猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 2 説経熊野之御本地 ごすいでん ⑤

2011年10月30日 11時56分32秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

ごすいでん その5

 ごすいでんの首が、内裏に届けられると、九百九十九人の后達は、我も我もと首実検をし、ようやく、精々したと喜び合って大騒ぎです。蓮華夫人は、武士達に恩賞を授けると、

「この首を、ごすいでんの下に埋めてしまいなさい。」

と命じました。

 さて、生まれたばかりの王子は、哀れにも、人も通わぬ山中に捨て置かれたままでしたが、観世音菩薩のご加護が現れ、ごすいでんの死骸は、少しも腐りませんでした。それどころか、乳房より、溢れんばかりに乳が出たので、王子は、死骸に抱きつき、その乳を吸いながら、生き延びていました。さらに、山中の虎狼狐狸たちは、王子を餌食にするかと思いきや、反対にかしずき、王子を守り、木の実を運び、水を汲み、明け暮れ世話をしたので、虎の岩屋ですくすくと成長し、早や、七年の時が過ぎました。

 その頃、シャエ国の祇園精舎の聖、智賢上人(ちけんしょうにん)は、ある夜、不思議な夢を見た話を弟子達にしました。

「今宵、不思議の夢を見る。これより南の稚児山のあたりを歩いていると、幼い子供が狐たちの中に交じって、けらけらと楽しそうに遊んでおった。すると一人の老人が現れ、子細を問うと、こう言った。

『これこそ、中天竺、マガタ国の主、千ざい王の太子なり。ごすいでんと申す后の孕み給うを、九百九十九人の后達が深く妬み、この山で害したが、臨終以前に、この太子を産み置き、今は、虎狼野干に育てられ、既に七年が経った。御僧、ごすいでんの菩提を弔え。我はこの山の主なり』

と言い捨て、そのまま虚空に飛び去った。」

 智賢上人と弟子達は、急いで稚児山を目指すことになりました。麓にやってきますと、あちらこちらを探し回り、ようやく虎狼野干と戯れる子供を見つけ出しました。しかし、王子は、これまで、人というものを見たことがないので、人の一群を恐れて逃げ回り、なかなか近づけませんでしたが、智賢上人が前に出て、

「けっして怪しい者ではない、仏のお告げにより、遙々お迎えに上がった者。野干どもも恐れることはないぞよ。」

と言うと、不思議にも王子は、これまで人間の言葉を聞いたこともないはずなのに、上人の言葉を聞き留めて、やがて、野干とともにしずしずと、上人の前に来て座りました。

上人は、これは、ただびとではないと思いながら、王子を抱き上げると

「これは、さてさて、王子様、浅ましい有様じゃ。例えば、鳥の翼が落ち、魚が水を離れ、舟が波間に漂うように年月を送り、七歳まで成長なされるとは、不思議ながらもいたわしい限り。」

と、涙を流しておりましたが、やがて、弟子達に王子を抱かせると立ち上がり、回りに集まった山中の虎狼狐狸に向かって、

「いかに、なんじら、畜生とはいえ、太子を養育いたせし志、あっぱれ。今よりは、この聖が預かり、育てるので安心いたせよ。」

というと、一向は出発しましたが、野干たちは、尾を振り振り、いつまでも付いて来て、王子との別れを惜しみました。上人はこれを見て、

「やれ、なんじらが、志の切なるは良く分かったが、王子がこれより、世に立つことを喜びとして、最早、帰れ。」

というと、野干たちは、地にひれ伏して、畜生ながらも涙を流し、振り返り振り返りして、やがて山へと帰っていきました。稚児山の虎狼狐狸野干の優しさを誉めない者はありませんでした。

づづく


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