猿八座 渡部八太夫

古説経・古浄瑠璃の世界

忘れ去られた物語たち 1 説経阿弥陀胸割③

2011年10月21日 23時27分40秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

あみだのむねわり その3

 大萬長者の館に着いた兄弟が案内を乞うと、館の人々は、身なりはみすぼらしいが、なにやら世の常の人ではないように感じられ、丁寧に招き入れ、三日の間、さまざまのご馳走でもてなしました。人々が、ほんとに身を売るつもりなのかどうかを確かめると天寿は、

「もちろんです。これまで遙々と尋ねてきたのも、我が身を売るためです。しかし、このことは、弟には秘密にしてください。私だけお買いください。」

と答えました。大萬長者は、これを聞いて、陰陽師を呼んで天寿の年を占わせました。すると、天寿は、ぴたりと、辰の年辰の月辰の日の辰の一点に生まれた姫であることが分かりました。

 長者は、これまで三世の諸仏を信心して祈誓を怠らなかったから、三宝仏陀も哀れと思し召して薬の姫をお与え下されたと喜びますが、御台は、父母が存命であれば、何不自由無く暮らしていたであろうに、このように流浪の身となり、それだけでもいたわしいのに、その上我が身を売って親の菩提を弔うために、遙々ここまで来るとは尋常なことではないと涙を流します。

「我が子、松若が不憫とはいえ、押さえて生き肝を取るなどということはできません。真に発心して命を捧げるというのなら是非もありませんが、命を惜しく思うならば、早くどこへでも行きなさい。」

天寿は言葉もなく泣き崩れていましたが、やがて顔を上げてこう言いました。

「みなさん、聞いてください。私が嘆くのは、命が惜しいからではありません。あそこにいる弟をご覧下さい。親と離れてより、あの弟は、私を父とも母とも頼み、山に登れば後に付き、里へ下れば先に立ち過ごしてきましたが、私が死んだ後、誰が弟を哀れみ如何なる人を姉と頼むのでしょう。心残りは、唯あの弟のことだけです。」

この言葉を聞いて、大萬長者を初め御台も館の人々も、皆感涙を禁じ得ませんでした。

大萬長者が、涙を流しながら、

「もし、真に発心されるなら、あの弟は養子とし松若の弟とし、我が宝の半分を譲ろう。その気があるのなら、今ここで、親子兄弟の契約を交わそう。」と言えば、天寿は、こう答えました。

「うれしゅうございます。最早、浮き世に思い置くことはありません。それでは、私の望みを申します。父母の供養の為に三間四方の光堂を建て、黄金阿弥陀を三体、三尺五寸に鋳造して、仏壇に安じ、尊き法師によって二十一日間の別時念仏(べちじねんぶつ)法要を行ってください。別時が過ぎた暁には、難なく生き肝を献じます。」

 

 それは、たやすい事と、長者は直ちに光堂を建立し、別時念仏の法要を行いました。やがて別時が過ぎると、本堂のほのかな灯明の光の中で、兄弟二人、親の位牌に向い焼香礼拝し、安らかに念仏を唱えていましたが、ていれいは、姉の顔をきっと見上げると、

「姉ご様、私は、故郷で身を売ろうと申しましたが、買う人も無く、この長者に来てからも、私は身を売ろうとは申しておりませんが、どうしてこのように親の菩提を供養できたのですか。もしかしたら、私に隠して、身を売ったのですか。どうして、私も売ってくださらなかったのですか。」

と詰め寄った。

 天寿は、自分が身を売って、今夜の暁には、生き肝を取られると言うのなら、驚いて大騒ぎをするだろうから、少しの間でもなんとか隠し通そうと思い、

「いやいや、ていれいや、身を売ったのではない。あの大萬長者の子息松若は、三病人であるので、お嫁に来る者もいない。私は、今は流浪の身ではあるが、元々長者の娘でもあり、あのような方の御台には丁度よいと言われるので、親の菩提を供養していただけるのなら御台になりましょうと約束したのです。おまえは、これより髪を剃り、出家をして、この寺で長く父母の菩提を供養するのです。」

これを聞いて、安心したていれいは、姉の膝を枕として、すやすやと眠ります。

 弟の後れ髪を掻き撫でながら、天寿は溢れる涙を止めることもできず、最後の別れをします。

「深き恨みと思うなよ。父母故にかくなり果てたのだから、命は惜しくない。皆、人の親子兄弟は、八十九十まで共にあっても、別れの想いは同じ事。この世の機縁は薄くても、来世では、必ずひとつの蓮(はちす)蓮台(れんだい)に長き契りは疑いもない。

