明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

ニュースに一言(25)国葬問題はサッサと片付けよう!

2022-09-09 18:01:22 | ニュース

1、国葬は誰のものか
一般の葬儀には喪主がいて、家族がいて親族がいる。それ以外の参列者は席が分かれていて、葬儀を行う側とは「はっきり区別」されているのが通例だ。主役は「家族」である。

では、「社葬」という場合はどうかというと、当然次代のトップが喪主になり、以下に社員が霊前に並んで参列者を迎える形になっている。一方参列者は、取引企業とか顧客などになると思う。主役はこの場合、家族でなく「社員全員」ということになる。何故なら「社葬」だから、会社というのは具体的にはこの場合「社員の総体」を指している。勿論、株式を取得して資金を提供している投資家はどうなんだ?と言う意見もあるだろうが、葬儀は会社の営業活動とは別の「法人格としての疑似的なイベント」であるから、家族が会社に代わっただけだと言えよう。だから株主は参列者席に座るのが正しいと私は思っている。それはそれとして、社葬にするかどうかの判断は、会社に取って「特別重要な功績のあった人」というのがポイントであろう。例えば創業者であるとか、業績を大きく発展させた人、或いは倒産の難局を切り抜けてV字回復を成し遂げた人とか、何か会社にとってエポックメイキングな功績があって、まさに社史に特筆すべき「記憶に残る人」が選ばれるのが通例である。

では、「国葬」という場合はどうなのか?というと、間違いなく喪主は「国民全体」であろう。この視点が「なおざり」にされているから、色々議論が迷走する。内閣も野党もマスコミも、国葬を「国の行事」としてなんの疑問もなく議論しているが、言葉の原点に戻って「国」とは何かと言えば、これは憲法にも明記されている通り「国民」なのだ。 

戦前は歴史が教える通りに、国とは紛れもなく「天皇」のことであった。所謂「国体護持」と陸軍が金科玉条の如く守ろうとして戦い続けたのは、この「抽象的存在である天皇」である。その天皇をトップとしたピラミッドを実質的に動かしていたのが、他ならぬ陸軍なのだ。だから、陸軍がこの権力構造を必死で守ろうとするのは理解できる。だが敗戦で全てが瓦解し、天皇制は終わって国民が主体の「民主主義国家」になって新たに再スタートした。それが戦後の流れである。

つまり「国」と名前が付く行事は全て、国民の意思を主体として考えるのが正しい。であれば国葬は、国民が主体=喪主となって「我々全員で死を悼み、心を込めて送ってあげよう」という気持ちの「盛り上がり」を汲んで初めて、それならば云々ということで「内閣府で決定」するのが常道だろう。あくまで「世論が国葬したい」となってから、内閣がそれに乗っかって実施する。これは言葉の意味を考えれば当然の答えである。

新聞などによる意識調査によれば、国民の半分は「反対している」そうじゃないの?。これじゃあ「国葬の意味」からしても「土台無理がある」となるのは当たり前だ。この当たり前がちっとも分かっていない人が多すぎる。岸田首相は果たしてこのことを分かっているんだろうか?

2、国葬に値するとは?
英国の例で言えば第二次世界大戦を勝利に導いた「チャーチル」が国葬になっている。まあこれは国を救ったのだから妥当かな、と言えるだろう。鉄の女「サッチャー」の場合は世論が二つに分かれており、「国葬待遇」ではあるが、反対デモも相当起きていたらしい。彼女の場合、労働者層や貧困層に手厚く無かったことが裏目に出たと言えよう。その他、ニュートンやダーウィンなども国葬されているから、世界中に名声が上がっている人も国葬されている。歴代国葬例は、ネットによれば、海軍提督や大蔵卿などが多い印象。これは島国で貿易立国の英国ならでは、と思った。考えるにイギリスの場合は「社葬の国家版」という位置付けと見える。

インドの場合はガンジー首相もそうだが、民間人の「マザー・テレサ」も国葬になっている。中華民国ではテレサ・テンが国葬になっているから、国家に寄与したというよりはむしろ「国民に愛された人」というのが正確な表現であろうか。またフランスの場合はこれもネットでの知識だが、一般の葬儀も相当に日本とやり方が違っていて、日本のような喪服とか香典など「葬儀の決まり」は全くと言っていいくらい「無い」らしい。だから普段から余りイベント的な要素が少ないので、尚更国葬になると「国民的お祭り」感が出ちゃうのかな?、とも思う。どちらにしても今回の安倍元首相の場合の参考にはならないような気がする。

さて、翻って今回国葬というものを考えてみたら、私としては例えば家でサッカーを見ていたとしよう。その時「そう言えば今日は〇〇さんの国葬だな」と思ってその人のことを思い返し、私も何か「哀悼の意を表したいな」と考えて、家から出掛けて市の国葬会場に行き、しめやかに「献花」して冥福を祈る。そんな国葬を想像した。国葬というからには全国津々浦々に献花会場があって、全国民が参列できるのが当然である。

