くまがえ先陣問答 ⑤
ようやく、善光寺に着きましたが、慣れぬ長旅に、姉妹は疲れ切っていました。とう
とう、幼い玉鶴は、体力も気力も使い果たして、道端に倒れ込んでしまいました。道行
く人も、情けを懸けてくれず、桂の前が、懸命に看病しますが、水より外に、薬もあり
ません。玉鶴の容態はますます悪化していきました。桂の前は、どうすることもできず、
玉鶴の頭を膝にのせて抱きしめると、涙ながらに、玉鶴を励ますのでした。
「いかに、玉鶴。しっかりしなさい。あなたが、そのように倒れてしまっては、私は、
どうしたらよいのです。これ、玉鶴よ。」
姉の声に、ようやく心付いた玉鶴は、力なく目を開けると、
「ああ、もったいない。姉上にこのように介抱していただいて、申し分けありません。
しかし、私はもう、だめだと思います。何事も、前世からの定めと思って、私を思い出
すことがありましたら、念仏のひとつでも唱えてやってください。草場の陰にて、必ず
受け取りましょう。今までは、姉上にお仕えしようと思っていましたが、最早、夢の事
となりました。私は、行方も知れぬ草むらに消えて、跡かたも無く土となりますが、姉
上様は、私に構わず、目出度くお父上にお会いなされてください。そうしていただかな
いと、これからの黄泉路の妨げとなりますから。これが、最期のお願いです。」
と、言い残して、ついに玉鶴姫は、短い生涯を閉じました。
桂の前は、玉鶴にひっしと抱きついて、玉鶴、玉鶴を叫びますが、もう玉鶴は答えま
せんでした。なんたる前世の因果でしょか、桂の前は、
「こんなことになると知っていたのなら、玉鶴が、どんなに嘆こうとも、古里に置いて
きたものを、私が、別れを悲しんで、遙々これまで連れて来たばっかりに、死なせてし
まったことの悲しさよ。」
と、空しき死骸を押し動かし、押し動かし、悶え苦しみ、慟哭しました。
そうこうしているうちに、日もとっぷりと暮れてしまいました。桂の前が、呆然とし
ていると、一人の尼公がやって来て、こう言いました。
「私は、この辺りに住む者ですが、あまりにもいたわしいので、今夜、お守りするため
に来ました。ここは、人里からも離れ、夜にもなれば、虎狼野干が、死骸を食べようと
やってくるに違いありません。さりながら、私が来た以上は、大丈夫ですからご安心なさい。」
桂の前が喜んだのは、申すまでもありません。
「これは、有り難いお申し出。妹の屍を引き去られては、浅ましい限りです。万事宜し
くお願い申しあげます。」
と、手を合わせて感謝しました。
さて、尼公が言う通り、やがて闇の中から、うようよと虎狼野干が集まってきました。
獣達は、玉鶴の遺骸を食べようと、取り巻きますが、尼公を恐れて近づけません。なぜ
なら、尼公は、三国一の如来様が化身された尼公だったからです。結局、獣達は、食べ
る所か、綺麗な花を摘みくわえて集まり、御前に備えて、頭を地に付けて平伏する有様
です。さらに、天童が一人天下り、犀川の方からは、竜灯が現れ、闇夜を照らしたので
した。まったくこのような有り難い奇瑞が現れたのは、直実、遁世の加護と姉妹の姫君
の類い希なる美しい心を、仏神が哀れと思われたからでしょう。そうして、桂の前は、
辛い一夜を、どうにか明かしたのでした。やがて、夜が白々と明けてくると、朝日とと
もに、尼公は、金色の仏体と現れて、
「我は、善光寺の如来なり。玉鶴は定業(じょうごう)なれば仕方ないが、これからの
汝の行く末を守ってあげましょう。」
と、言うと忽然と消え去りました。桂の前は、あっと驚いて、虚空を向かって礼拝しま
した。天童も竜灯も消え、虎狼野干達もちりぢりに去りました。また、ひとりぼっちに
なってしまった桂の前は、玉鶴の死骸を、どう弔ったらいいのか分からず、草むらに座
り込んでしまいました。
どれぐらい、時間がたったのでしょうか、一人の僧が通りかかりました。この僧の名
は、蓮生坊(れんせいぼう)と言います。法然上人の弟子ですが、宿願があって、善
光寺に参った帰りでした。この僧こそ、桂の前の父、直実その人でしたが、互いに出家
の姿であったため、互いにそれとは、気づきませんでした。蓮生坊は、通り過ぎようと
しましたが、桂の前は、この僧になんとか妹を弔ってもらおうと、飛びつくと、
「のう、御僧様、これは、私の妹ですが、ここで亡くなってしまいました。右も左も分
