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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

熊本阿蘇地震の復旧を見るにつけ、これが川内原発や伊方原発で起きたらと考えるとゾッとする

2016-04-21 20:00:58 | 今日の話題
空港や列車の復旧が進み意外と速かった印象で、コンビニなどの営業再開と共に物資もようやく避難所に届き始め、加速度的に回復して行くものとみられひと安心である。東北大震災での経験が多少とも生かされて、今回はより早く復旧している点も「やる事やっているね」と誉めたい。やはり現場は進化している。ところが経験を全然生かしてないのが原発である。復旧は地震が収まり平穏無事な環境が整って初めて、倒壊した家の整理とか生活の細々としたことの日常を取り戻すことからやり出す、それでも失われた人やペットを探して見つからずに悲しいまま誰もいない家に帰って眠れない夜を過ごす、その繰り返しの中で徐々に社会に戻り、生き残った人々と幸運を喜び合い、不幸を慰め合いながら立ち直って行くのだろう。

だが、原発の場合は同じには行かない。東北大震災は津波の被害からようやく5年、遅まきながらも徐々に復興していて、程度に差こそあれ未来に向けて少しずつ明るいニュースも聞こえてくる。しかし福島は全然別だ。全く出口が見えないままで、溶けた核燃料が何処にあるかもわからないし、それを取り出す方法も当然未解決だ。何もできないまま放射能だけは出続けている。原発事故は、その地域全体を死滅させてしまう。

テレビで外国人の記者が意見を言う番組があるが、外国人が不思議に思うのが「すぐそばで大地震が起き余震が止まらないのに、なぜ原発を止めないのか」だった。私の意見と同じだったので「やっぱり」と思ったが、外国人から見ると不思議に思えるらしい。そりゃそうだろう、震度7とか6とか頻発してて阿蘇山の噴火もあるかも知れないってのに、すぐそばで原発動かしてるなんて「正気じゃ無い」。第一、ついこの間まで止めてて、原発を止めたら死んじゃうって訳じゃ無いのに、稼働に拘っても得られるメリットなどほとんど無い。オマケに中央構造線の先には伊方原発が乗っかっているってんだからどうしようも無い。万一のために「収まるまでちょっと止める」ことが何でできないの?

外国人の意見の一つに、安倍政権は今回の地震を乗り越えて安全を証明する気だ、と言うのがあった。本当かどうか知らないが、安全神話を証明するために稼働するというなら、余りにも大きなリスクだ。九州の大半を人の住めない放射能の原野にしてしまうリスクなんて、誰にも負えないはず。せっかく一旦は全部止めたのだから、他の道を探そうよ。安全だったら動かしてもいいという人は、いかに原発事業が利権がらみかを知らないのである。儲からなければ誰が原発などやるだろか。安全とはリスクとの対比で計算するもの、原発のリスクは「全滅」であるから、対比する安全の度合いは「無限大」、つまり対比できる安全が理論上あり得ない。

それは福島で実証されたのである。未だに福島は死んだままだ。

福島の事故を正しく評価していない日本人は、手痛いしっぺ返しを食らうことになるだろう。そうなる前に気が付いてくれることを、私は祈るだけである。



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