猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん⑥終

2011年10月30日 11時58分21秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん⑥

 祇園精舎に立ち帰った智賢上人と弟子達は、王子をいたわり、養育されましたが、王子の成長は、誠に宵に生えた「たかんな」(竹の子)のように、夜中の露に育まれて一晩で一尺も伸るようなものでした。学問をすれば、一を聞いて十を知り、経論の奥義を極め、一年に三千の観法を身に付け、八万諸小経(阿弥陀経)を皆読み尽くし

たちまち並み居る弟子を追い抜かし、生知安行(せいちあんこう)の碩学と誉め讃えられました。

 ところが、ある夜の夢に、母ごすいでんが現れて、昔から今に至る全てをお話になってからというもの、母の姿が脳裏から消えず、食事もせずに寝込んでしまいました。心配した上人が、尋ねると、王子は、

「はい、母上を夢に見てより、お懐かしさが忘れられません。我が母とはどのような方だったのですか。」

と、泣きつきました。上人も涙ながらに、母ごすいでんと山中で生き延びた王子の顛末を事細かに語りますと、

「上人様のお話と夢のお告げは、まったく同じです。それに、夢で母上は、御首を入れた器物が御殿の下に埋められているので、供養してくれと言っていました。一刻も早く、大王に見参して、この事を奏聞して、母上の御髪(おぐし)を救い出したいと思います。」

と、跳ね起きるところを、上人がまあまあとなだめていると、ちょうどその時、御門よりの勅使がやってきました。

「さても、当年はごすいでんの十三年に当たるので、その法要のため、寺を建て堂塔を建立するに当たり、結縁(けちえん)のため、供養の導師は智賢上人なるべしとの勅諚なり、急ぎ参内仕れ。」

という大王の命令でした。これは、渡りに舟と、早速に用意をすると、王子を連れてごすいでん指して出発しました。王子が喜び、元気を取り戻したのは言うまでもありません。

 ごすいでんに到着すると、既に大王も御幸あって、多くの公卿、殿上人、が弔問に参列していました。さて、智賢上人が高座に上がると、開闢の鉦がなり、いよいよ説法が始まりました。

 「それ、つらつらとおもんみるに

  仏一代の説法は、

  華厳、阿言、方等、般若、法華、涅槃

  まず、華厳経は、十万浄土の相を顕し、三界唯一の神を説き

  阿言は、小乗の法、故に三蔵の実りを説き

  終わり八年に、法華経を説法し、取り分け、女人成仏は

  五の巻、提婆達多品(だいばだったぼん)に至極せり

  女は、

  一に梵天王の位に至ること叶わず

  二には帝釈天

  三には魔王

  四には天輪聖王(てんりんじょうおう)

  五には仏身を得ることあたわず

  しかれども、

  法華経の一句一偈なりとも読誦すれば 

  即身成仏疑いなし

  さてまた、阿弥陀経三十五の巻きに曰く

  十方仏土の中に女あり

  我が名号を聴聞し

  阿弥陀仏と唱えるならば

  必ず女子を男子に転じて

  九山蓮華の上に座せしめ

  仏の大恵に入りしめん

  されば、阿弥陀の三文字を

  阿難は、釈して曰く

  「阿」は則ち「空」なり

  「弥」は則ち「假」なり

  「陀」は則ち「中」なり

  諸々の法門は、皆ことごとく

  阿弥陀の三字に接するなり」

 と、高らかにご回向なされると、有り難い説法に、大王はじめ、臣下大臣、一度に随喜して感激の涙を流しました。小久見の中将が、上人の労をねぎらい、布施の望みを尋ねますと、智賢上人は、