からぬ旅路の途中で、頼む人もございません。哀れと思し召して、衣の結縁に、どうか
妹を弔っていただけませんでしょうか。」
と、泣きつきました。蓮生坊は、我が子とは夢にも思わずに、
「それは、大変いたわしいことです。誠に、高きも卑しきも、生死の掟は免れません。
未だ幼い方のようだが、二人の親に替わって、野辺の送りをしてあげましょう。」
と、言うと、どこかから、一枚の戸板を探してきて、玉鶴姫の死骸を乗せました。
先を蓮生が、後ろを桂の前が担ぎました。父が娘の葬礼をすると知らずに、戸板を担ぐ
親子の姿は、なんとも、言いようもなく哀れです。
やがて、とある草むらの土中に埋めると、卒塔婆を立てて、蓮生坊は、
「つらつら思んみれば、一生は夢の如し、百年を生きる者も居ない。釈尊は跋提河(ば
っだいが:釈迦寂入の地)の土となり、皆、これ、本来の面目なり、長く生死を切断し
て、不退の浄刹(ふたいのじょうせつ:極楽浄土)に至らんこと、疑い有るべからず。
南無阿弥陀仏。」
と、回向しました。桂の前も、有り難や、有り難やと手を合わせ、念仏を唱えましたが、
また込み上げて来て、わっと泣き崩れました。蓮生は、
「むう、悲しみはようく分かりますが、最早、帰ることはありませんから、いつまでも
嘆いていてはいけません。愚僧は、諸国を巡る僧ではありますが、かかるご縁に巡り会
って、私が弔ったのも、前世からの因縁でありましょうから、行く末長く、菩提を
弔ってあげることにいたしましょう。あなたの生国、里、父の御名前を教えてください。」
と言いました。桂の前は、涙を払って、
「そうですか。名乗らないつもりでしたが、行く末長く回向していただけるとのことな
らば、大変有り難いことです。恥ずかしながら、私の生国は、武蔵の国。父の名は、
熊谷次郎直実と申す人ですが、どことも知れずに遁世され、私たちは、継母の企みに
よって、このような次第になってしまったのです。どうぞ、哀れんでください。御僧様。」
と、またさめざめと泣き崩れました。これを聞いて、はっと驚いた蓮生は、
「いや、こりゃ、なんということ。今の今まで、余所のことと思っていたのに、我が身
のことであったのか。後世を大事と思って遁世し、善根を思う身であるのに、子ども達
を、このような辛い目に合わせていたとは・・・」
と、絶句して、堰来る涙に嗚咽しました。せめて、父と名乗って、喜ばせてやろうかと
思いましたが、ここで名乗ったら、裾や袂に取り付いて、絶対離れぬと騒ぐに違いない。
またまた、悲しみを重ねさせることになってしまう。熊谷程の者が、ここで心がくじけ
てはならぬと、心を鬼にすると、普通を装って、
「おお、さては、直実の姫君であられますか。私も武蔵の国の者です。熊谷殿とも
面識がありますので、よそ事とも思えません。都で、聞いた話ですが、熊谷殿は、固く
発心なされて、今は、能登の国、岡部の六弥太忠純殿の所で、修業されていると聞きま
した。父上をお探しであれば、能登の国を尋ねたがよいでしょう。
さて、申すまでもありませんが、この土へ生を受ける者は、末の別れから逃れること
はできないのですから、只、願うべきなのは、菩提の道ですぞ。あなたの妹は、あなた
に、善知識を授けてくれたと思って、嘆くことはもうやめなさい。」
と、言うと、立ち上がり、さらばと踵を返しましたが、桂の前は、袂に縋り付いて、
「御僧様、有り難い御教化、ありがとうございます。しかしながら、御僧と別れること
は、父、直実と別れる時の悲しさよりも強いのはどうしてでしょう。」
と、口説き立てました。さすがに、心強い直実も、目が眩み、心も消え果て、涙が溢れ
て、止まりませんでしたが、
「定めがあれば、また、お会いしましょう。」
と言うと、足早に去って行きました。名乗らずに通る親と子の、心の内より、哀れなこ
とはありません。
僧と別れた桂の前は、まだ、思い切れずに、墓に縋り付いていましたが、ようやく、
「いかに、玉鶴よ。名残は惜しいけれども、姉は、叔父を頼って、これより能登の国
へ行きます。さらば、さらば。」
と、涙とともに、能登への道を辿り行くのでした。
誠に、哀れともなかなか申すばかりもなかりけれ
つづく
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