■■年金制度の前提が崩壊した■■
「社会保険制度」としての年金制度は、中央政府が音頭取りをしながら市民が定期的に保険料を積み立てて、将来老後の年金需給の基金として運用することになっている。この制度は、世界的規模で、経済成長と〈これに見合った〉金融資産の増殖が安定的に見込めることを「不可欠の前提」としている。
言い方を変えれば、金融資産はバブリーな膨張をすることなく、いつでも実体経済の実質成長率とかけ離れた膨張をしない、それゆえ、金融恐慌は起こらず、安定的な利殖のための金融投資機会がいつまでも保証されていることを条件としているわけだ。
では、金融資産が実体経済とは著しくかけ離れた泡のような膨張を起こしたしたら、どうなるか。
しかも、金融資産の急膨張が実体経済の動きを妨げるほどになって、その結果、産業投資の機会がどんどん失われ、一方で膨れ上がった金融資金・投機資金が行き場(有望な市場)を失ったとしたら、どうなるか。
言わずと知れた結論になる。つまり、年金制度は土台から崩れ落ちることになる。
AIJの詐欺瞞着のような「資金運用」、いや資金の「投機」ではなく「投棄」、投げ捨てのような運用は、このような世界金融の行き詰まりの、1つの当然の結果である。
私がこのブログで何度も指摘しているように、(もともと頼りなかった)国家の規制というタガが外れた金融投機は、それ自身のダイナミズムによって、世界金融の基盤、世界的規模での金融資産の運用・利殖の基盤を掘り崩してしまっている。もはや、まともな投資によっては、世界各国の年金基金が掲げているような資産価値の保全は不可能になっている。残るのは、博打のような投機(ほとんどは詐欺瞞着に等しい)しかない。
そして、投機の99.9%は10年以上の長期利殖では生き残ることはない。
つまりは、年金制度の基金の運用先となる市場は、もはやどこにも残っていない。
■もはや金融・財政の世界では良識や常識ははたらかない■
以前書いたように、日本の国家財政の累積債務残高は1000兆円に迫っている。
税収が良好なときですら、今や3~4兆円返済できればいい方だ、ということは前に述べた。
だとすると、返済に利子がつかなくても300年はかかる。そんな債務返済は成り立たないから、日本の国家財政は、普通の常識や良識で考えれば、とうに破綻・破産していることになる。
なのに、国家や国家財政は動いている。一般市民の生活や生産活動が危機を迎えていても、政府機構は偉そうに機能している。
いったい、どういうことなのだろうか。
共同幻想や共同主観で、人びとが「国民」や「国家」という虚構にしがみついているからだろうか。
金融や財政の専門家、やれ「日本の国家財政の危機だ!」と警鐘の鐘をうるさく鳴らし続けているが、私たちの常識から見て、成り立ちそうもないはずの現状については、なにも説明してくれない。成り立つはずのない財政運営が今でも続いているのはなぜなのか、を。
一般企業の財政運営と国家財政のそれとを、同一次元で語って平然としている。
一般の企業なら、こんな財務状況で運営できるはずがないし、市場が排除してしまうだろう。だが、日本、そして巨額の財政赤字を続けるヨーロッパの大半の諸国家、アメリカ合衆国・・・これらの債務残高の合計は、それこそ恐ろしい規模にのぼる。
それだけの、財政欠損(赤字)が、世界の財政市場のバランスシートに記録されているのだ。
けれども、まだ金融恐慌は起きていない。
なぜなのだ。
私にも、答えはない。
ただ言えることは、「ふーん、世界の金融や財政市場というものは、思った以上に、幻想の上に成り立っているんだな~!?」というような無責任な驚きの表明だけだ。
■資本主義は未来の豊かさの先取り(奪い取り)である■
結局のところ、金融権力が異常に肥大化した現今の世界経済では、目先の資本増殖(短期的利益)のために将来ありえそうな利益機会を先取りし、ほとんどすべてを刈り取ってしまったのだ。先進諸国に残るのは、カスばかり。
