【話の肖像画】現代最高のホームラン打者・松井秀喜氏(39)(4)
〈松井秀喜はずっと巨人で活躍を続け、長く4番に君臨した印象があるが、プロデビューの1993年の開幕は2軍スタートだった。
4番打者の座も用意された指定席ではなかった。
立ちはだかったのは、原辰徳、落合博満、清原和博。
松井が4番に定着したのは、ようやく入団8年目のことだった〉
僕が入団当時の4番は、原さんでした。
96年と98年の開幕時には4番を打ったのですが、あまり数字が上がらないので、96年は途中から落合さんが4番を打ち、98年は清原さんに代わりました。
8年目の2000年はずっと4番を任されるようになり、最後の3年間は、一日も休まずに4番を打ちました。
先輩打者3人との比較は、もちろん耳には入りました。
でも、自分が先輩方になれるわけでもないし、自分から比べたことはないんです。
もちろんすごい先輩方でしたが、4番という意味で意識したことはありませんでした。
長嶋監督は「4番1000日計画」なんて言ってくれましたが、実際に4番に定着するには、2000日以上かかってしまいましたね。
〈「4番1000日計画」。
それこそが師弟の、「素振りの日々」だった。
東京ドームで、長嶋監督の自宅の地下室で、遠征先の監督の宿舎で、マンツーマンの素振りは続けられた〉
関連ニュース
・
三谷幸喜さん再婚、一般女性と
・「広島・ルイスが3安打3打点」:イザ!
・FBで政治記事引用禁止 政府批判の拡散警戒 ベトナム
・シングルランキング