「それがしは出家の身なれば、何の望みもありませんが、ここに控えます稚児に望みがありますので、聞き届けていただければ幸いです。」

と答えました。大王より、なんでもかなえるとの宣旨がありましたので、王子は、いきなり、

「ごすいでんの御髪を、一目拝み申したく候」

と答えました。農美の大臣は、困って

「いや、これは叶わぬ望み、ごすいでんは、十三年以前より、行方知れず。外の事を望まれよ。」

と、言いましたが、王子は引き下がらずに、

「いえ、ごすいでんの一生涯、とりわけ御髪のありかについては、それがしがよっく存じてあり、一目見せて給われや」

と声を荒げました。大臣が困っていると、智賢上人が進み出て、これまでのすべてのことを語り出しました。

 「申し上げます。この稚児こそ、大王の御太子でございます。さて、ごすいでん様がご懐妊された時、九百九十九人の后達は、深く妬み、密かに兵に命令して、稚児山の麓に連れ出して、首をはねました。しかし、お亡くなりになる前に、不思議にも王子をお産みになりました。捨て置かれた太子は、神仏のご加護にて、虎狼野干に守られて七歳まで育てられましたが、ある日、仏の霊夢があり、太子の事を知りました。そこで、かの山に分け入り、太子を捜し出し、これまで祇園精舎において養育して参りましたが、この度、太子の夢に、ごすいでん様が現れて、お首がこの御殿の下に埋められているので、供養するようにとのお告げがありました。」

 大王は、これを聞くより、思わず御簾を飛び出し、太子に抱きつくと、これはこれはと涙を流し、居並ぶ殿上人達も、はっと頭を垂れました。真実を知った大王の嘆きと無念はひとしおでしたが、ようやく我に返ると、太子を抱いて御簾に戻り、

「ごすいでんの御髪を尋ねよ。」

とご宣旨がありました。

 御殿の下を掘り返してみると、お告げの通り器物がみつかり、やがて御前に差し上げられました。太子が、蓋を取りますと、その首は、まるでまだ生きているように色も変わらず、やや恨めしげなごすいでんの顔でした。

「母上様あ」

と、太子は御髪を抱きしめて、

「后達の讒言(ざんげん)で、罪も無き母上がこのようになったのも、すべて恨めしいのは、大王様」

と、声を上げて泣き叫びました。大王も、ごすいでんの御髪に向かって、無念の涙の流し、

「さぞや、最期のその時は、麻呂を恨んだことであろうが、夢にも知らないことであった。許せよ、ごすいでん。ここに、太子が戻ったことが、せめて嘆きの中の喜びぞ。」

と、親子三人涙のご対面をされましたが、やがて、大王は、九百九十九人の后達を、御前に引き据えると、憤りをあらわにして、

「恨めしき后どもめ、ごすいでんの供養に、ひとりひとり首を切れ。」

とありましたが、さすが生知安行の太子です。大王を押しとどめて、

「九百九十九人の首を落としても、母上は蘇りません。今日の母の供養であれば、九百九十九人の命を助けるのが仏法。」

と、助命を嘆願しました。

 さて、その後、マガタ国王の位は、太子に譲られ、大王は、法王となられました

が、このような、悲しい思い出が残る浅ましい国にいつまでいても、また、同じようなことが起こるかもしれない。どこか、めでたい国を探して、衆生済度のためにこの身を献げようと発心されました。

 法王は、飛車(ひしゃ)という千里を駆ける車を造らせると、大王太子、ごすいでんの首、智賢上人、近習を乗せて、東を指して飛び立ちました。命を許された九百九十九人の后達も、その後を追いましたが、梵天・帝釈天が現れて立ちはだかり、大岩を投げつけたので、木っ端微塵になってしまいました。しかし、その時紫雲がたなびき、その微塵は蟻という虫になったということです。

 さて、法王の飛車は、やがて日本にまでやって来て、紀伊の国は音無川の上流に着きました。この土地が良いと考え、法王はゆや権現(熊野権現)となり、ごすいでんは結ぶの宮(熊野速玉大社)、大王太子は若一王子、智賢上人は証誠大菩薩(しょうじょうだいぼさつ)、一万の大臣、十万の殿上人はそれぞれ末社となり、衆生済度を行いました。これこそ、熊野権現の由来なりと、貴賤上下を問わず、感ぜぬ者はありません。