しかし一方では、公債の利回りや株式への投資、年金基金、信託投資など、将来の利益を餌にした社会の資産(遊休資産)をかき集める手法も、異常なほどに発達してきた。
つまり、一方では、未来の豊かさの可能性を先取りして奪い取りながら、他方では、この先取り=奪い取りのためにつぎ込む金融資産を得るために「薔薇色の未来」「安定した将来」を安売りしてきたわけだ。
そして、10年ほど前、この欺瞞の金融システムは飽和点に達し、均衡を崩し始めた。
先進諸国家の財務官僚たちは、焦って増税に走りだし、政府を緊縮財政と増税に導こうとしている。だが、普通の家計や企業財務の財務管理の手法を使えば、もはや「手遅れ」というにも恥ずかしいような状況で、返済・償還、収支均衡の可能性は1000分の1にも満たない。
だが、世界の金融財政市場の参加者は、誰もがドミノ倒しのような危機を恐れて、国家に対しては強引な取り立てをできないままでいる。あのギリシアにしてからが、どんな悪辣な金融企業も破産申し立てを行えずにいる。
もしギリシアで破綻がの導火線に火がつけば、破産の連鎖は、地球を幾回りもするほど続いて、世界金融恐慌、大半の銀行や金融投資会社の破綻を導くことは明らかだからだ。
だから、私たち庶民は、財政官僚の言い分にあわてないようにしよう。
年金基金だって「安全で安定した」運用なんかはありそうもないことを理解しよう。最低限度のことから積み上げていく発想が必要だ。
要するに、現代文明=過剰消費文明=化石燃料浪費文明は、もはや袋小路にはまり込んでいるのだから。
日々の衣食住に必要な生産物を地道に生産・流通・分配していく仕組みを、背伸びしないで自分の周囲から等身大で考える発想法を身につけよう。少しずつ変えていくしかない。
「社会保険制度」としての年金制度は、中央政府が音頭取りをしながら市民が定期的に保険料を積み立てて、将来老後の年金需給の基金として運用することになっている。この制度は、世界的規模で、経済成長と〈これに見合った〉金融資産の増殖が安定的に見込めることを「不可欠の前提」としている。
言い方を変えれば、金融資産はバブリーな膨張をすることなく、いつでも実体経済の実質成長率とかけ離れた膨張をしない、それゆえ、金融恐慌は起こらず、安定的な利殖のための金融投資機会がいつまでも保証されていることを条件としているわけだ。
では、金融資産が実体経済とは著しくかけ離れた泡のような膨張を起こしたしたら、どうなるか。
しかも、金融資産の急膨張が実体経済の動きを妨げるほどになって、その結果、産業投資の機会がどんどん失われ、一方で膨れ上がった金融資金・投機資金が行き場(有望な市場)を失ったとしたら、どうなるか。
言わずと知れた結論になる。つまり、年金制度は土台から崩れ落ちることになる。
AIJの詐欺瞞着のような「資金運用」、いや資金の「投機」ではなく「投棄」、投げ捨てのような運用は、このような世界金融の行き詰まりの、1つの当然の結果である。
私がこのブログで何度も指摘しているように、(もともと頼りなかった)国家の規制というタガが外れた金融投機は、それ自身のダイナミズムによって、世界金融の基盤、世界的規模での金融資産の運用・利殖の基盤を掘り崩してしまっている。もはや、まともな投資によっては、世界各国の年金基金が掲げているような資産価値の保全は不可能になっている。残るのは、博打のような投機(ほとんどは詐欺瞞着に等しい)しかない。
そして、投機の99.9%は10年以上の長期利殖では生き残ることはない。
つまりは、年金制度の基金の運用先となる市場は、もはやどこにも残っていない。
■もはや金融・財政の世界では良識や常識ははたらかない■
以前書いたように、日本の国家財政の累積債務残高は1000兆円に迫っている。
