猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 40 古浄瑠璃 清水の御本地②

2015年11月07日 21時02分06秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

清水の御本地②

 国春を捕らえた兄弟の人々は、やがて、郎等の佐々山二郎時成を近づけると、
「時成。あの国春を、山中に連れて行き、殺害せよ。」
と、命じました。しかし、時成は、
「ご命令ではありますが、三代相恩の主君のお首を、この時成は、討ちかねます。どうか、他の者にご命令下さい。」
と、答えたのでした。兄弟の人々は、
「さては、お前は、心変わりをしたな。」
と、大いに立腹し、時成を斬り殺そうとしました。その時、時成は、
『いやいや、私が辞退しても、誰かが国春殿を討つのに違い無い。そうであるならば、私の手でお討ちして、御跡を弔って差し上げよう。』
と、考え直しました。時成は、兄弟の人々に向かい、
「あ、いや、只今の仰せは、私の心を試す為と思いまして、お断りいたしましたが、本当に討てと御命じであれば、討ちましょう。」
と、答えるのでした。
 やがて、日も傾き、黄昏時になると、時成は、国春殿を、とある山陰へと連れて行きました。時成は、
「国春殿、兄弟に方々は、ここにて誅せよとの仰せです。誠に残念ではありますが、御最期のご用意、願います。」
と、涙するのでした。国春が、
「おお、そうか、ここで切るか。時成よ、松樹千年も遂には滅するが習い。まして、老少不定の我が身であるのだから、歎いても仕方無い。とは、言うものの、今こそ、多年に渡り読んできたお経を、読誦するその時ぞ。」
と言うと、時成は、
「お心静に、読誦して下さい。」
と答えるのでした。国春は、声をあげて、
「有り難や。大慈大悲は薩埵の悲願。願わくば、無縁の慈悲を垂れ、補陀落世界へ、救い取らせ下さい。臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊(りんぎょうよくじゅじゅう ねんぴーかんのんりき とうじんだんだんね)。」
と唱えると、
「さあ、早く首、切れ。」
と、言うのでした。時成は、道理に詰められ、心の内で
『この君を、殺したからと言って、千年も万年も生きられるわけでも無し。この国春殿を物に例えてみるならば、深山の奥に咲く遅桜。梢の花は散り失せて、枝にひとつ残った花が、嵐を来のを待つ様なものだ。ええ、明日は、どうとでもなれ、命をお助けいたそう。』
と思い切るのでした。時成は、国春殿を引き立てて、
「国春殿。どうぞお聞き下さい。私の独断で、お命、お助け致します。さあ、早く、何処へなりとも、落ち延びて下さい。」
と告げると、十町ばかり(約1キロ)の道を送り出したのでした。やがて、元の所に戻った時成は、
『この事は、いくら隠しても、隠し通せるものでは無い。兄弟に耳には入れば、憂き目に遭う事は目に見えている。最早、これまで.』
と、心を決めると、西に向かって、心静に十念して、腹十文字に掻き切って、明日の露と消えたのでした。彼の時成が心中、頼もしきとも中々、申すばかりはなかりけり

つづく

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