり手遅れ・手づまりになっているように見える。IT化は、この暴走=狂乱を加速し複合化しているかのようだ。

■現代文明の滅びの予兆?■

 昨年春、東日本大震災、ことに東北地方の巨大地震と巨大津波が起きてから、その大災厄が1000年ぶりのものだったということを聞いてから、「現代文明の終焉」のシナリオを考え始めた。
 沿海の低地に都市群を形成して生産と物流、居住・消費の拠点を建設しながら展開してきた「現代文明の弱点」を突いた災害だったからだ。

 1000年前ごろから始まった《現代資本主義的文明》は、地球上の諸地域を世界市場に組み込みながら拡大してきた。つまりは、人類の物質的生存(生産や消費、文化など)の圧倒的部分を世界貿易に依存(従属)させる傾向性をもつ文明なのだ。
 したがって、この1000年ほどのあいだに、ことに14世紀以降の諸国家の形成過程において、内陸国家を除いて、諸国家の経済的・政治的中枢の機能を果たすメトロポリス(中心都市)群は、ほとんどが沿海部の低地につくられてきた。
 海が陸地に襲いかかるような災害に対して、きわめてもろい構造になっている。

■気候・環境変動と現代文明■

 ここで全地球的規模での気候変動・環境変動と現代文明との関係について、想いをめぐらせてみよう。

 ヨーロッパと地中海で、ローマ帝国の衰亡以来、久しぶりに地理的に広大な支配装置・権力構造の形成への趨勢が始まったのは、中世の半ば、8世紀頃だという。中東地域とアフリカでは、イスラム太守たちによる大帝国・大交易網の形成が始まった頃でもある。
 西ヨーロッパではフランク王国(名目的版図)の拡大が進んだ。やがて、ノルマン諸族の交易活動と海外遠征・征服と植民の大運動が始まった。

 この頃、8世紀から1、それまで数百年間続いた寒冷期が終わって、地球全体での気候変動=温暖化が始まり、13ないし14世紀まで継続したという。
 極地の氷床や氷山が融解して、海面が上昇した。ということは、人口の集住地の多くが沿海に近づいたということになる。地中海と北西ヨーロッパでは、港湾都市が成長し始め、海運を利用した長距離貿易が発達し始めた。
 何よりも、(冬季が短縮し、低温被害が減り)農産物の栽培がしやすくなった。農業(食糧生産)の飛躍的成長が起きた。より多くの人口(そして備蓄による移動・開拓)を支えることができるようになった。

 内陸部では自然林を開墾・伐採して農地の開拓が大がかりに展開していった。森林破壊と耕地の拡大は、この温暖化の時期いっぱい続いた。そして、臨界点にぶつかって停止した。
 高知の豊かさをバックアップしていた森林が消滅し、それまで乱開発と地味の収奪農業が拡大されたことから、土地の肥沃度は低下し、農業生産の危機(不作や凶作)が頻発するようになった。やがて耕地は放棄されていく。生態系の転換で、荒廃した草原が増えていく。
 それはとりもなおさず、感染症を媒介する野ネズミやらダニ類の生息地が拡大していく。
 ヨーロッパ全域で、遠距離貿易で繁栄し始めた沿海部の大都市に人口が集中していく。世界貿易が成長すると、遠隔地間での物資の交換・流通が発展する。それにともなって、寄生生物やウィルス、病原菌なども移動するようになっていった。

 だが、農地の荒廃で食糧生産・供給は危機に陥り始めると、都市の下層民衆を中心に栄養失調や体質悪化の傾向が強まっていった。餓死者や病死者が増加していく。
 そこに、14世紀半ば、クリミア方面を発生源とする腺ペストが襲来した。クマネズミの大規模な集団移動と世界貿易船舶によるペスト菌の移動・増殖・蔓延とが相乗効果をおよぼしたらしい。クリミア方面は、当時、地中海諸都市の食糧や製造業原料の主要な供給地だったから、事態は深刻だった。
 すでに食糧危機で栄養不足で免疫が低下し死の危機にひんしていた多数の民衆にあいだに、ペストは瞬く間に広がっていった。諸都市間の貿易ネットワーク(人びとの移動・旅が活発化していた)は、ヨーロッパ全域への疫病の拡大を加速した。
 14世紀のあいだに、西ヨーロッパの人口の30~50%が減少したという。

 そのさい、ヨーロッパの人類は、食糧危機や人口減少、原料供給の逼迫などに対して、世界貿易のさらなる拡大によって危機からの再編成をなしとげた。14世紀以降、資本主義的世界経済の形成への傾向は加速する。

 ことにこの700年間ほど、人類は海浜に近い低地部に政治や経済の中枢部を建設してきた。世界経済のなかでは、有力な港湾に位置する大都市をどれほど建設できるか、それによって国家や地域の経済活動をどれほど海外諸地域と深く広く連結するかによって、国家や政治体の力量が決定されるようになった。
 「ウォーターフロント万歳!」の時代になったのだ。

 この構造は、海からの災厄に対して、恐ろしく脆い仕組みをもたらした。

■エミーリャ=ロマーニャの地震災害■

 さて先頃、イタリア北部のエミーリャ=ロマーニャ地方で大地震があった。その地方では、700年来の震災だという。14世紀以来の大震災だという。中世晩期からの歴史的建築物が片端から損壊・崩壊したらしい。
 14世紀に顕著化した資本主義的文明にどこよりも先駆けて順応・適応した都市構造(建築構造)をつくり上げた地方が、生存の危機に直面している。ここは沿海部ではないが、世界貿易構造に依拠する資本主義的生活構造、都市構造が崩壊しかけている。

 北イタリアは、イベリア半島南部から始まるアルプス=ヒマラヤ造山帯に属している。北イタリアから東に向かっては、バルカン半島、トゥルコ(アナトリア)、カスピ海南部(イラン北部)、ヒマラヤ山脈、インドシナを経て、フィリピンを含む環太平洋造山帯に結びついている。
 この造山帯は、巨大なプレイトの衝突や摩擦が生み出す膨大な破壊エネルギーを溜め込み、ときに放出する地震多発地帯でもある。
 人類がいたるところに拡散繁殖したためか、有力な大都市の多くがこういう地震・津波多発地帯の上または近辺に位置するようになった。

 地殻変動の情報は、プレイトの結集・分裂運動が加速してきたことを告げているとの観測もある。

■温暖化かそれとも寒冷化か■

 輻射熱を溜め込む温室効果ガスの蓄積で、地球全体の温暖化が加速していくという観測もあるが、他方で、太陽の極点分裂をともなう核融合反応の鈍化によって地球に到達する熱量が低減して、14世紀から18世紀に人類が直面したような寒冷期がやって来るだろうという予測も出ている。小氷期が訪れるというのだ。

 そのいずれにしても、現代の沿海部のメトロポリスの機能が著しい障害を受けるらしい。
 温暖化は海面上昇をもたらし、海洋災害の波及の強めるだろう。
 寒冷化は海退(海岸線の後退)をもたらし、これまた港湾機能をはじめとしてメトロポリスの機能不全化を招くという。


 

 


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