明日香の細い道を尋ねて

生きて行くと言うことは考える事である。何をして何を食べて何に笑い何を求めるか、全ては考える事から始まるのだ。

(金)ランダムな居酒屋談義、どうせ雑談なのよ(その19)辛坊治郎のアホな勘違い

2021-02-05 15:34:16 | ニュース

1、女性が多いと会議が長くなる?
森会長の謝罪会見についてのTBSひるおびでの「厚切りジェイソン」の発言が秀逸だったので紹介する。彼は森会長個人の問題ではなく、①どこに問題があったか ②どうすれば解決するのか ③組織としての改善スケジュールはどのようにしていくのか、という「世界の視点」を披露していた(やっぱアングロサクソン民族は、考え方がキレキレだねぇ)。アメリカ人と日本人とでは、そもそも男女のジェンダーギャップ意識が相当かけ離れているのである。彼はこの問題を森会長の問題とは捉えて無くて、日本社会の「根源的問題」と世界は見ている、と話していた。森会長を辞めさせろという声が日本中から上がっているが、自民党議員の何人かの発言として田崎史郎氏が紹介したところによれば「森会長を辞めさせたらオリンピックがダメになる」であった。森氏とオリンピック、そしてIOCとの関係は相当に深く関わっているみたいである。日本のオリンピック開催は、森氏の尽力でようやくここまで漕ぎ着けた、との発言もある。その功労者が、自身の女性差別発言で炎上している。まだまだ日本は遅れているのだろうか?。女性の国会議員の割合も、世界190カ国で150番目辺りをウロウロしている遅れた国である。私の考えだが、男が云々とか女がどうこうとか、そもそも男女という分け方で物事を捉える考え方自体を脱却することが大事で、男女ではなく「個人個人の能力を見る習慣」を身につけることが唯一の解決法だと思う。思うに、全ての差別は「個人名」を使わないことから始まるのだ(これ、私の発見!)。「女は〇〇だ」という代わりに「〇〇さんの意見は何々だ」と考えることが大切である。しかし日本国内も批判が相次いだが、国際世論の反応が「素早くて批判的」なのは時代の流れなのかな、と思う。まあ、森会長はいままでも問題が多く、風采も上がらないから「辞め時」じゃないかな。日本オリンピックという国家事業の代表としては、もう少し「アスリート風の知的なイケメン」を選んだほうが、イメージ戦略としても良いと思うねぇ。しかし小池都知事は会見での記者の質問にも、全く煮え切らない答えで逃げていた。森会長は当然辞めさせるとして、小池都知事も一蓮托生で辞めさせるってのも「良い解決法」じゃない?

2、ラジオ「辛坊治郎ズーム、そこまで言うか」
辛坊治郎が桃太郎の鬼退治で思い出したこと、と話していた。桃太郎の生まれた時の話で、おばあさんは川で洗濯をしていたが、おじいさんは「何で山へ芝刈りなんかしに行ったんだろう」と不思議に思っていたそうだ。私はそれを聞いていて「何を言っているんだろう?」と思っていた。ところが同席していた2人のアナウンサーも「そうそう!」と同調しているではないか。辛坊治郎は「柴」を地面に生えている草=芝」だと何十年も思い込んでいたというのだ!、「馬っ鹿じゃないの?」である。まあ、お金持ちの家では庭に芝生があって、たまの日曜日にはお父さんが芝刈り機で汗を流していた、なんてこともあるんだろうなと考えてはみた。が、それにしても「教養がお粗末」である。平安文学ではやんごとなき貴公子が想いを募るらせた女性の家に夜な夜な偲んでいく場面など、「庭の柴の戸を云々」と出てくるではないか。だいたい日本では近世まで、柴は重要な資材であって、垣根の材料から焚付などの燃料など、多方面に大活躍していたお馴染みのものである。近年宅地開発などで柴を取る雑木林が減ってきたこともあり、日常生活にも馴染みが無くなって来たのは事実であろう。それにしても・・・である。まあ辛坊治郎と言えば時事ネタなどで鋭い切込みを連発する今注目のニュースキャスターだが、こういう「常識が欠落している」人間なのだなとちょっと考えてしまった。そう言えば、彼には何か「落ち着いた上品さ」に欠けたところがある。やっぱり最終的な人間の評価というものは、「文化的素養」にあると思う次第である。ちなみにスマホで「しばかり」を文字変換すると、最初に出てくるのは「芝刈り」だった(おおっ)。これじゃあ勘違いするのも無理ないかな、と慨歎しきりである。もっと細かいことを言えば、柴は刈るもんじゃなくて「取る、あるいは拾う」というのが正しいと思うんだけどどうだろう。細い小枝を柴と言い、それより太いのは薪と言うような感覚だが、これはもう現実には身の回りから消えてしまったもので、今更言ってもしょうがないことではある。風呂もガスで沸かすようになって、言葉も廃ってしまったということか。なんか寂しい気もするね。昭和は遠くになりにけり、だ。辛坊治郎はネットで見ると64歳だそうだからバリバリ昭和世代なんだけど、何だかなぁ・・・。

3、コロナと緊急事態宣言
昨年末の東京の新規感染者数が1227名という衝撃的数字になっていて、世論は一気に緊急事態宣言へと傾いた。しかし、よくよく分析をしてみると「ここ1、2週間で急速に減少」している。つまり年末年初の高水準は、クリスマス前後に飲み会が増えたのが原因だと言える。これは飲食店での「感染防止対策」をより厳格に実施すれば、ある程度感染者の増加はあったとしても、季節の流れに従って「自然と減少する」と考えてもいいのではないだろうか。そもそも緊急事態宣言や GOTO 停止をしなくても、コロナは徐々に減ってくるだろう、と分析した。そのうちワクチンも出てくるし、高齢者と介護従事者を徹底的に守る方針で頑張れば、何とか行けるんじゃないだろうか。日本はヨーロッパやアメリカと違って「基本的にはコロナには強い」ことが分かっている。逼迫している医療関係を何とか拡充して行けば、コロナもそれほど恐れる病気では無いというのが正直な感覚だ。実際、会社勤めをしている人の話を聞いていると、何とか「マスクと飛沫対策」で日常生活をやり過ごしているという。会社指示で飲み会禁止だそうだが、逆に捉えれば「飲み会さえしなければ」比較的安全だということである。まあ私は「危ないから止めておこう」ではなく、「危ないから感染対策を厳密にしなければ」というのが正しい反応だと思うのだが。とにかく人々の対応も慣れてきたし、ここらで根本的な医療改革を考えて実施していかないと、また今秋冬には「感染爆発と医療崩壊」が起きてしまうのである。マスコミや政治は「全体の感染者数」を捉えて、増えたとか減ったとか騒いでるが、問題は「医療の歪み補正」と「高齢者の感染予防」と「飲食業者の感染対策厳格化」の3点である。そこに集中して改革をしなくては、感染症対策の混乱はいつまでたっても繰り返されるだろう。政治の英断を待つ!


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