猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 22 説経天智天皇 ③

2013年06月10日 13時00分53秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

天智天皇③

 さて、粟津が原(滋賀県大津市)の辺りに、金岡丸重光という、絵師が住んでおりました。

一年前、宮中における美人揃えの絵合わせの時、逆目の皇子に脅されて、嘘の絵を描いた為、

盲となり、絵筆はもう捨てていました。今は、人の情けに縋り、夫婦諸共に、失意の内に暮らし

ておりましたが、無念の思いは消えず、毎日、粟津権現(大津市中庄)に通い、こう念じて

いるのでした。

「どうか、もう一度目が見えるようになり、舅の敵、逆目の皇子を討たせて下さい。」

 今日も、権現に参拝しようとした重光は、何か胸騒ぎを感じて、女房にこう言いました。

「今日も権現様に行ってくるが、なんとなくいつもより、心細く感じて名残が惜しい。門出

を祝う盃をくれ。」

女房は、言われるままに、銚子盃を出すと、盃を交わして、

「無事に参拝なされて、早くお帰り下さい。」

と、門外に送り出すのでした。重光は、竹の杖を頼りに、粟津権現へと向かいました。いつ

もの様に、祈誓を掛け、帰り道となりましたが、粟津が原に差し掛かった時には、もう日暮

れて黄昏時となってしまいました。鬱蒼とした森陰を歩いていると、土手の上の木の間から、

しわがれた声が聞こえて来ます。

「これこれ、そこを行く人に、話がある。」

重光は、不思議に思って、声のする方へ近付きました。重光は、

「このような、荒れ果てた野原で、私を呼ぶ声がするとは、おかしな事。この森に住む野干

の仕業か。盲人だからといって侮って、怪我するなよ。」

と、大声を上げました。重光には、見えませんでしたが、そこにあったのは、金輪の五郎の

獄門首だったのです。五郎の首は目を開いて、

「おお、ご不審はご尤も。私は、左大臣の後見で、金輪の五郎と言う者です。私は、逆目の

皇子の手に掛かって非業の死を遂げて、ここに晒し首となっております。その無念の思い

が骨髄に貫通し、魂魄は、この頭に懲り固まって、怒りに燃え盛っておるのです。そこで、

声を掛けたのは、あなたにお願いがあるからです。どうか頼まれてはくれませんか。」

と、言うのです。金岡は暫く考え込んでいましたが、やがて、からからと打ち笑って、

「さてさて、いよいよ、狐が狸に間違いなし。そもそも、獄門の晒し首が、これまで物を

言った例しはないぞ。悪ふざけをして、怪我するな。」

と言い捨てて、行こうとすると、金輪の首は、尚も声を上げて、

「これこれ、暫くお待ち下さい。恨みの一念が宿っているのです。まったく虎狼野干の類い

ではありません。あなたは、絵の名人ですよね。一念を込めて描いた龍が、水を撒く様に、

一念の宿った晒し首が、物を言わないはずがないでしょう。」

と、言うのでした。重光は、尤もと思い直して、振り返り、

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