おわり

うろこ形や孫兵衛新版(寛永年間)より


忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ⑤

2011年10月30日 11時56分32秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その5

 ごすいでんの首が、内裏に届けられると、九百九十九人の后達は、我も我もと首実検をし、ようやく、精々したと喜び合って大騒ぎです。蓮華夫人は、武士達に恩賞を授けると、

「この首を、ごすいでんの下に埋めてしまいなさい。」

と命じました。

 さて、生まれたばかりの王子は、哀れにも、人も通わぬ山中に捨て置かれたままでしたが、観世音菩薩のご加護が現れ、ごすいでんの死骸は、少しも腐りませんでした。それどころか、乳房より、溢れんばかりに乳が出たので、王子は、死骸に抱きつき、その乳を吸いながら、生き延びていました。さらに、山中の虎狼狐狸たちは、王子を餌食にするかと思いきや、反対にかしずき、王子を守り、木の実を運び、水を汲み、明け暮れ世話をしたので、虎の岩屋ですくすくと成長し、早や、七年の時が過ぎました。

 その頃、シャエ国の祇園精舎の聖、智賢上人(ちけんしょうにん)は、ある夜、不思議な夢を見た話を弟子達にしました。

「今宵、不思議の夢を見る。これより南の稚児山のあたりを歩いていると、幼い子供が狐たちの中に交じって、けらけらと楽しそうに遊んでおった。すると一人の老人が現れ、子細を問うと、こう言った。

『これこそ、中天竺、マガタ国の主、千ざい王の太子なり。ごすいでんと申す后の孕み給うを、九百九十九人の后達が深く妬み、この山で害したが、臨終以前に、この太子を産み置き、今は、虎狼野干に育てられ、既に七年が経った。御僧、ごすいでんの菩提を弔え。我はこの山の主なり』

と言い捨て、そのまま虚空に飛び去った。」

 智賢上人と弟子達は、急いで稚児山を目指すことになりました。麓にやってきますと、あちらこちらを探し回り、ようやく虎狼野干と戯れる子供を見つけ出しました。しかし、王子は、これまで、人というものを見たことがないので、人の一群を恐れて逃げ回り、なかなか近づけませんでしたが、智賢上人が前に出て、

「けっして怪しい者ではない、仏のお告げにより、遙々お迎えに上がった者。野干どもも恐れることはないぞよ。」

と言うと、不思議にも王子は、これまで人間の言葉を聞いたこともないはずなのに、上人の言葉を聞き留めて、やがて、野干とともにしずしずと、上人の前に来て座りました。

上人は、これは、ただびとではないと思いながら、王子を抱き上げると

「これは、さてさて、王子様、浅ましい有様じゃ。例えば、鳥の翼が落ち、魚が水を離れ、舟が波間に漂うように年月を送り、七歳まで成長なされるとは、不思議ながらもいたわしい限り。」

と、涙を流しておりましたが、やがて、弟子達に王子を抱かせると立ち上がり、回りに集まった山中の虎狼狐狸に向かって、

「いかに、なんじら、畜生とはいえ、太子を養育いたせし志、あっぱれ。今よりは、この聖が預かり、育てるので安心いたせよ。」

というと、一向は出発しましたが、野干たちは、尾を振り振り、いつまでも付いて来て、王子との別れを惜しみました。上人はこれを見て、

「やれ、なんじらが、志の切なるは良く分かったが、王子がこれより、世に立つことを喜びとして、最早、帰れ。」

というと、野干たちは、地にひれ伏して、畜生ながらも涙を流し、振り返り振り返りして、やがて山へと帰っていきました。稚児山の虎狼狐狸野干の優しさを誉めない者はありませんでした。

づづく


忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ④

2011年10月30日 11時50分07秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その4

 稚児山の麓に連れて来られたごすいでんは、静かに、敷き皮に座り直すと、肌の守りの観世音菩薩を取り出しました。岩の上に安置されると、懐から御経を取り出して、観音経を美しくも高らかに読誦されました。

