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明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

日本人とは何か?(2)日本人像の原点を探る・・・旅の始まり

2024-02-25 14:46:12 | 歴史・旅行

日本または日本人と言ったときの「その日本らしさ」のイメージはどこからやってくるかと言えば、多分意識していないとは思うが、いわゆる「江戸情緒」から来ているのでは?と私は思います。勿論見る分野によっては明治や大正や、昭和初期でさえも懐かしさと共に日本人像を形作っている大きな要素であることに間違いはないでしょう。しかし町や村の風景や建物とか、または挨拶・物腰や服装など、人々の有り様の全体的な雰囲気を想像すれば、戦国・室町は遠過ぎるし明治以降は洋風文化が混じって変化が起きていて、ちょっと違うかな?と感じるのです。

我々の心に浮かぶ日本人の姿をイメージさせるとなれば、やっぱりそれは「江戸期」以外にはないと思うのです。江戸こそ「古」日本人そのもの、その原型だと言っても間違いはないだろうと確信しています。つまり日本人とは「江戸時代の日本人」のことである、と言っても過言では無い、と私はそう思っています(これはちょっと問題発言ですが、一先ずこのテーマに従って論を勧めていこうと思います)。

1、鎖国によるガラパゴス化
それまで朝鮮半島から中国大陸、または南西諸島からインドまで、大量の文化を吸収して自国の文化に組み入れてスケールアップしていた日本人が、ある時からそれらと隔絶した「日本独自の習慣・文化」を育くみ、そして発展させたことには江戸時代における「鎖国政策」が大きく影響してた、というのは誰もが認める事実ではないでしょうか。しかし、それは取りも直さず国内が平和で戦争がなくなり、日本だけで「充分経済が回って」繁栄を謳歌出来たから可能だった、ということしょう。外国からの貿易品も多少は入っては来ましたが、それは珍しい品というだけに終わって「新しい文化の輸入」とはならなかった点に、人々の生活の向上が見て取れると感じました。人々の意識は外国には向かわずに、国内での地域の「独自性の競争」へと盛り上がったと思います(この点も異論があると思うが、まあ先に進むことにしたい)。

日本人=江戸時代人。これは250年にわたる安定平和と鎖国による文化的ガラパゴス化、そして幕藩体制による国内競争とが密接に絡み合って、豊富な資源開発による経済発展と食料増産による人口爆発が「未曾有の繁栄」を支えた、ということになるのだと思います。我々がこの美しく憧れに満ちた時代を回顧する時、実は悲惨な飢饉や災害に幾度となく見舞われて大変に苦しんだ事はすっかり忘れてしまい、ただ幸せな時代だったと「懐かしく振り返る」のは人間の過去に対する美化本能でしょう。日本が島国であり、その特性が文化の独自性となって現在に至っています。この辺りに日本人像を探るキーがありそうです。勿論同じ環境で育った双子の兄弟が「違った性格」の人間に成長する、ということもあります。気候・風土だけでは語りつくせないのが人間ですから、余り最初から範囲を狭めずに、視野を広くして考えて行こうと思っています。

2、中国との比較
では中国においては自国のアイデンティティは何処にあるのかというと、日本で江戸時代がそうであるように、私は「宋代」にあるのではないか?と感じています。宋代の中国は「庶民」がようやく前面に出て、文化を担う中心として意識し始めた頃だと思います。まだこれから勉強しようという段階ですが、中国人の本質を研究するのには最適じゃないかなと思っています。まあ宋が中原に覇を唱えたのは960年ですから日本で言えば平安時代で、清少納言や紫式部の生涯と重なっています。比較対象の江戸時代とは600年程早い事になりますが、まあこれは彼我の歴史の違いで仕方ないでしょう。東京でビルが立ち並ぶ時、大分ではまだ木造家屋がほとんどだった、というようなもんですね。

ところでもしも、という仮定の話ですが、昭和を知っている段階の世代が皆んなしていなくなる2050年の頃には、今の日本人のイメージもガラッと変わるに違いないと私は密かに思っています。私の幼年時代には(水戸生まれです)田舎だったこともあり、コマ回しや凧揚げそして正月飾りに冬には火鉢とコタツという昔ながらの生活が普通でした。今じゃ時代劇も殆どテレビじゃ見なくなりましたが、当時はテレビなどなくて娯楽と言えば映画が主流の時代です。子供たちは学校から帰ると外で遊びまわっていて、夕日が落ちたら家に帰ってご飯を食べて寝る、が当たり前でした。私の唯一の楽しみは、ラジオで「赤胴鈴之助」を聞くというのが笑えますね。昔懐かしい木造平屋建ての町並みは何カ所かで保存され、今は観光施設として賑わっているようですがもうそれを観てホッとする人間は2050年には「日本にはいなくなる」のだろうな、と思っています(町は高層ビルに吸収されるのかも)。

中国ではそれぞれ違った民族が入り乱れてコロコロと政権が交代するわけですが、宋が300年続いた後は北方遊牧民族の「元」が大陸を席巻し一大帝国を築きました。全く文化も風習も違う民族です。しかしその後はまた「明」が登場して中華全盛の時代がやって来るわけですね。多民族による中原の争奪戦です。しかし政権は変わっても「庶民の生活」はさほど変わらなかったんじゃないでしょうか。その変わらなかった「庶民文化」をいうものを探してみよう、というのが宋に着目した理由です。同じことが日本でも言えて、平安から鎌倉・室町を経て、戦国・江戸・明治・大正・昭和と時代は変わって来たわけですが、そんな中でも「日本人の本質」は変わらなかったんじゃないでしょうか。それを探って行きたいと思います。

一番目は宗教観から見てみます。次回をお楽しみに。



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1 コメント

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マルテンサイト千年グローバル (鉄の道サムライリスペクト)
2024-10-18 03:13:05
最近はChatGPTや生成AI等で人工知能の普及がアルゴリズム革命の衝撃といってブームとなっていますよね。ニュートンやアインシュタイン物理学のような理論駆動型を打ち壊して、データ駆動型の世界を切り開いているという。当然ながらこのアルゴリズム人間の思考を模擬するのだがら、当然哲学にも影響を与えるし、中国の文化大革命のようなイデオロギーにも影響を及ぼす。さらにはこの人工知能にはブラックボックス問題という数学的に分解してもなぜそうなったのか分からないという問題が存在している。そんな中、単純な問題であれば分解できるとした「材料物理数学再武装」というものが以前より脚光を浴びてきた。これは非線形関数の造形方法とはどういうことかという問題を大局的にとらえ、たとえば経済学で主張されている国富論の神の見えざる手というものが2つの関数の結合を行う行為で、関数接合論と呼ばれ、それの高次的状態がニューラルネットワークをはじめとするAI研究の最前線につながっているとするものだ。この関数接合論は経営学ではKPI競合モデルとも呼ばれ、トレードオフ関係の全体最適化に関わる様々な分野へその思想が波及してきている。この新たな科学哲学の胎動は「哲学」だけあってあらゆるものの根本を揺さぶり始めている。こういうのは従来の科学技術の一神教的観点でなく日本らしさとも呼べるような多神教的発想と考えられる。
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