猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 38 古浄瑠璃 とうだいき③

2015年08月14日 15時00分56秒 | 忘れ去られた物語シリーズ
燈台鬼③

 一方、西上国で帰りを待つ御台様は、西上軍が全滅して、恋子が捕らえられたことも知らないまま、玉の様な男子をご出産なされました。父の名を取って、「恋坊」(れんぼう)と名付けました。御台様は、大変に喜んで、御乳や乳母を付けて、大事に養育なされたのでした。そうしている内に、あっという間に三年の月日が流れました。しかし、恋子からの連絡はありません。若君に、寂しさを紛らわして、夫の帰りを、ひたすら待ち続ける毎日です。更に月日は重なり、若君は十三歳となりました。ある時、若君は、
「母上様。人間には、皆、父と母が居て、お互いに子育てをしますが、どうして、私には母様しか居ないのですか。焼け野の雉も野飼の牛にも、父があります。どうか、私の父のことを、教えて下さい。母上様。」
と、母に尋ねて泣くのでした。御台様は、これを聞くと、涙を忍んで、こう話すのでした。
「人の持つべき宝で、子供以上に尊いものはありません。しかし、父の事を知りたがる程に成長したことは、かえって哀れな事です。もう長い間、行方不明の恋子の事を問う者もありませんでしたが、あなたの父という方は、天下に名を残す大将なのですよ。御敵退治のその為に、四十万騎を率いて南海国に向かわれました。御出陣の折、生まれてくる子供の為にと、阿弥陀仏を形見に残されました。父上を恋しく思うのならば、この無量寿仏を拝んで、南無阿弥陀仏と唱えなさい。父、母、一仏浄土の縁と祈るのなら、安養世界の浄土にて、父上様に必ず逢うことができるでしょう。」
恋坊は、これを聞き、
「さては、この仏様が、父上様の形見ですか。」
と、三度戴いて泣く外はありません。恋子は、涙の下から、こう言い出しました。
「私に、暇をください。」
驚いた御台様は、
「胎内で、父に別れて、父無し子となり、愛しい可愛いと育てて来たのに、その甲斐も無く、この母を捨てて、見たことも無い父を探しに行くというのですか。なんという儚い事でしょうか。もし、あなたの父が生きているという便りでもあるのなら、お前を行かせもしましょうが、四十万騎の誰一人帰らず、もう十三年もの長い間、なんの知らせもないのです。わざわざ、敵国に送り出すことなどできるはずもありません。母の言葉に背くのなら、あなたは、五逆罪に落ちますよ。その上、どうやって南海国まで行くつもりですか。」
と、泣きつきましたが、恋坊は、
「母上様の仰せは、ご尤もです。母上のお膝の上で育てられたとは言え、人間として生まれ、父の恩を知らないのでは、生まれて来た甲斐がありません。」
と、答えましたが、母は、
「もし、父が敵に捕らえらていたのならば、どうして、助け出すことができましょうか。諦めなさい。」
と、様々に止めようとするのでした。恋坊は、重ねて、
「母の仰せに背くつもりはありませんが、弓矢の家に生まれて、父の行方をも尋ねずに居るならば、それは、木石となんら異なりません。もし、父が道端で亡くなっていたのなら、父のご恩に報じ、又もし、父に逢うことが出来たなら、母上様にご対面させて、生きてご恩返しを致します。お願いですから、お暇を下さい。」
と、強く願うのでした。兎にも角にも、恋坊親子の心の内は、何にも喩えようがありません。
つづく

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