 「私の身はこのようになりましたが、胎内に宿る王子が人と成るまで、守ってください。」

と、祈念して、ご本尊を守り袋に納めると、首に掛けて

「さあ、武士(もののふ)ども、早くやりなさい。」

と、合掌して目を閉じました。さすがの武士たちも、涙に暮れていましたが、時刻が移ればいよいよ仕方なく、剣を抜いて、ごすいでんの後ろに回り、

「今こそ最期、お念仏申されよ。」

と、えいとばかりに、剣を振り上げると、なんと不思議なことに、御剣は、バラバラと砕け散って、折れ落ちてしまいました。

 驚く武士はへたへたと腰を抜かし、かっと目を開いたごすいでんは、

「南無観世音、私の胎内には、十全(じゅうぜん)の君を宿らせているので、王子が誕生しない内は、賤しき武士の剣で、切ろうが、突こうが、その甲斐が無いのも当然のことです。おまえ達も私も、過去の業因はつたなく、善悪の区別はありますが、上下の差別無く、皆これ仏体であるのです。さあ、人間の出生する初めを、詳しく聞かせますから、よく聞きなさい。母の胎内に宿る初めの月は、不動菩薩、ひとつの幼いが力を重ねると書き、そのため、その形は独古(どっこ)のような形です。二ヶ月目は、如意宝珠(にょいほうじゅ)則ち釈迦如来であり、錫杖の形となります。三ヶ月目は文殊菩薩、三鈷(さんこ)の形となり、四ヶ月目は普賢菩薩、頭と左右の手足が出て来ます。五ヶ月目は地蔵菩薩、六根が全て備わり、六ヶ月目は弥勒菩薩、五輪五体が整い、七ヶ月目は薬師如来、母の胎内を浄瑠璃世界と言い、八ヶ月目は観世音菩薩、十五夜の月のごとく、平等に光りを照らし、九ヶ月目は勢至菩薩、人はこれを、丸が力に生まれると書き,十ヶ月目は阿弥陀如来。仏の慈悲とは、こういうものです。私の胎内は、今八月ですから、観世音菩薩の身体です。そしてまた、マガタ王の太子ですから、これほどの奇特が現れたのです。王子が誕生なさるまで、静かに待っていなさい。」

 兵達は、恐れ入って、ひれ伏しておりましたが、

「あら、有り難い霊験。この上は、一度、都へ戻り、大王様に奏聞いたしましょう。」

と、帰京を勧めました。しかし、ごすいでんは、

「いや、何の面目もなく、都へ帰ることはできません。この事を奏聞したら、残る九百九十九人の后達は、罪を問われて命を失うでしょう。私一人が生きて、九百九十九人の命を奪うことは望みません。私はもう、思い定めました。」

と、一命を献じて、九百九十九の命を助ける発心した途端に、おぎゃあとばかりに、赤子が飛び出しました。まったく驚く外ありません。

 武士達は、慌てて谷に下り、水を汲み、産湯を遣い、抱き上げてみると、千ざい王にそっくりな玉のようなる王子です。ごすいでんは、王子をうやうやしく抱き上げると

「はかなや、この太子を捨ておいて、死なねばならないとは、せめて生まれぬ前に死ぬならば、これほどに思いはつのらないだろうに。ほんとは、錦の布団に包まれるべきなのに、つたなき腹に宿ったばっかりに、どことも知らぬこんな山奥で生まれるとは、みなしごを伏せ置く山の麓の嵐や木枯らしも心して吹けよ。返す返すも、口惜しい。どうか、生き延びて、いつか大王に会い、私に供養をしてください。」

と、肌の守りを、涙ながらに太子の首にしっかりと掛けました。

「南無観世音菩薩、お願いです。王子の行く末を安穏に守ってください。」

と、ひっしと王子抱きしめ、万感の別れを済ませると、涙を払って敷き皮に座り直し、西を向き、

「最早、これまでなり、南無極楽教主の弥陀仏すぐに引摂(いんじょう)し給え、南無阿弥陀仏。」

高らかに十回唱え、左の手で、王子を抱いて乳房を含ませ、右の手で岩角をしっかりとつかみました。

 武士達は、いよいよと、意を決してごすいでんの後ろに回ると、ばっさりと、太刀を振り下ろしました。ごすいでんの首は、あへなく前に落ちました。武士達が、ふるえる手で、ごすいでんの首を器物に押し込めると、首の無い死骸から声がしました。

「みなしごの 住める深山の たつた姫 荒雲秋の 木の葉散らすな」

 驚いた武士達は、恐ろしくなって、王子もそのままに、ごすいでんの首を抱えて、一目散に都に逃げかえりました。

 ごすいでんの最期、哀れともなかなか、感ぜぬ者もありません。

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つづく