タイでの混乱の様相は、結局、反乱を企てた側からすると、総選挙をやっても国家政治の根本問題は何ら解決への道が見いだせないということなのであろう。つまり、政党システムと選挙制度、そして議会や内閣などの統治システムは、問題解決に向けては機能しないということだ。
言い換えれば、既存の政治システムへの絶望があって、それを組み換えるのが目標なのだろう。
したがって、既存の制度を利用した選択や改革では意味がないと思い極めているようだ。
ウクライナでも、従来の議会制度や選挙、政党システムが、国民国家の重要問題を解決するためにはまったく機能していない、そのように民衆の大半が判断しているのだろう。
しかし、政権側は既存のシステムで対応しようと努力するが、多数派民衆側の要求は、既存のシステムの破壊と組み換えなのである以上、交渉・妥協の余地はないだろう。
じつは、同じ病理に押し入っているのは、この2国ばかりではない。フランス、ブリテン、日本、アメリカ(これに中東・北アフリカ諸国も含めるべきか)などでも、同じ危機に陥っているように見える。
そして、これらの諸国に共通するのは、深刻な国家財政の危機で、これまで通りの分配や利害の序列では、もはや立ち行かなくなっているという事情だ。そして、総選挙をしても、民衆の多数からすると、まともな選択肢が(ほぼ)ひとつももないという絶望感や危機感だ。
もはや、既存の議会制度や政党システムでは、民衆が直面している問題群をまともにすくいあげられない、処理できないという無力感もあるだろう。
ただ、先進諸国では、民衆の側でも対応策や案が見えないので、大規模な氾濫や抵抗にいたっていないだけのことだ。民衆蜂起した国は、まだまだ救いがあるのかもしれない。