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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

熊本地震・大分地震で募金を騙った詐欺が横行、いい加減にシステム化した方が良くない?

2016-04-22 18:00:50 | ニュース
震災が発生して善意による募金活動があちこち活発になるが、詐欺もそれにつれて多くなる。詐欺を働く人間の卑劣さは別の問題として、今回は募金を集めるシステムを検証してみたい。

1 募金を受ける側は1つにしてコントロールし、全体の受払を明確にすると同時に必要な額を適正に配分する。東北大震災でも指摘されたことだが、集まった募金がどのように使われているのかがいまいち不明である。募金をした側では善意の行動であるから正しく使われていると信じたいが、実際に詐欺行為で逮捕されている人間もいるから、全部が全部被災者に届いてるとは言い難い。そもそもちゃんと被災地に行っているかもわからない街角の募金など、曖昧といえばこれほど曖昧なものは無い。募金は一箇所に集めて、入ってから出るまでを完全データベース化すべきである。あちこちでやれば当然偏りが多く出て非効率でもある。

2 募金を集める側は、これも1つにして公的機関が行う。個人が被災することと地域のインフラ(電気・上下水道・食料・電話・交通機関・その他の生活に必要な物)の復旧を分けて考え、インフラは国家が費用を税金でまかない、個人の被害を募金で補うというのが趣旨である。個人の家の修理代金を税金から払うというのは平等の原則から言って難しいので、困った時はお互い様の助け合いである。個人的に援助する人は別として被災者全体に応援したいというのを募金とすれば、全国各地の市町村で「募金課」を作りそこで集めてまとめて振り込むのが良い。訳のわからない団体が募金活動と称して不特定多数からお金を集める行為から人の良い善良な市民を守るためには、募金は「市町村の募金課へ」というふうに固定することが一番いい方法である。そのかわり、駅や道路で集める募金活動は「禁止する」。こう言うと「善意で行う活動なのに何故禁止するのか」と怒る人が出てくるが、そもそも「善意の募金活動だと誰が証明するのか」はっきり答えられるだろうか。詐欺は「善意の活動だから良い人に決まっている」という思い込みを狙って起こす犯罪である。我々はもっとリアリストにならなければ、いつまでたっても犯罪はなくならない。市役所の募金課へ行って募金し受取り証をもらうなら、詐欺の入り込む余地は無いのである。募金という善意の行為と、お金を被災者に送る経済行為は「別のこと」と知らなければならない。

3 募金は「募金名・金額・日付・場所・担当者番号・募金連番」を印字した受取り証を交付する。銀行口座から振り込む場合は募金専用口座を設けておき、同様の送金控えをだす。コンビニで行う「募金箱に入れる」だけの募金集めは「その後の処理が不明瞭だから禁止」する。こうすると小銭やお釣りを気軽に募金できなくなるので募金活動にマイナスだという人がいるが、そもそも小銭を「気軽に」箱に入れて募金したからいい気持ちである、というのは「余りにも呑気」じゃないだろうか。被災者は死ぬ思いからやっと助かってこれからどうしようかと茫然自失しているかも知れないのだ。それなのに五円十円の小銭を気軽に箱に入れて「何かの役に立てば」みたいな安易な善意は、お手軽すぎると思う。募金は善意の行為であるならなおさら「ちゃんと市町村の募金課に行って」、それだけの時間と手間をかけて募金してほしいと私は言いたい。(勿論五円十円がなけなしのお金の人もいるから金額をどうこう言うわけではないが、生活保護を受けているような人が募金をすることは、そこまでしなくても気持ちだけで有難いのじゃ無いかとは思う)。とにかくテレビで電話募金などもアナウンスしているが、募金はあくまで「送金という、ちゃんとした経済行為」である。神社仏閣の御賽銭箱に投げ込むのとは違う。それなりの社会活動であることを認識して行おう。

4 自分の受取り証に書いてある募金連番をインターネットで照会すると、募金総額・送金先・使途・そして感謝のメッセージなどが見られるというのはどうだろう。実際には、募金した後どうなっているか全くわからないのが通常だが、ここにまた詐欺行為のつけ込む要素がある。インフラ整備は国の税金から使うから、募金は個人の失われた財産の補填に使われる。そこをはっきりと集計して発表してくれれば、募金だってもっと集まるはずである。

5 募金とは別に被災地の物産を買って応援したい向けもあろうと思う。熊本が起きたから東北はもう忘れたではかわいそうだ。災害にあった県の産物は何でもいいから買うというのではなく、永続的なしっかりした魅力があって他の県から見ても優秀なものを選びたい。それが結局は長続きすることにつながるのだ。個人的に関係のある人や家族親戚は勿論だが、募金という方法以外に実は「ちゃんとした経済活動の中に被災地を含める」ことが復興の第一なのである。復興支援とは「正しい社会の輪の中に戻す」ことである。正しい社会の輪とは、楽しい社会である。観光もあればコンサートや飲食や会合もあるゴク普通の社会である。普通のことが普通にできる社会になるべく早く戻ること、これが復興支援であるから「商売をする」のが一番の薬である。仕事がなければ復興などありえない。そこで復興だからと言って何でもいいではなく、こういう時だからこそ「永続的な地域の特産や名物」に集中し特性を出していきたい。東北大震災では、まだ復旧と復興のバランスがうまくいってない気がする。復興へのロードマップをきちんと示して粛々と進めるという無駄なく効率的な復興支援システムが、そろそろ出来てもいい頃である。

6 日本は災害大国である。今回の地震のような被害は毎年のように起きる災害のひとつである。政府は何時ものように「◯◯会議とか◯◯復興支援会議とか◯◯対策本部とか」お決まりの報道向けの発表でお茶を濁すのはもうやめたらどうなのか。日常的に災害が起きていて今後も活発になると予想されているかのだから、災害対策省を作って「予算と人員と復興支援のノウハウ及び発生の予測と予防、募金の管理と被災者支援・ケア」を一括して行う機関である。この省には「政治のお偉いさんは不要、テキパキ指示できる実務家が」トップになって、政治と関係なく災害対策に特化した活動を行ってほしい。必ず利権がらみの人間がウヨウヨやってくるから、クリーンな人間は絶対必要である。それを見分ける方法は、「自分が率先して働くかどうか」で見極めること。利権を貪る連中は額に汗して働く気など毛頭無いから、実際に手を動かし体を使って復旧活動をするか、で明確にわかるのだ。

とにかく「災害はもう日常的にある」と思って間違いないのだから、日本全体が災害と共存して行く気持ちで未来を考えなければやっていけない時代である。だから募金も日常的に行いたい。普通の生活から天災によって脱落した人々が、また普通の生活・皆んなと同じ側に戻ってくる手助けをすることを日常的に行う事である。日本人は他人の不幸に感情移入して同じように苦しみを分かち合う癖があるが一時的である。人の噂も75日と言うのは日本の諺である。同じ気持ちになって苦しむ事は、むしろ逆効果で無意味なのだ。冷静でシステマチックな行動こそが必要である。

この程度の大災害は、もう日本は、何処でいつ起きても不思議はないのだから、常時災害と同居する普通の事としていちいち驚いてはいけない。こういう国なんだからと諦めてこれからの日本を作って行こうじゃないか。災害に強い国、日本は新しいスタンダードとして世界中から規範となることを目指して、これからも頑張りましょう。

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