さてさて、この黒髪を明日からは、だれが結ってくれるのだろうか。」

天寿は、また弟に打ち掛かって、涙を噛んで嗚咽を堪え、やがて、夜は白々と明けたのでした。

  つづく 


忘れ去られた物語たち 1 説経阿弥陀胸割②

2011年10月21日 21時30分22秒 | 忘れ去られた物語シリーズ

あみだのむねわり その2

 

 天寿、ていれい、兄弟は、お釈迦様のお慈悲により命を助けられましたが、親を失い、七つの宝も無く、頼む者も無いままに、流浪の身となってしまいました。姉は弟の手を引き、弟は姉にすがりつつ、諸袖乞い(もろそでこい:乞食)になり果てた姿は、誠に哀れという外はありません。

 その上、里の人々は、兄弟の姿を見ると、「あの慳貪長者の子ども達だ、忌々しい。」と助ける者も居なかったので、兄弟は、野原の根芹(ねぜり)を摘み、畑の落ち穂を拾い、河原に寝起きし、あちらこちらを彷徨い歩き、露の命を繋いでおりましたが、ある日、弟のていれいは、姉に向かってこう言いました。

「姉様、早、父母の一周忌の命日。生きていても甲斐もありません。この身を売って、父母の菩提を供養いたしましょう。」

二人は、あっちの里、こっちの里を回り、

「我が身売らん。」

「我が身召せ。」

と、呼ばわりますが買ってくれる人はいません。ビシャリ国内では叶わないと、南隣の「ハラナイ国」「アララ村」まで行き、声を涸らして呼ばわりますが、とうとう、買ってくれる人はありませんでした。

 疲れ切った兄弟は、アララ村の阿弥陀堂を一夜の宿としました。兄弟は、清い滝でみを清めると、本尊の前に参り

「南無西方極楽教主の阿弥陀如来、我々兄弟の福徳を願えばこそ、この命を与えてくれたのではないのですか。父母の供養のために身を売ろうと思っても、買ってくれる人すらおりません。どんな人でもいいですから、この身が買われるようにお願いいたします。」

と、深く祈念して泪ながらに一首に歌を詠みました。

「朝顔の いつしか花は散り果てて 葉に消え残る露ぞもの憂き」

 やがて兄弟は、泣き疲れて、眠りに落ちました。すると、その夢に阿弥陀如来が現れ、ビシャリ国の北隣の山中、「おきの郷ゆめの庄」というところに、大萬長者という長者が居るので、そこを尋ねて、身を売りなさいと告げます。

 はっと目覚めた兄弟は、さっそく御堂を出ると、おきの郷ゆめの庄を目指して歩き始めました。野を越え川越え、七日の後に兄弟は、ようやく大萬長者の館に辿り付きました。

 さて、大萬長者という人は、四方に四万の蔵を建て、何一つ不自由なく暮らしていましたが、ひとつだけ、どうにもならない苦労がありました。大萬長者の一子「松若」が、七歳の年から不治の病となり、いろいろと手を尽くして看病をしても治らず、既に5年の時が空しく経ったのでした。長者は、最後の頼みと、陰陽師に頼み、占ったところ、若の病は、「三病」(癩病)であり、薬も祈祷も効き目がありませんが、ひとつだけ、薬があると言います。

「この若君は、壬辰(みずのえたつ)の年の辰の月、辰の日に辰の一点に生まれた若

であるので、同じ辰の年辰の月辰の日に生まれた姫を値を値切らずに買い取って、その生き肝を取り、延命酒で七十五度洗い清めてから与えれば、たちまち病は平癒するであろう。」

 天寿、ていれい兄弟がこの里を尋ねようとする頃、長者は、辰の年辰の月辰の日に生まれた姫を買い取るという高札を、辻々に立てました。すると、近国他国より、大勢の姫が押しかけましたが、年が合っても月が合わず、月があっても日が合わず、日が合っても時があわず、ついに薬の姫は見つかりませんでした。そんなこととも知らずに、天寿、ていれいの兄弟は、みすぼらしい姿で、ようやく大萬長者の館に辿り着いたのでした。

 つづく