税収が良好なときですら、今や3~4兆円返済できればいい方だ、ということは前に述べた。
だとすると、返済に利子がつかなくても300年はかかる。そんな債務返済は成り立たないから、日本の国家財政は、普通の常識や良識で考えれば、とうに破綻・破産していることになる。
なのに、国家や国家財政は動いている。一般市民の生活や生産活動が危機を迎えていても、政府機構は偉そうに機能している。
いったい、どういうことなのだろうか。
共同幻想や共同主観で、人びとが「国民」や「国家」という虚構にしがみついているからだろうか。
金融や財政の専門家、やれ「日本の国家財政の危機だ!」と警鐘の鐘をうるさく鳴らし続けているが、私たちの常識から見て、成り立ちそうもないはずの現状については、なにも説明してくれない。成り立つはずのない財政運営が今でも続いているのはなぜなのか、を。
一般企業の財政運営と国家財政のそれとを、同一次元で語って平然としている。
一般の企業なら、こんな財務状況で運営できるはずがないし、市場が排除してしまうだろう。だが、日本、そして巨額の財政赤字を続けるヨーロッパの大半の諸国家、アメリカ合衆国・・・これらの債務残高の合計は、それこそ恐ろしい規模にのぼる。
それだけの、財政欠損(赤字)が、世界の財政市場のバランスシートに記録されているのだ。
けれども、まだ金融恐慌は起きていない。
なぜなのだ。
私にも、答えはない。
ただ言えることは、「ふーん、世界の金融や財政市場というものは、思った以上に、幻想の上に成り立っているんだな~!?」というような無責任な驚きの表明だけだ。
■資本主義は未来の豊かさの先取り(奪い取り)である■
結局のところ、金融権力が異常に肥大化した現今の世界経済では、目先の資本増殖(短期的利益)のために将来ありえそうな利益機会を先取りし、ほとんどすべてを刈り取ってしまったのだ。先進諸国に残るのは、カスばかり。
しかし一方では、公債の利回りや株式への投資、年金基金、信託投資など、将来の利益を餌にした社会の資産(遊休資産)をかき集める手法も、異常なほどに発達してきた。
つまり、一方では、未来の豊かさの可能性を先取りして奪い取りながら、他方では、この先取り=奪い取りのためにつぎ込む金融資産を得るために「薔薇色の未来」「安定した将来」を安売りしてきたわけだ。
そして、10年ほど前、この欺瞞の金融システムは飽和点に達し、均衡を崩し始めた。
先進諸国家の財務官僚たちは、焦って増税に走りだし、政府を緊縮財政と増税に導こうとしている。だが、普通の家計や企業財務の財務管理の手法を使えば、もはや「手遅れ」というにも恥ずかしいような状況で、返済・償還、収支均衡の可能性は1000分の1にも満たない。
だが、世界の金融財政市場の参加者は、誰もがドミノ倒しのような危機を恐れて、国家に対しては強引な取り立てをできないままでいる。あのギリシアにしてからが、どんな悪辣な金融企業も破産申し立てを行えずにいる。
もしギリシアで破綻がの導火線に火がつけば、破産の連鎖は、地球を幾回りもするほど続いて、世界金融恐慌、大半の銀行や金融投資会社の破綻を導くことは明らかだからだ。
だから、私たち庶民は、財政官僚の言い分にあわてないようにしよう。
年金基金だって「安全で安定した」運用なんかはありそうもないことを理解しよう。最低限度のことから積み上げていく発想が必要だ。
要するに、現代文明=過剰消費文明=化石燃料浪費文明は、もはや袋小路にはまり込んでいるのだから。
日々の衣食住に必要な生産物を地道に生産・流通・分配していく仕組みを、背伸びしないで自分の周囲から等身大で考える発想法を身につけよう。少しずつ変えていくしかない。
参考にされてはいかがでしょうか?
http://www.youtube.com/watch?v=KJ2KNjSZAJE&feature=related
国会での講義です