北海道から沖縄まで、或いは離島の役場にも国葬献花会場が設置され、そこに続々と人々が集まってきて、花を手向ける姿に市民も感動し涙する。そんなイメージを想像した。外国から誰が来るかなど枝葉末節の議論があるようだが、そんな姑息な弔問外交などを考えているとしたら、まさに安倍元首相の死を「政治利用した」と言われても仕方がないのでは。これでは安倍氏の霊に泥を塗る行為にほかならないではないかと思う。もし岸田首相がそんなことを考えているとすれば、人間性を疑ってしまうのは当然である。

で、安倍さんの場合「全国的な盛り上がりをしているか」といえば、一部の人にはアベノミクスで大成果をあげたが富裕層と中間層の二分化を引き起こしたうえに、貧困層は一層拡大して政府の中枢からは見捨てられたと言える。要するに簡単に言えば「金持ちに有利な政治」を推進した人である。結果として金持ちだけがいい思いをし、30年間賃金が上がらない「経済の低迷」から景気を上向きにすることは出来なかったのだ。日銀の掲げる「インフレ率2%」の目標は、安倍氏の任期中はとうとう達成出来なかったのがその証拠であろう。おまけにコロナ対策では次々に失策を繰り返し、最後は体調不良で寂しく退陣した。森友加計問題や桜を見る会の決着もついておらず、唯一の功績であるはずのアベノミクスも、「国民を幸福に出来たかどうか」という点では、どうやら「失敗策だった」との烙印を押された格好である。

色々意見はあるようだが、結論として安倍元首相は国葬に値するか?と問われれば、「そこまでには至ってないんじゃないか」というのが妥当な評価であろう。

3、では実際問題として、するのかしないのか?
私の考えるに、答えは3つある。

① やめる
これが一番簡単だ。やるやると必死こいて閉会中審議に出てまで縷々同じ説明を繰り返していたが、ここで止めるというのは如何にも腰砕けだし、岸田首相の指導力説得力の低下にもつながるとは思う。しかしここはグッと我慢して世論の数字を尊重・優先したほうが、後々の岸田首相のやりたい政策を実行する場合に「有利」になるような気がする。とにかくここは世論を敵に回すのは得策では無いだろう。諺にある通り「損して得取れ」、である。

② 有無を言わせず強行する
とにかくやってしまえば、全ては時間が解決してくれる。岸田首相とすれば国葬したということで自民党内の権力抗争に優位に立てるし、国葬の主役として発言力も増す。豊臣秀吉が信長葬儀でその後の主導権を取ったのがいい例である。しかし実際は反対デモも行われるかもしれず、「盛り上がりはさほどない」国葬に終わる可能性は、非常に高いと言わざるを得ない。経費も16億どころか100億という予測もあるし、唯一の目玉である海外の弔問客も、アメリカが大統領でなくハリス副大統領という「全然ぱっとしないイマイチ影が薄い」人物が来てお茶を濁す感が半端ない。メンバー的にも「あれ?、こんなもんなの?」という印象になりそうだ。おまけにタイミングが悪いことに「エリザベス女王」が亡くなったことで、世界中の話題はエリザベス女王に持っていかれてしまった。安倍元首相の国葬が行われる頃にはまさにエリザベス女王の数々のエピソードが世界中に流されている頃であり、もはや安倍さんの国葬など「ニュースバリューが劇落ち」となって、岸田首相も泣きっ面に蜂なのではないか。強行すれば何とか出来るとは思うが、「やってよかったか?」といえば、余り良いこと無いんじゃネ?となりそう。

③ そこで推奨するのが「延期」という誤魔化しだ
なにも国葬は亡くなっ手すぐ行わなければならないとは思わない。むしろ一周忌とか没後〇〇年とかのタイミングで国全体が経済も復調し、国民一人ひとりの生活も明るくなった頃合いを見計らってやるのがいいのではないか。人間、生活が潤ってくれば、他人を悪く言う気持ちも自然と減るもんである。そういうタイミングで「安倍さんの国葬を」と持ち出せば、今ほどの反対は起きないと私は思う。私個人の気持ちを言えば、安倍さんが国葬するほどの「偉大な人間だった」というのには少なからず躊躇せざるを得ない。というか、国葬ということで「それに値する・しない」という議論が起こること自体、死者への冒涜ではないか、という気持ちもある。

であれば、ここは各自静かに冥福を祈るにとどめ、10年ぐらいしてから安倍晋三という人間の評価が定まった時点で、改めて「国葬したければ」やればいいのでは。その時は思っきり盛大にやって、「日本国民の意思として」故人の国への功績を称える、というのが良いのではないかと思う。

とにかく国葬論議は一旦忘れて、「旧統一教会問題」に集中しよう!


最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
おはようございます (けんすけ)
2022-09-10 09:10:49
貴殿の記事を昨晩拝見して
自分なりの考えを今朝書いてみました。
返信する

コメントを投稿